第37話 忍想定外、真田幸隆を出し抜くと誓うの事。

天文15年6月12日(1546年7月9日)寅の刻(4時31分)、武田軍の総攻撃は日の出と同時に開始します。

大井軍は頑強に踏ん張るのですが、辰の刻(9時頃)には劣勢が明らかになり、本陣から後詰が前に進んで行くのが見えました。

巳の刻(10時頃)、突然の爆発音と共に武田軍の崩壊が始まり、午の刻(12時頃)には総崩れを起こして武田軍に大井軍が山を下りて襲い掛かります。

未から申(3時頃)には、その争乱が佐久郡全体に波及し、逃げる武田軍を大井軍や佐久の百姓、旧土豪達が追い立てています。


佐久郡全体が大混乱、生き地獄となっています。


どうしてこうなった?


温厚な百姓もこの時ばかりは鬼のように恐ろしい存在に変わります。

落ち武者狩りです。

逃げ遅れた武将や兵に止めを刺して武具などを奪うのです。


鬼・畜生の仕業です。


捕虜にして人質交換という手もあるんだよ。

でも、佐久の人々の怒りは凄まじく、見つけ次第に殺していったのです。


私は双眼鏡を覗くのを止めて適当な石に腰かけて、現代と変わらない美しい景色をぼ~っと見ているのです。


「忍様、お水を」

「ありがとう」


差し出された竹筒から、ごくごくと水を呑み干します。

参ったな。


皆が心配そうに私の顔を窺っています。


どうやら顔が真っ青だったようです。


こらぁ、状態異常耐性、恐怖耐性、悪寒耐性のスキルが発動していないぞ。

AIちゃん、サボっているんじゃない。


“それは無茶です”


何が無茶だよ。


“肉体がパニックを起こさない機能であり、気分や感情を左右する機能はありません”


つまり、私の気分の問題なのか。


「忍様、どうかされました」

「何でもないよ」

「何でもないという顔ではございません」

「ありがとう」


私は藤八と弥三郎を抱きしめて感情の整理をする。


やってしまった事はしかない。


問題はどうするかだ?


「忍殿は双方が被害少なく引き上げる事を望まれていた」

「心中、お察しします」

「そうなんだ。大井が鉄砲と焙烙玉を早い段階で使っていれば、内山城の攻略は無理と武田は引き上げたハズなんだ」

「それでは何度も襲ってくるでしょうな」

「何度でも内山城に籠ればいい」


武田も佐久で大きな被害を出したくない。

3度ほど粘れば、武田も方針を変えざるを得なくなる。


しかも武田にもメリットがある。


佐久の大井では武田を攻める力がない。

攻められないという安心感が生まれる。

そう村上ほど怖い存在じゃない。


逆もそうだ。


武田軍を追い払う大井軍は一目置かれる。

村上も佐久郡を強制的に併合する事ができない。


つまり、武田と村上の直接対決がなくなる。


佐久が緩衝地帯になるハズだった。


大井 貞清おおい さだきよは、この千載一遇の機を見逃さず、二度と佐久に攻めて来ないほどの痛手を負わせようと考えた」

「そういう事ね」

「武田はこれで諦めますか?」

「しばらくは控える。でも、大井を危険と知った武田は放置できなくなった」

「なるほど、大井が勝ち過ぎた訳ですね」

「そう言う事」

「では、いずれは戻ってくると」

「戻ってくるね。落とすにしても、調略するにしても」

「勝ち過ぎなければ、そうならなかった」

「そうでもないか! まぁ、遅かれ早かれ結果は同じだよ。大井に勝っても調子に乗った武田軍は村上に当たって一度痛い目に合う事になるんだ。沢山の諸将を失った武田は、真田などの外様の将を引き入れる事になった。そして、外様を入れる事で逆に強くなるんだよ」

「なぁ、それって、この前あった真田 幸隆さなだ ゆきたかが武田の将になれるって事ですか?」

「そういうこ…………と、ぎゃぁぁぁぁぁ!」

「どうした! 忍」


しまった!

幸隆の家臣入りを早めてしまった。

拙い、拙い、拙い!


「忍様、どうかしましたか」

「幸隆が敵になる」

「いやぁ、すでに敵だろう」

「違うのぉ。今まで間借りの外国人の助っ人であって活躍の場がなかった。でも、この戦いで侍大将が沢山亡くなったから、その補充で正規の家臣に取り立てられるのよ」

「おぉ~~~、なるほど」

「幸隆の怖い所は海野一族であり、滋野望月家らと同族って事なのよ。村上氏に身を寄せていた海野一族を寝返らせて、より強い武田を作ってしまうのよ」

「なるほど、それで真田を調略しようとしていたのですな」


宗厳様はいつも冷静だね。

見習わないといけない。


「こうなったら先手を打つわよ」

「どうするの?」

「千代女ちゃん、真田より先に海野一族を調略する。まず、同等の領地を用意するわ。さらに織田が信濃を奪った暁には旧領も返還してあげる。織田が信濃を奪うのに10年は掛からない。どこからなら調略できる?」

