脚高

 右手に黒い壁を見つつ、表の方よりも雑草が密生している草むらの中をタマコに従って進んでいくうちに、傀儡宮くぐつぐうが六角形ではなく八角形をしていることがわかった。


 建物自体は野ざらしのわりに保存状態が良いようで、護符で全体を覆われているという尋常ではない部分を除けば、建築物としての文化財的な価値もかなり高いように思える。


 このままぐるりと傀儡宮の周りをまわるだけかと思っていると、建物の真裏まで来たところで突然タマコを見失ってしまった。


 立ち止まってどこかの雑草が揺れていないかと辺りを見まわす。右にばかり気を取られていた私は、左手のさらに緑深い草むらの中に一瞬だけタマコの茶色がうごめくのを見たような気がした。


 左手側の草むらは私の腰ぐらいの位置から目線の高さにかけて、複雑に絡み合うような形で両側の樹木から枝がいくつも伸びており、タマコの後を追うには屈んでそれらを潜る必要がある。


 もしかしたら彼女は排便に行こうとしているのではないかという考えが浮かび、このまま追跡するべきか少し迷いはしたものの、やはり今回もまたタマコの後についていってみることにした。気まずい場面に出くわしたら戻ってくればいい。


 シャツを枝に引っかけないよう注意しながら、ほとんど膝を地面に擦るような形で自然のバリケードを潜り抜け、私の背の高さ以上もあるススキに似た植物を掻き分けてタマコの後を追う。


 進んでいるうちに一二三ひふみ氏宅の周辺にあった藪を思い出し、もしその辺の地面にあのような井戸が口を開けていたら大変だぞ、などと考えていたら前方に何かがまとまって立っているのが見えてきた。


 近くまで行くとそれが六畳間ほどの範囲に二重の円を描くように立つ、石でできた八本の角柱だとわかった。石柱それぞれの高さには若干の誤差がありはするが、私の百七十センチメートル強ある身長の胸の位置よりも、どれもさらに十センチメートル以上は低いものばかりである。


 見ようによっては簡素な墓石が無造作に並んでいるようでもあるが、小規模なストーンヘンジといったほうが感覚的には近いだろうか。私はもしやと思ってそばに立つ柱の一本の表面ぐるりを確認してみて、文字が刻まれていたり護符が貼られていたりしないことに安心した。


 タマコは真っぐ円の中心まで行くと急にごろんと横になり、四肢を上下に開き肢体を反らしてぐぅっと大きく伸びをした後、パッと身を起こすと近くの柱の陰へ物凄い勢いで飛び込んでいった。休むか遊ぶかどちらかにすればいいのに、まったくせわしない猫である。


 立っている角柱を外側から順に反時計まわりに見ていった私は、先ほど表面を確認した石柱の対角に位置する柱に、全体がっすらと黄ばんだ半紙大の白い紙の束が、くさびのようなもので打ちつけられているのを見つけてギョッとした。


 風雨にさらされて反り返った紙束は下の方のものほどいたみが激しく、サイズも形もほとんど原型を留めてはいなかった。これでは風化の原理に反してはいないだろうか。どの紙にも何も書かれてはいないようだが、気味が悪くてさすがに触ってまで確認する気にはならない。


 念のため他の石柱もひとつずつ見てまわったものの、おかしな儀式めいたものが施されていた柱は先ほどの一本だけだった。ただ、おかしな儀式と思うのは私が浅学だから知らないだけで、神事としては一般的なのかもしれないが。そもそも、この石柱は傀儡宮と何かしらの関係があるものなのだろうか。


 こんな場所まで来て一体何の用があったのだとタマコを探し、さっきと同じ柱の陰でまだ何事かをしている後ろ姿を見つけ、背後からそっと近づいた私は彼女のそばで腰を屈めて「タマコやい」と声を掛けた。


 顔でも洗っているのか、タマコは私を無視して何かに熱中したままなので、頭でも撫でてやろうと手を伸ばすと、突然ぐりっと首を捻って顔をこちらへ向けた。


 私はタマコの小さな口元にくわえられた巨大な蜘蛛の姿を認めるなり、「たらっ!」と変な声を上げて腕を引き、その反動で勢い余って後ろへと尻餅をついてしまった。蜘蛛はすでに絶命しているようで、弛緩しかんした肢体の大部分がタマコの口からだらりとみ出している。


 予想をしていなかったせいで驚きはしたが、タマコは一二三氏宅の裏庭でも蜘蛛に興味のあるそぶりを見せていたし、人間の私から見てグロテスクに感じるだけで猫にしてみればただの食糧に過ぎないのだろう。


 ふと背後の地面についた手の甲に何かが這う感覚があり、反射的に手を引っ込めつつそちらへ顔を振り向けると、タマコが咥えているような大きなアシダカグモがもぞもぞと動いていた。


 身体に這い上がられてはたまらないと思い、慌てて立ち上がろうとして周りの草むらに目を凝らしてみた私は、さらに何匹もの巨大な蜘蛛がわらわらと地面の上で蠢いていることに気がついた。地面の色と似た茶色のせいで立っているときはわからなかった。


 もしかしたらこの場所はタマコお気に入りの狩り場なのかもしれない。集団で生活するタイプの蜘蛛なのかは知らないが、これだけ多くの個体がいるのだから、近くにアシダカグモのコロニーのようなものがあるのだろう。


 立ち上がって尻についた土を払い落とした私は、食事の邪魔をしてはタマコに悪いと思い、蜘蛛をガツガツとむさぼり喰う彼女をその場に残して傀儡宮の方へひとりで先に引き返すことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る