A03-05

 太平洋は青く深くどこまでも澄んでいた。神崎彩菜(かんざきあやな)は『バイオメタルドール』の目を通してそれを見つめていた。空き缶もペットボトルも、ビニール袋や得体のしれないプラスチックも、人類の痕跡と呼べるものはどこにもなかった。人類が文明を築いて以来、汚し続けた海のゴミは『カイラギ』によって回収され、浄化されていた。


 一特(いちとく)の調査船と並行(へいこう)して泳いでいたイルカの親子がBMD-A01のそばまでやってきた。海中戦闘用の尾びれをつけたBMD-A01を仲間とでも思ったのだろうか。子供のイルカがBMD-A01をくちばしでつついてじゃれついてくる。BMD-A01の感覚器官が彼女の脳にそれを伝えた。


「もう、くすぐったいよ」


神崎彩菜は思わず口にしながらも、それを楽しんでいた。母親のイルカが迎えにくる。彼女はマグロ漁の任務を忘れて、二頭のイルカと泳いだ。


「家族か」


神崎彩菜は両親と手をつないで歩いた幼年期の記憶を思い出した。何をするわけでもなく、ただそれだけで楽しかった。心がやわらいだ。


「T07より、A01へ。マグロの大群だ。大きいぞ。2メートル以上ある。T07が追い立ててそちらに向かっている」


久我透哉(くがとうや)の声がはずんでいる。


「A01。了解」


ごめんね。私、行かなきゃ。ありがとう。神崎彩菜は二頭のイルカに別れを告げた。


 尾びれに力を込めて全速力で泳ぐ。BMD-A01に乗っていれば水中でも呼吸ができる。泳ぐことがこんなに気持ちいいと感じたことは今までなかった。ゆらめく波間から差し込むキラキラと光る日差し。空を飛んでいるかのような浮遊感。なにもかもが新鮮だった。


『A01。彩菜。まかせる』


陣野修(じんのしゅう)のBMD-Z13からのメッセージが表示される。


「くる」


前方から黒い影の集団が迫ってきた。BMD-A01は水中銃をかまえて待った。先頭のマグロがBMD-A01の横を通り過ぎる。


「大きい」


日頃、川魚しか見たことがなかったので思わず声がもれる。集団の真ん中あたりのマグロを狙って水中銃の矢を放った。


ビシュ。


矢がワイヤーを引き連れて海中を進み、マグロの横腹に突き刺さった。矢の刺さったマグロが群れから離れて反転する。


「強い」


マグロに引かれてワイヤーが引き出されていく。BMD-A01はワイヤーを切られないようにマグロを追った。


「本部より、A01。彩菜さんへ。こちら指揮官の山村(やまむら)です。マグロをあまり暴れさせないでください。筋肉が熱を持っておいしくなくなります」


山村光一(やまむらこういち)の声が響いてきた。マグロ漁師のアニメなんてあるのだろうか。


「どうすればいいのですか」


「電気ショックです。電気でマグロの脳を焼いて気絶させるんです」


「電気。そんな装備、BMD-A01にはありませんよ」


「えっ。ワイヤーと言ったら放電機能は定番ですよ」


この人はへんな知識は持っているのに、どこかぬけている。でも、憎めない。神崎彩菜は笑いをこらえた。


「ないものはないんです。『カイラギ』と一緒ですね。なら頭を切り落とします」


神崎彩菜はワイヤーの巻き取り装置のスイッチを入れて、全速力でマグロを追った。マグロに追いつき、抱きついて腰の短刀を引き抜いた。むなびれの横に突き刺してぐるりと回す。赤い血が海中に広がり、頭を失ったマグロはすぐにおとなしくなった。


「A01より本部へ。2メートル級、マグロ1体をしとめました」


「あっ。頭はどうなった」


「海に沈んでいきました」


「・・・。大事なほほ肉と目玉が」


「まさか、それ、食べるんですか」


「当たり前です。一番おいしいとこですよ」


神崎彩菜は山村光一がそれを食べる姿を想像し、一緒に暮らして食事の趣味があうのか不安になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る