「銭で顔を引っぱたきましょうか。まず、父の所で人手を借りてくるわ」

「了解、警戒中の甲賀を集めて」


千代女ちゃんが口笛を吹くと、警戒中の甲賀衆が戻ってきます。

その内の10人は、そのまま海野一族と渡りを付ける為に残る事になりました。


幸隆、先に貰うわよ。


「じゃぁ、帰るよ。転移!」


 ◇◇◇


【 ??? 】

たったったっ、宮中の御殿回廊を足取りも軽快に歩く公家がいました。


「内蔵頭殿、随分とご機嫌どすな」

「これは、これは、権大納言様やありまへんか」


従五位上の内蔵頭山科 言継やましな ときつぐ(39歳)は従二位権大納言西園寺 公朝さいおんじ きんとも(31歳)にやんわりと頭を下げます。


「なんや、ええ事でもありました」

「まぁ、ぼちぼちでんな」

「内蔵頭殿のぼちぼちは当てになりまへん」

「帝よりご内密に駿河に下向するように申し付けられましたんや」


嬉しそうな言継と真逆に、公朝は眉を顰めます。

駿河と言えば、尾張を通る事になります。


先ごろ現れた赤鬼は、三河大浜の者を悉く首を刈って、衣ヶ浦を赤く染めたと聞きます。

数万の民が犠牲になったと聞いた帝は、民を憐れんで『竹取りの乱』と命名されたほどです。


古来より朝廷は熊襲、土蜘蛛、八十梟師、国栖、蝦夷、役小角、阿倍仲麻呂、酒呑童子、茨木童子、その数多の鬼達と戦い、帝はそれを鎮めて来ました。

帝もその責務を果たさんと、直ちに安倍や土御門を呼んで祈祷するように命じると、興福寺などにも祈祷を願う親書を出されたのです。


「奇妙どすな。鬼退治の勅命なら武門の者を呼ばれますやろ」

「退治なんかできるかいな」

「ほ、ほ、ほ、大蛇やったらよろしかったな」

「大蛇と呑み比べでっか。そら面白そうやな」

「内蔵頭殿なら勝てまっしょう」

「どうやろうな」


言継の別称は『蟒蛇うわばみ』、二~三升はゆうに飲んでいる義元を「下戸」と言うほどの酒豪の者なのです。

それこそ古代の「をろち(おろち)」と対決してもいい勝負になると思うほどです。


「尼子から大層な寄付を貰いましたやろ」

「一万貫文の砂金どしたな。大層な物を送ってきはった。何か言ってきはりましたか?」

「なんにも」

「左近衛大将でもおねだりしてきましたか?」

「ちゃう、ちゃう、なんも言うてけぇへん」


後奈良天皇ごならてんのう(49歳)は非常に潔癖な方です。

お金がないので、即位式をずっと先延ばしにしていた時の事です。

一条房冬が左近衛大将への任命と引き換えに銭1万疋の献金をしたのです。

これで即位式ができると公家衆は喜んだのですが、その話を聞いた帝はその献金を突っ返したのです。


公家達は天を仰ぎました。


尼子が何か見返りを言ってくるようなら、帝は一万貫文を突っ返すのではないかと噂されているのです。


「帝は鬼退治の勅命を出したいんやけど、肝心の源頼光がおらへんと嘆いておりますわ」

「嘆いても仕方あらへん」

「ところが奇妙な噂を耳にされたみたいでな」

「奇妙な噂とは?」

「祈祷を終えた僧侶達が報告に来はったんや。そこで帝が織田の事を聞きましたんや」

「また、織田でっか。今度は何でっしゃろ」

「京と大和の寺々に多額の寄付をしてな、戦で家を失くした者共に炊き出しをしたんやて。それも怪我人や病気の人の治療費も織田持ちやで、気前ええな!」

「豪気どすな。良きかな、良きかな」

「そこまではええ話やねん。坊主の癖に要らん事を言いよったんや」

「それは何でしゃろう」

「恐れ多くも、噂の竹姫が尼子の姫でっしゃろかと聞きよったんな。殴りとうなったわ」

「なんと、なんと、あぁ~~~~~~遺憾。遺憾ぞ」

「拙いやろ」


尼子の姫が鬼だとするなら、帝は一万貫文を突っ返すかもしれない。

腰の扇子を取って、足を何度もバン、バン、バンと叩くのです。


「大納言様、心配は要りまへんって」

「誠か!」

「鬼は鬼でも、聖徳太子に従った二童子であれば、かまわへんやろ」

「おぉ、そうや。二童子であれば、問題はあらへん。寺で炊き出しをするほどの仁の者や。悪鬼であるハズやあらへん。うん、うん、よう言うた」

「まぁ、そういう事で、ちょっと行ってきますわ」

「お気を付けて」

「土産、持って帰ってくるで!」


朝廷はいつも金欠状態であり、御殿の補修費がやっとメドが付いたばかりです。

皇子様(29歳)もよい年頃になったので、帝としては皇子様に帝の位を譲りたいのですが、細川達は戦ばかりして、中々に銭を出してくれる所がないのです。


那古野城を改築する為に全国に人夫を募り、朝廷・伊勢に献金も忘れず、さらに、寺に寄付をして炊き出しまでする。


ふ、ふ、ふ、信秀、信長、銭の臭いがプンプンします。


「内蔵頭殿、あんじょうしてや」

「任せとき。わてが帝を悲しませる事ないでっしゃろ」


山科言継は帝の密命を帯びて、再び、駿河の国に下向するのです。

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