第20話 妹はからかいたい

「あ、お姉ちゃんお帰り、今日は早――――ん~……?」


 珍しく帰宅の早いお姉ちゃんに麦茶片手に挨拶をすると、お姉ちゃんの背後に見たことのない男の人が立っていた。


「……お、お姉ちゃん……その人だ――」

「さ、桜織さおり! ……お、お姉ちゃん今から凄く、すごーく大事な話があるから絶対に部屋に入っちゃ駄目だめよ! 絶対よ!」


「え、は――」

「さ、早く入って頂戴」


「お、お邪魔しま――ちょ――!」


 私の姿を発見して、完全にしまったと言わんばかりの表情を見せたお姉ちゃんは、即座にその男の子の手を引っ張って自室へと籠りバタンと荒々しく扉を閉めてしまう。


 ゲリラ豪雨の如く過ぎ去った展開の中で、私は一人ぽつんと立ち尽くす。


「ほうほう……なるほどなるほどー」


 まさかここまで唐突になるとは思ってなかったけど……もしかしてあの人がお姉ちゃんが散々言ってきた季松すえまつさんじゃないの……?


 今のお姉ちゃんを形作ったと言っても過言ではない、あまりにも好き過ぎてつい最近になってようやく少しお話が出来た相手が、まさか家に来るなんて――


「へえ……お姉ちゃんも中々やるじゃん、妹は嬉しい限りだよ」


 意外に顔も悪くないし、何というか女の子の家に来てあれだけ慌てふためいている感じとか見るとお姉ちゃんを誑かそうとか考えている人にも見えない。


「しかしこれは……面白いことになってきましたねえ」


 あんなに焦っているお姉ちゃんも珍しいし、どうやらいくら私に日頃から季松すえまつくんの話をしているとはいえ、こればっかりは想定していなかったご様子。


「よーし……」


 こんなタイミング次は無い、私も季松すえまつくんとお話してみたかったしね……。


 それに日頃からお姉ちゃんには散々勉強の邪魔をされているから、たまには仕返しをしてあげないと、割に合わないよねー……?


「何よりお客さんが来てるのにおもてなしをしないのは失礼だし~?」


 私はそう独り言を呟くと、キッチンからコップを3つ取り出し、『1日1杯まで』と決められているりんごジュースに手を付け注いでいく。


「お菓子は……ま、これでいっか」


 買い置きしているお菓子をいくつか取り出し菓子盆の中に放り込んだ私は意気揚々とお姉ちゃんの部屋の前まで向かう。


「さてさて……当然ながら鍵は掛かっているだろうし……と」


 ヘアピンを髪からさっと抜き取ると、小さな鍵穴へとそのヘアピンを差し込む。


 実は部屋の扉の鍵は大体シンプルな構造だから差し込んでくるっと回せば簡単に解錠する。


 お姉ちゃんは普段部屋の鍵を掛けないから、鍵を掛けるまでの知恵は回っても開けられることは想定していないはず――と私は心の中でほくそ笑むと鍵を開けドアノブに手を掛けた。


