スノーシューズを履いた僕と先輩は銀世界の広がる樹海の中を進んでゆく。他領の森とは違い、この樹海には特に名前が付けられていない。樹海といえばこの森であり、領内唯一の樹海である。但し他領にまたがる森についてはカウントしていないが。

 だからこそ、誰もこの樹海を開発しようなんて思っていない。この巨大な樹海にはなんとなく開発したくなくなるような不思議な魅力がある。たまに行方不明者が出ると大抵この樹海の中で首を吊ってる。まぁ、ちゃんと地元の樹海に詳しい人と行けばそんなに怖いものでもなく、詳しい人といっても、大抵の人はこの樹海の中に入ったことがある。

 スノーシューズで樹海の中を歩く先輩も最近可愛げがなくなってしまった。昔はスノーシューズをまず1人で履くことが出来ず、ようやく履けたと思っても歩くことがままならない状態だったのに毎年来ているがためについには慣れてしまい、もう何の可愛げもなくなってしまった。

「何よ、シャル君。何か凄い失礼なこと考えていたでしょ? 例えばスノーシューズが1人前扱えるようになった先輩は可愛げがないとか」

 先輩があからさまに頬を膨らませる。

 先輩、毎度毎度僕の心を読むのやめてもらえませんか?

「いいえ、全然そんなことこれっぽっちも考えていませんでした」

「えー? 本当?」

 先輩は僕の回答に納得せず、未だ疑惑の目を僕に向けてくる。

「あ、ほら先輩、見てくださいよあれ。鹿の足跡でしょうね」

 僕は話題を変える為に先輩の注意を鹿の足跡に向ける。

 真っ白な新雪の中に一続きの足跡。まるで新雪の中にあるイレギュラー、秩序の破壊者。その足跡の中央部には黒いものが見えている。

 土だ。

 春になって雪が融けるとここから春の草花が目を出してくる。だがこの足跡のところだけはまだ冬のうちからその姿を露わしているのだ。

 まぁ、どうせまた雪が降ったらその姿は雪に生まれてしまうのだが。

「ねぇ、シャル君」

 先輩が僕に問いかける。

「何でしょう?」

「この鹿って何で一頭なんだろうね」

「というと?」

「寂しくないのかなって、たった一頭だけでさ。メスとかオスとか、パートナーが欲しくないのかなって」

「どうなんでしょうね。ひょっとしたらそのパートナーに逢いに行くところかも知れませんよ?」

 僕のその答えに対して先輩はクスクスと笑った。

「なんなんですか? 先輩。僕だって多少は真面目に考えた答えを笑うなんて。バカにしてるんですか?」

「いや、ごめんごめん。別にバカにしていたわけじゃなくてね? なんか普段は真面目一辺倒な雰囲気出してるシャル君がめっちゃロマンチックなこと言い出したから」

 そう言いながらも、先輩はまだ笑い続けている。

 やっぱりなんかバカにされているような気がする。仕方ない、置いていこう。

 僕はそのまま先を急ぐ。先輩も慌ててついてくる。

「ねぇシャル君ひどくない? 先輩を置いてってはいけませんっていう世の中の基本的なルール小学校で教わらなかった?」

 先輩がわざとらしく拗ねる。最近こういう先輩の姿があざとく、可愛らしいと思ってしまうあたりもう僕は末期かも知れない。自分の顔が少し赤くなってしまうのを感じる。

「そ、そんなルール普通学校では教わりませんでした」

 そんな言葉を返すのが精一杯だ。

「あれ? あれあれ? ひょっとしてさー、シャル君、照れちゃってる?」

 先輩がさらに煽ってくる。まったく腹立たしい話だ。僕はそのまま先を急ぐ。

「ねえねえシャル君、シャル君!」

 先輩が何かに気づいたようだ。少し興奮した様子で僕の袖を掴んで引っ張る。

 僕が先輩の方に振り返る。そしてそのまま先輩を見つめる。やれ、さっきのお返しだ!

「え? そんな……そんなにシャル君に見つめられると、何か恥ずかしいんだけど、でも……」

 どうやら逆効果だったようだ。先輩が自分の世界に入ってしまった。意外と先輩は夢見る女の子だったことをすっかり失念してした。

「先輩?」

「あっ! あっ! その……シャル君、何でもない!」

 そう叫んで先輩は僕を思いっきり突き飛ばしてきた。僕は大きく尻餅をついてしまう。

「痛っ!! 先輩、ちょっと突き飛ばすのやめてくださいよ」

「あっ、ごめん、シャル君」

 そう謝りながら先輩は僕に手を差し伸べてくる。僕はその手を取ってたちあがる。

「で? 何なんですか? 何が居たんですか?」

 そうやって先輩は僕たちの左手に見える木の根本を指差した。

「ねぇ見て、キツネの夫婦かな」

 そこに居たのはキツネのカップルらしき2頭。じゃれあっている。流石に先輩の言うような夫婦というのはどうかと思う。

 そのキツネのカップルは純粋に二頭の時間を楽しんでいるようで、人間世界のカップルに見られるような恋愛の駆け引きや寝取り寝取られ、不貞などのドロドロとした、場合によってはとても汚く見えてしまう人間の裏の顔はない。ただただ、ひたすらに純粋で、シルクのようなカップルである。

 そんな純粋な二頭の姿に僕と先輩は見とれてしまっていた。

「ねぇ、なんかあーいうの、憧れない?」

 先輩が僕に問いかけてくる。

 僕は答えられなかった。そのまま黙り込んでしまった。

 黙り込んでしまっていても二頭の時間が止まることもなく、ついにはしまった。

「ねぇ、行こっか。キツネさん達始めちゃったし」

「そうですね」

 僕たちに二頭の時間を邪魔する権利はない。

 もうだいぶ歩いたので、僕たちは戻ることにした。自分達の足跡を辿っていく。

 隣を歩く先輩の顔は少し赤いようにも見えた。

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