A03-02
潮の香りが鼻孔(びこう)をくすぐる。波に揺られて体がゆったりとしたリズムで上下している。神崎彩菜(かんざきあやな)はベッドの上でゆっくりと目覚めた。なつかしい夢を見ていた気がするが思い出せない。
「そうか。私、『一特(いちとく)』の調査船で太平洋に出たんだった」
記憶が少しずつよみがえってくる。調査船は旧アメリカ軍の地下基地があるグアムに向かっていた。『カイラギ』に奪われて以来、誰一人として行ったことのない世界。太平洋の大海原が窓の外に広がっていた。上体を起こして毛布を取り払った。自分の脚をみる。
「そうだよね」
毎朝の行事みたいなものだ。どんなに確認しても、どんなに月日が流れても失った両脚は戻ることはなかった。ベッドの横に置いた義足に太ももを差し入れて、彼女は立ち上がった。窓に向かって歩くと義足の先端が床にふれてコツコツと音を立てた。窓辺の手すりにつかまって外を眺める。
「イルカだ」
調査船と並走するように親子のイルカが海面を飛び跳ねながら泳いでいた。彼女はその姿に見とれた。
ガチャ。
ドアノブが回る音で彼女は振り向いた。
「おはよう。なかなか起きてこないから迎えにきたよ」
山村光一(やまむらこういち)がドアの隙間から顔を出した。
「キャ」
神崎彩菜は思わず声を上げた。
「もう、山村さん。ビックリさせないでください」
彼女はボサボサの髪の毛を両手でおさえて反対を向いた。
「女の子の部屋に入るときはノックくらいしてください」
彼女は口をとがらせて告げた。
「ごめん、ごめん。少し話がしたいんだが入っていいかな」
山村光一は悪びれることなく言った。
「ちょっとまって」
彼女は後ろを向いたまま髪を手グシてすき、パジャマを整えて振り向いた。
「どうしたんですか」
「いやあ。なんて言っていいか」
山村光一は顔を赤らめながらモジモジしはじめた。
「実は、今度。三村美麻(みむらみま)さんと結婚することになって」
「えっ。山村さんと三村さんが」
神崎彩菜は三村美麻の感情を抑え込んだような顔を思い浮かべた。あのクールビューティの三村さんが山村刑事となんて考えたこともなかった。どこでどうなったら、こんなことになるのだろうか。大人の世界の不思議を感じずにはいられなかった。
軍に入ってから『カイラギ』を倒すことしか頭になかった。彼女自身それを望んでいたし、まわりもそれを期待していた。毎日のように誰かが死んでいく日常に身を置き、世の中の楽しいことなんてすっかり忘れていた。神崎彩菜は満面の笑みをつくって言った。
「おめでとうございます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます