僕ともふもふの古民家宿
藤原ゆう
第一章 古民家生活事始め
一.古民家生活の始まり(一)
中国山地の
住人のほとんどが高齢者という、最近の日本ならどこにでもあるような村だった。
集落に入るとまず目を引くのは、田んぼの向こうに見える高い山だろう。村を囲む山々よりもひときわ高く、大きな張り出し岩の見えるこの山は、昔から修験道の修行にも使われる霊峰で、この地域のシンボル的存在だった。
この山に見守られながら、集落の人たちは長い年月農業を営んできた。
僕は今、その山を眼前に捉えながら、坂道を上っていた。坂道の右手は山、左手は谷。その谷沿いに、集落のそれぞれの家が持つ田んぼが連なっている。
ちょうど稲刈りの時期。この時もいくつかの田んぼで、大きなコンバインがエンジンの音を轟かせていた。
僕は足を止め、右手に下げたスポーツバックを持ち直した。
この先の緩いカーブを回れば、祖父母が暮らした築百年の古民家がある。
今は無人のこの古民家に、僕がどうして向かっているのか。
それは数日前。
都会で一人暮らししていた僕の所にかかって来た、一本の電話から始まった――。
***
どこか遠くでサイレンが鳴っている。
風の向きだろうか。大きくなったり小さくなったりを繰り返す、パトカーだか救急車だかのサイレンの音を聞きながら、僕――
都会の喧騒はいつも僕からは遠い場所にあって、ここが僕の居場所ではないという現実を突き付けてくる。
(僕がいるべき場所はどこなんだろう)
そんなことを考えてみるけれど、答えは出ず、ただ同じ毎日を繰り返すだけ。
今の時代に生きがいなんてそう簡単に見つけられるものではないけれど。自分はどこで進むべき方向を間違ってしまったのか。そんなことばかりを考えてしまう。
ぼくがこんなにネガティブになっているのは、ここ半年程無為の日々を過ごしているせいだった。大学卒業と同時に就職したものの、些細なことから辞職してしまったのだ。それから日に一度は職業紹介所に足を運び、単発で夜勤の仕事も入れてみたりもするけれど、なかなか思い通りにはいかない。
(仕方ないよな……)
諦めの言葉を思い浮かべて、僕は寝返りをうった。
テレビもベッドもない、殺風景な部屋だった。
いっそのこと、実家に帰った方がいいんじゃないか。そんな考えが時折過ぎるけど……。
「それは絶対、いやだ」
別に両親と仲が悪いというわけではない。ただ単に、自分自身に負け犬のレッテルを貼りたくないだけだ。それが自己満足だということはよく分かっているけれど。それでも僕はまだ、自分の可能性を信じていたかったんだ。
「……行って来るか」
考えることに嫌気がさして、おもむろに起き上がった。持ち物はスマホくらいなものだ。充電が十分あるのを確認してから、ジャケットのポケットに突っ込んだ。
それから部屋を出ようと、ドアノブに手をかけた時だった。突っ込んだばかりのスマホが、ポケットの中で小さく振動した。めったに働く機会のない僕のスマホが、この時はおかしくなるくらい懸命に、プルプル震えていたんだ。
取り出して画面を見てみると、相手は僕の母親だった。
「どうしたの?」
母からの電話は珍しいことではなかった。特に僕が無職になってからは、三日に一回はかかってくるようになった。通話の内容はいつも同じだ。食べる物のことだったり、仕事のことだったり。母親が普通に心配するようなことばかり。
けれど、この日はちょっと違っていた。
「和希。あんた、こっちに戻って来てよ」
「なんでだよ」
「なんでだよ、じゃないわよ。あんた、まだ仕事見つかってないんでしょ。ふらふらしてるくらいなら、戻って来て、こっちのこと手伝ってほしいんだけど」
母親というのは、なんでこう、痛いトコロを遠慮なく突いて来るんだろう。
「仕事なら、すぐ見つかるさ」
そして僕は根拠のない返事を繰り返すんだ。
「と、に、か、く。一度戻って来て。あんたにとっても悪い話じゃないと思うのよ」
「いい話か、悪い話かは、自分で決めるよ」
「無職のあんたに、選ぶ権利なんかないと思うけど」
「っ……!」
さらに無意識に、子どもの一番繊細なところを
僕は返す言葉が見つからず、あとは「うんうん」と、母の話を聞くだけだった。
「鍵は私が預かっているから、一回うちに寄ってね」
言いたいことは全部言えたのか。満足そうに言い残して、母は通話を切った。
僕は通話が切れたあともスマホを持ったまま、しばらく呆然と玄関に突っ立っていた。
