海底の寝心地

 二度と目覚めることはないと思うととても心地よかった。

 まさか叩き起こされるとは思いもしなかった。

「起きなさい」

 目を開けると、足のない女が目の前に立っていた。足の代わりに魚のひれがあるというわけではなかった。ハイビスカスの柄の水着の太ももから下がもやもやと水に溶けていた。

「まだ暗いじゃないか」

 そう抗議すると、

「ここの明るさなんて、いつもこんなもんよ。さあ、早く。船が出ちゃうじゃない」

 女は俺の腕を引っ張る。歩くべきか泳ぐべきか一瞬迷って一歩踏み出すと、俺の足ももやもやと溶けていた。

「あと一ヶ月くらい寝かせておいてくれたっていいのに」

「甘ったれたこと言ってんじゃないわよ。海底にだっていろいろルールはあるんだからね」

「お前は俺の母親かよ」

 口をとがらせると、女は振り返って俺を睨んだ。

「馬鹿ねー。あんた、自分のおばあちゃんの顔忘れたの?」

「ばあちゃん?」

 女は二十代後半に見える。俺の知ってる祖母はいつも老人だった。

「わかんねぇよ。若返りすぎだろ」

「あんたも寂しいわね。迎えに来るのがおばあちゃんだなんて。誰かいい人いなかったの?」

「ほっとけよ」

 祖母に手を引かれ、海底を進む。砂地には足跡も何もつかない。俺はいつの間にか虫取り網を持っている。肩から提げた虫かごにはカマキリとモンシロチョウが入っていた。祖母は俺の知らない歌を歌っている。分からないけれど無理やり合わせて俺も歌う。風が汗で濡れた髪を乾かしていく。砂利道を囲む背丈の高い草がさわさわと音を立てる。山の向こうに夕日が沈むのを見送り、視線を下ろすと船が見えた。

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