失恋

 リッカ――。

 雪は、六角形の結晶をしているから、六花とは雪を意味する。

 それがリッカの名前の由来だった。


 しかし、実際のリッカは、完全に名前負けもいいところで、雪のようにキレイで儚いイメージなんてこれっぽっちも結びつかない。

 二次性徴期の頃から、自分の体が少しずつ変化し始め、サラサラだった髪の毛は癖が強くなり、お肌もニキビができやすくなった。

 それに、リッカの気持ちとは裏腹に、胸だけが大きく成長し、中学生の頃はよくクラスの男子にからかわれた。


 そのせいもあって、高校に上がったリッカの性格はますます内向的になり、姿勢もコンプレックスを隠すようにいつも背中を丸くしているので、誰から見てもパッとしない女子だ。


 リッカは、アニメやマンガを見る度に、自分を物語の主人公に投影して、現実には鏡を見て落胆する。


(どうして私は、名前のように可愛い姿に生まれて来なかったんだろう。なんでこんなに醜いんだろう。)


 鏡を見る度にリッカは思う。

 そして、自分と向き合うことをせず、逃げて生きてきた。




 そんなリッカも、現実で人並みに恋をしていた。

 それは、同じクラスのシロウくんという男の子だった。


 シロウは、少し小柄だけどそれなりに筋肉質で、体の線は美しい。いつも元気溌剌としていて、見ているだけで元気をもらえる存在だ。

 秋風が教室の窓の隙間から心地よく入ってくる。

 シロウの短い髪の毛先や、しゃんと折れたシャツ襟が揺れている。

(秋も、シロウくんのことが好きなんだな。)

 いつもと変わらない休み時間の光景――。クラスメイトのはしゃいだ声が所々で響いている。リッカは一人、次の授業の準備をし終え、やることもなく、ぼーっとしている……。



 リッカがシロウを好きになったきっかけは、夏の体育祭。

 運動ができないリッカは、いつも通りクラスの足を引っ張って、イケイケの女子に舌打ちされていた。

(だって、体が思うように動かないんだもの――。)

 サッカーの一員として参加させられていたリッカは、味方の女子とぶつかって転んでしまった。リッカが体を起こす前に、試合終了のホイッスルが鳴り響き、リッカのクラスは敗退した。

「もうーー、なんでこんな子がいるのよーー。せめて邪魔しないでよ!」

 ぶつかってしまったクラスメイトにそう言われた。

 次の試合に向けて、生徒達がぞろぞろと移動し始める。リッカは惨めな気持ちと地面に擦った膝の痛みで、いまだ立ち上がれないでいた。

 そのときだった。

「ほれ、しゃんと立って!ドンマイ、ドンマイ。」

 そう言ってリッカに手を差し伸べてくれたのが、シロウだった。

 クラスの男子の中には、リッカのことを『キモイ』と言って、触りたくもないと思っている子もいるということを、リッカは知っていた。

 シロウはそんなことを微塵も感じさせないように、リッカの手首を引っ張って立たせてくれたのだ。

「次は応援、一緒にガンバロー。」

 シロウはそう言って、駆け出した――。



 そのことがきっかけで、リッカの視線は自然とシロウを追うようになっていた。

 シロウを意識するようになってからわかったことだが、シロウの傍にはかならずミツヒコという男子がいた。

 ミツヒコは、女子ウケしそうな容姿のイケメンで、リッカは絶対に声なんて掛けたくない人物だ。実際に、彼の性格は知らないが、わりとじゃべるし意外に抜けているところがあるようで、いつもシロウがツッコミを入れるという感じだ。

(二人って本当に仲がいいんだな……うらやましい。)

 ミツヒコはいつもシロウを見ている。

 シロウをいつも見ているリッカだから、気付いた。




 そんなある日、シロウに彼女ができた。もちろん、相手はリッカではない。

 リッカは、一度、シロウの彼女を見たことがある。あの時の衝撃はおそらく一生忘れないと思う。それは、シロウに彼女ができたことを知ったときよりも強く強く、リッカの心をえぐった。


 下校時刻。いつものように俯きがちに一人で校門を抜けるリッカの目の前に、今まで見たことのないくらい美しい女の子が立っていた。

 それは、リッカが今まで見てきたマンガやアニメのヒロインがそのまま実物となったような容姿で、通り過ぎる子たちが振り返るくらいだった。

 リッカも例外ではなく、歩みを緩めてただただ彼女を鑑賞していた。

 ――サラサラのロングヘア、白い肌に整った目鼻立ち。すらっとしたスタイルにセーラー服が映えている。モデルだろうか。芸能活動をしていてもおかしくない、この子はそんなオーラを持っている。


