点々と置かれた篝火かがりびの明かりに照らされる林道を歩きながら、前を行く赤鬼の禿げた後頭部を見ていた私は、散々山道を歩きまわった疲れと空腹で眩暈めまいのようなものを感じはじめていた。


 半ばかかとを引きずるようにして歩く私に対し、赤鬼は靴音ひとつ立てずに軽い足取りで道の奥へ奥へと進んでいく。


 客である私に気を遣うつもりはさらさらないらしい。いや、もしかすると、宿泊の手続きをしていない人間はまだ客ではないという姿勢とも考えられる。


 いつまで経っても消えない口内の血の味を不快に感じつつ、今日のこの半日で起きたことを思い返していた私は、自分が何をしているのかよくわからなくなってきた。


 当初の予定では散策がてらに山道をのんびりと歩き、日が暮れる前に余裕を持って宿に到着したらゆったりと温泉へと浸かり、夜は空気の澄んだ星空を眺めながら地域原産の山の幸や地酒に舌鼓したつづみを打ったりして余暇よかを楽しむつもりでいたのだ。それがどうしてこんな事態になったのだろうか。


 地域住民に冷遇され、警官には怒鳴られたり手錠をかけられたり、たまたま遭遇した同僚は薬物で狂っていた上に怪我をして失踪。一体なんなのだ、これは。誰に文句を言っていいのかすらもわからない。


 薄明かりに照らされた林道の奥では暗闇が漆黒の口を開けており、それを見るとはなしに眺めていた私は、自分が使用人に宿へと案内される客などではなく、鬼によって地獄へといざなわれる餓鬼ででもあるかのような気分になってきた。


 赤鬼に好ましく思われていないのは承知しているが、どこまで続くか知れない道中をずっと黙りこくっているのも気まずい。


 邪険に扱われるのを覚悟しつつ、気になることをいくつか訊ねてみようと思い、意を決した私は赤鬼の後頭部へ向かって遠慮がちに「あの」と声を掛けてみた。


 聴こえなかったのか赤鬼からの反応はなく、最前からと変わらぬ鈴虫や馬追虫うまおいむしたちがはねを震わせて奏でる涼しげなばかりが、沈黙を埋めるように薄暗い空間に響いているだけだった。


 ただ話す気がなくて無視されたのかもしれない。もちろん無理に話す必要はないとは思う。それでも、たとえ一泊とはいえ今晩お世話になる場所の関係者なのだから、わずかでも赤鬼への印象を良くしておいたほうがいいだろう。


 とても他では考えられないことだが、ここかむらた山の住民によって運営されている宿泊施設とあっては、サービスの質や食事の内容などで嫌がらせを受けかねない。


 私を余所者よそもの扱いする地域の住民に対し、なるべく寛容な態度でもって彼らを理解しようと努めてはきたが、残念ながら信用という名の懸け橋はすでに修復不可能なほど粉々に砕け散ってしまっている。


 何にせよ、話をしなければ始まらない。どうせはなから好かれてはいないのだ。しつこく話し掛けてちょっとぐらいけむたがられたとしても構いやしない。さて、では何から訊ねてみたものか。まずは質問ではなく機嫌をとるために祭りの話でも振ってみよう。


「あの、明日お祭りがあるらしいですね」


 さっきよりかは若干大きめの声で言ったのだが、やはり赤鬼からの反応はない。続けて「有名なお祭りなんですか?」と訊ねてみても無言のままである。


 徹底的に無視を決め込むつもりだろうか。私にだって意地がある。こうなったら赤鬼が言葉を返してくるまで話し掛けつづけてやろうじゃないか。


「先ほどのシュウさん、ですか? あのかたから聞いたんですけど、前乗り、前日から来られる人たちもいるらしいですね? あ、僕は違うんですけどね。そんな」


 そこで私は言葉を切り、「一部の人たちに」という皮肉をどうにか飲み込んでから、「人気のあるお祭りを見れるなんて、偶然にしてはラッキーだなぁ」と軽いジャブのようなめ方で赤鬼の反応をうかがってみた。


 変わらず赤鬼は前を向いたままで私の言葉にはピクリとも反応しない。もっとわざとらしく大袈裟に褒めた方がよかっただろうか。もしかしたらつつくポイントが外れているのかもしれない。それとも話題を変えてみるべきか。


「そういえば、山に変わった神社があるんですね。なんか、その、明日のお祭りとも関係あるんですか? シュウさんも何か言ってましたし、神社の鳥居にもロープが」


 そこまで言って赤鬼の後頭部にぶつかりそうになり、私は口をつぐんで踏ん張るようにして足を止めた。


「ちょっ、いきなり止ま」


「カクシ荒らしゃあがったんだってなぁ」


 ようやく口を開いたかと思ったら、赤鬼はこちらを振り返りもせずにそんな意味不明なことを言った。なんだか前にも同じ単語を耳にしたような気もする。


「え? いや、どこも荒らしてなんていませんよ」


「しらばっくれんぢゃねぇ。くんの神域荒らしがっ」


 赤鬼の神域という言葉で思い出した。神社でマツナカ巡査に「カクシに入ったか」と訊かれたのだ。たしか、傀儡宮くぐつぐうのお堂のことで、私は入っていないと答えたのを覚えている。


 どんな伝わり方をしたのかは別として、赤鬼はマツナカ巡査から話を聞いたに違いない。それにしても、荒らしたなどとはずいぶんな言われようである。私はただ神社にまいって賽銭さいせんを放っただけだ。


けがれまで入れやがって」


 タマコのことは私のせいではない。彼女は己の意思で神社を訪れ、たまさか狩った獲物が不運にも毒蜘蛛で、誤ってそれを食したがために命を落としたのだ。言うなれば自業自得である。


「ちょっと待ってくださいよ。それはどちらも誤解ですって」


 赤鬼は己の右肩のあたりを見るようにして首をひねり、「ぞぐがぁ」と忌々いまいましげな調子で吐き捨てるように言うと、私とは視線も合わせず会話は終わりだとばかりに前を向いて再び歩きだしてしまった。

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