「…………え?」


 しかし、鍵は開いたはずなのにドアノブを下げて押しても、うんともすんとも言わない、ま、まさか……。


「私が鍵を開けたと同時に、鍵を閉めた……?」

石榮いしえさん? そんな所で何を……?』


『何でもないのよ! ほ、ほら! こ、こうやって立っている方が様になっているでしょ? さ、は、早く教科書とノートを……』


 すると季松すえまつさんとお姉ちゃんのくぐもった声が聞こえてくる。でもその距離感は明らかにお姉ちゃんの方が近い……。


 既に対策済みだったってことね……やってくれるね。


 鍵を開けるだけなら大したことはないけど、お盆を片手に持った状態だと私も素早く隙をついて扉までは開けられない――


 それにあまり慌ただしく、無理にこじ開けて入ってしまうと私のせいでお姉ちゃんの心象が下がる可能性も……それは流石に可哀想だしね。


 こうなったら……想定外の事態に訴えかけて侵入してやる――


「――あ、お母さんお帰りなさい! 今日は遅いって話だったのに随分早いね」

『えっ! う、嘘……』


「――うん、何かね、お姉ちゃんがお友達を連れてきたみたいだから――そうそう、お菓子を持っていってあげようと思ったんだけど――」


『ちょ、ちょっと桜織さおり……!』

「いまだっ!」


 私はお姉ちゃんの動揺を見逃さず再度ヘアピンを使って鍵を開けると、ドアノブに手を掛け今度こそ扉を開けることに成功する。


 ついで足で扉を挟んで再度閉めるのも阻止――残念だったねお姉ちゃん。


「あ、お姉ちゃんが扉開けてくれたから、大丈夫だよ――てへっ」

「さ、桜織さおり……あんたね……」


 当然ながらお母さんは帰ってきている訳がない、それに今の声量なら季松(すえまつ)さんにも聞こえていないだろう。


 勝ち誇った表情を見せつける私に対し、悔しそうな顔を浮かべるお姉ちゃん。


 ふふん、お姉ちゃんは窮地に陥るととことん弱いのはお見通しなんだよねえ、さーて私もその勉強会とやらに混ぜてもらおっかな?


       ◯


 これは一体、何がどうなっていやがるんだ……。


 小さな机を挟んで向かい側に、二人の女の子が座っている。


 一人は言うまでもなくこの部屋の主である石榮いしえさん、専属家庭教師なる奇妙な名目の下、俺は彼女の家で勉強をすることになったのである。


 部屋の中は不思議な甘い匂いで満たされており、俺がいるとその匂いが腐ってしまうんじゃないかというくらい純度の高い香りが漂う。


 女の子の部屋に入るのが初めてな俺としてはその表現が正しいかは分からないが、しかし俺の部屋とは別世界のような感覚に陥りそうになる。


「それじゃあ改めて――始めまして! 私妹の石榮桜織いしえさおりって言います、いつも姉の雪織せおりがお世話になっております」

「あ、は、はいどうも……」


 そして石榮いしえさんの隣で屈託のない笑顔で挨拶をするのは妹の桜織さおりさん。


 流石に姉妹とあって石榮いしえさんと顔つきは似ているが、髪色や表情が明るいせいかそこまでソックリという雰囲気はない。


 まあ石榮いしえさんの妹というだけあってかなり美人ではあるけど……、大層モテるんだろうなぁというのが率直な感想だった。


 とはいえ、石榮いしえさんの部屋という名の異世界に放り込まれ、そしてこの唐突な妹の来襲、俺のキャパをゆうに超えた状況はどうにかなりそうだ……。


 だがそんな俺の状況など意に介さない桜織さおりさんは、にこやかな表情を崩さないままこう口を開いた。


「えーっと、失礼ですけど、お兄さんが季松すえまつさんでいいんですか?」

「へ? な、何で俺の名前を……?」


「? いやそりゃもちろ――むぐぐっ……」

「お、おほほほ……この愚妹ったら何を言っているのかしら、人の名前をそんな当てずっぽうで言うものじゃないわよ」


 何か言いかけた桜織さんの口元を石榮いしえさんが瞬時に塞ぐ。だが彼女も笑顔を見せちゃいるが明らかに目の奥が笑っていない、姉妹仲悪いのか……?


 いや、そんなことより何故妹さんが俺の名前を……。


 自分で言うのも何だが当てずっぽうで当てられる名前じゃない、まさか石榮いしえさんが――? と思った途端、妹さんは塞がれていた口元を振り解き、とんでもない爆弾を放り込むのであった。


「えー! いいじゃん別に! だって季松すえまつくんと付き合ってるんでしょ?」



「いっ!?」

「ひぃ!?」

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