 リッカは、その子と擦れ違うことすら躊躇われ、いつもとは違う反対方向への道を曲がろうか悩んでいた。

 そのとき――。

「ごめん、待たせちゃった!」

 聞き覚えのある声だった。それはシロウの声……。

「なんか、他校の前で待ち合わせって、やだね。なんかジロジロ見られるし……。」

「はは、それはイチカちゃんだからじゃない?」

「どういう意味?」

「いや、だから、そのまんまの意味っす。キレイだからです。」

「はぁ? そういうこと言うの、やめてってば。」

「いや、やめれないくらい、キレイっす。」

「それ以上言ったら、付き合うのやっぱりやめる……。」

「それはなしで!」


 シロウは、風のようにリッカを追い越して、イチカの元へ駆け寄った。その視界にリッカは入っていなかっただろう。

 リッカの足は、止まっていた。もう自分の足がどっちに行きたいのかわからなくなっていた。


 二人は、付き合いたてだろうか……二人の距離がなんだかぎこちなく感じる。

 リッカは、シロウを好きになって今まで、自分がこの先シロウと付き合えるなんて思ったこともない。自分は誰かと付き合えるような人種じゃないということは自覚している。

 だけど、シロウの彼女があまりにも、自分の理想そのものすぎて、それが逆にリッカを納得させなかった。

 こんな醜い自分にも隔てなく接することができる男の子――その子なら、相手の見た目なんて気にしないで心の美しさを見てくれると思う。だから、シロウの彼女は、の子が良かった……。自分がそのポジションに立てるなんて思ってない、けれど、そう信じることで、リッカはシロウを美化し……買いかぶり過ぎていたのかもしれない。

 心のどこかで、彼女が完璧すぎたシロウに失望し、冷めている自分がいた。


(私って、本当に醜い女の子だ……。最悪。)




〜〜〜〜〜〜〜〜


 それから、リッカは少しずつ変わった。

 自分の姿を鏡でちゃんと見てみると、本当に醜くて笑えるくらいだったので、少し見られるようにしてみようかな――そう思い立った。

 癖っ毛は美容室で縮毛矯正をかけてもらい、サラサラになった。

 ニキビだらけの肌はスキンケアに気を遣うようになってから、ずいぶんキレイになった。

 それから、少し瘦せようと努力して、背筋を伸ばすようにいつも心掛けた。

 そういうことを続けるうちに、鏡の中の自分がリッカに声を掛けてきたような気がした。


「メイクもしてみたら?」


 生え放題の眉毛を揃えるだけで顔の印象ががらっと変わった。切れ長の瞳が少しカッコ良く見えた。

 リッカは、胸を張ってシロウと一度話してみたかった。


〜〜〜〜〜〜〜〜



 いつものホームルームが終わり、玄関で靴を履き替えるリッカに誰かが声を掛けてきた。

「木原さん、ばいばい。」

 顔を上げると、ミツヒコだった。シロウといつも一緒にいる男の子。

「……ばいばい。」

 クラスメイトに『ばいばい』なんて言ってもらったのは高校に入って初めてだった。

 目の前のミツヒコを改めて見ると、本当に容姿端麗である。それなのにどこか掴めないような、人を寄せ付けない雰囲気を持っている。

「……どうしたの?」

「ううん、なんでもない。」

「今日は、シロウくんと一緒じゃないんだね。」

「シロウ? あ、うん。」

 ミツヒコの表情が一瞬、変わったのをリッカは見逃さなかった。

(何か、あったのかな……。)

 気付くとシロウを目で追ってしまう癖は、あれからもなかなか止められなくて、リッカはまだシロウに未練があるのだと思った。叶わぬ恋でも、気持ちだけはどうしようもない。


「木原さん、なんか最近変わったよね。」

「……そう思う?」

「うん、キレイになった。」



――キレイになった――



 その言葉が、自分のために用意されているなんて……。自分のために使われる日がくるなんで、リッカは思いもしなかった。

 ミツヒコはそのまま行ったしまった。

 リッカも靴の踵を直し、後をおうように歩き出した。



(もしも、この先、自分にもシロウくんみたいな男の子が自分の前に現れたら……今度こそは幸せな恋をしよう。)



 季節は冬。空からはこの地域では珍しく、粉雪がふわりふわりと舞っていた。

 リッカは傘を差さずに歩く――。髪の毛先が雪と遊んでいる。

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