母の話の中心は、今は無人になってしまった祖父母の家についてだった。
祖父母が還暦を過ぎてから、田んぼを人に任せて始めた古民家宿。近くに温泉がある好立地であることも相まって、田舎飯の食べられる民泊施設としてひそかな人気を博していたそうだ。その古民家宿で、祖母は自家栽培の野菜や、自作の味噌や豆腐などを朝食に供していたという。数年前祖父が亡くなってからは、受け付ける予約数を減らしていたものの、祖母は昨年急逝する直前まで、古民家宿を大切に守り続けていた。
その祖母の葬式の折に、これからの処遇を親戚中で話したらしいけれど、結局結論は出ないまま、近所に住む分家筋のおじさんが家の管理をしてくれることになった。
それから一年。客が来ることのなくなった古民家は、僕の両親や親戚が交代で掃除に訪れる以外は、小さな集落の中にひっそりと佇んでいる。
当時その過程を僕も聞いてはいたけれど、社会人になったばかりの僕は自分自身のことに精一杯なせいもあって、他人事としてしか聞くことができなかった。
それを踏まえての母の話だ。
この度分家筋のおじさんが僕のことを聞き及んだらしく、何もすることのない人間がいるのなら、家の管理をそいつに任せたらどうかという提案をしてきたのだそうだ。
とても僕では頼りにならないと、両親も最初は断ったらしい。けれど、僕を地元に呼び戻す良い口実ができたとでも考えたのか。結局、その案を快諾し、僕に電話をしてきたということだった。
まあね。
若くて、無職でって、こんな好条件な人間。親戚中を探しても、僕くらいなものだ。
(いつまでも、このままじゃいけないのはわかってるんだ)
僕は玄関のドアを開けて外に出た。出た先は、吹きさらしの通路だ。
そこから見える景色は、どこまでも人工的なもので。住宅街の向こうの高層ビル群が、青空の下、太陽の光を反射していた。
それを眩しく思った時、僕の耳に、不意に飛行機の音が飛び込んで来た。つられて顔を上げ、青い空に溶けて行く機影を追った。
僕の横を、ただ通り過ぎて行くだけの都会の喧騒。
その向こうに、僕を待つものがあるのなら。
ほんの少し、素直になってみるのも悪くない気がした。
***
借りているアパートはとりあえずそのままにして、僕は新幹線で帰って来た。新幹線から在来線に乗り換えて、最寄駅に。そこで待ち受けていた母に鍵を貰って、そこからは路線バスで一時間。バスを降りてからは、国道から続く坂道を、徒歩で二十分。
実家に寄らなかったのは、僕の小さな抵抗だった。子どもっぽいと言われても仕方ない。
都会の音ではない、コンバインのエンジン音に背中を押されるように坂を上って、僕はようやく祖父母の家の敷地に辿り着いた。
訪れるのは、昨年の祖母の葬式以来だったか。
客を一番に迎え入れていたであろう庭は、祖母が手入れしていた時のままだった。頻繁に遊びに来ていた幼い頃の記憶と何らの差もない。萩の花は最盛期。雑草一つない花壇には、祖母の愛した山野草がまだ元気に咲いていた。
近所に住んでいるおじさんは、本当に良く世話をしてくれていたのだろう。
玄関まで来るとスポーツバックを地面に置いて、ポケットに突っ込んだ鍵を探した。
昭和の面影残る、小さな簡易な鍵。取り出したそれで玄関を開けると、そろそろと引き戸を動かした。
家の中は、誰かが掃除したばかりなのか、比較的綺麗だった。
僕は荷物を置くと、窓という窓を全部開けて回った。
一階の縁側から、客間として使っていた和室。
それから二階の祖父母が使っていた部屋。おそらく今日からは、僕がこの部屋を使うことになるんだ。
ついでに布団も干して、僕はようやくひと心地ついた。
(おじさんに挨拶に行ってから、床の雑巾がけくらいは一応するかな。それから風呂を沸かして……)
この家の風呂は、こだわりの五右衛門風呂だ。
(いきなり大変そうだな)
やれやれと思いながら、駅のコンビニで買ったおにぎりにかぶりついた。
誰もいない家は、寒くて静かだ。
さっきまではあんなにはっきり聞こえていたコンバインの音も、今は遠くに感じられる。
またここでも、僕を取り囲む音は、僕を素通りしていくのかな……。
そう考えた途端おにぎりが喉に詰まって、僕は慌ててペットボトルの蓋を開けた。
ともあれ僕は、今日から、この古民家の管理人になったのだ。
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