龍人の賢人
大虎龍真
第1話 序00
まどろみから急速に意識が覚醒していくのを感じる。
膝に置かれた小さな手のぬくもりと緩やかな揺さぶりがそれを助長する。
「爺?爺?」
はっと目を覚ます。目の前には愛らしい少女が自らの顔を覗き込んでいた。
100人がいれば100人が可愛らしいと答えるであろう美少女。背中まで伸びるきらきらとしたプラチナブロンド。白磁のような肌にほんのりと桃色のほっぺた。初夏の青空のように澄んだブルーの瞳はアクアマリンのようだ。小さな桜色の唇が形よく微笑んでいる。それら顔のパーツが絶妙のバランスで配置されている。
髪色以外父親によく似ていると言われる容姿は、将来、大輪の花を咲かせることを疑わせない。その容姿を見て、庇護欲をかきたてられぬものは、このような可愛らしさに嫉妬を抱くような精神の持ち主か、美に対する基準が常人と違うものだけだろう。
そんな少女がやや心配そうな表情を向ける。
今年で10歳の誕生日を迎えるウインドランド国第一王女ルーシアである。
案じるような表情ではなく、花のように笑う姫を見たいがために。揺すられていた人物はにっこりと笑いかける。
「これは失礼、姫様。居眠りをしてしまったようですな。」
一言で言えば巨大な男だった。爺と呼ばれただけに頭髪から顎鬚・眉毛にいたるまで色が抜けた白髪である。しかしながら、顔にはさほど深い皺は見受けられず、国の重要な人物が着る高価な仕立ての服が内側から大きく盛り上がっている。さりとてそれは太っているのではない。服を下から盛り上げているのは脂肪ではなく厚みのある筋肉であった。
高価なソファに身を沈めていても尚、立ち寄る姫が見上げる巨漢。立ち上がれば2メートルは超えるのではと思える体躯ならば普通は周囲に威圧感を振りまくものであるが、その瞳にたたえた深い英知と柔和な表情が、この人物が物静かで穏やかな人物であると創造させる。
歴史がありながらも大国とはいえなかった国力を急速に増し、その影響力を大きく伸ばし大陸にその名を轟かしつつあるウインドランド王国。2大大国と呼ばれるエンドランド帝国、バルドフェルト法王国に迫るとも言われるようになってきたこの国の第一王女であるルーシア姫の私室。
その部屋の真ん中辺りに、最近歳のためか寒さに弱くなったという爺のためにと、この部屋の主人たる姫が私室の中でわざわざ一番日当たりの良い箇所を選んで設置したソファに腰掛ける人物こそ、この王城に住む王家に連なる子供たちから育ての親と慕われ、現国王に「我が人生の師にしてもう一人の父」と呼ばれ、さらに王国を現在の地位にまで引き上げた先代の王の若き頃から側に副官として仕え、今尚、各国から動向を注目されるウインドランド王国文武総指南、ヴォルレウスであった。
己の身体を心配して配置されたソファに座りながら、姫と他愛無い話に興じていたのだが、背中のほうから感じる晩冬の日の暖かさに、ふと意識を手放し眠りこけてしまったらしい。
(この身体だと、睡眠は必要なことだとはいえ、まさか眠ってしまうとはな……。最近、だいぶ太陽の光が暖かいから、もう春も近いのだな。それに私も思ったより疲れておるかも知れんしのう。)
ヴォルレウスはゆっくりとソファの中で居住まいを正す。ちらりと日の傾きを見ると意識を手放す前とほとんど変わっていない。どうやら眠ってしまったのは一瞬のようだ。
「大丈夫?爺が居眠りなんて珍しいね。やっぱりこの前の任務で疲れているのではなくて?お父様もわざわざ真冬にあんな北の方に送ることなんてないのに……」
ぷう、と姫が怒りに頬を膨らませた。そのあまりに愛らしい光景に我知らず笑みを浮かべたヴォルレウスは言い聞かせるかの如く口を開く。
「姫様。お気持ちはこの爺とても嬉しいですぞ。ですが、あれは仕方ありませぬ。お父上も出発を春に遅らせてもいいとおっしゃっていただきましたが、これは先代の国王様の頃からの大事な政で、お国にとっても重要な事柄でございます。もし報告通り危険な兆候があるならば、民達には大量の餓死者が出ることも考えられましたゆえ。」
この任務とは、先代が若き領主である頃から仕えるヴォルレウスに託した『王国の目』の儀、その最終確認任務である。
『王国の目』とは、成人の儀をむかえ宮廷勤めになる若い貴族の子息たちのなかから数十名を無作為に選び、互いの領地を視察させ、良き点も悪き点も王に報告させる制度である。将来、領地を継ぐことになる若き貴族たちに生きた知識を与え、良ければ参考に、悪しければ反面教師とし、いずれ訪れる自らの領地経営に生かさせる狙いがあるが、同時に王国の領土として民衆の反乱につながる様な粗悪な統治が行われていないかの監視業務でもある。
『王国の目』に選ばれた若人たちは数名の護衛と共に1ヶ月程度、担当に割り当てられた地域を充分に視察する。ここで問題がなければいいが、問題がある場合、報告した担当者も含む5人の調査官にさらに1ヶ月追加の調査が任ぜられ、5人中2人以上、継続担当調査官が判断を変えることはまずないため、実質追加された担当官一人以上が問題ありと判断した場合、最終工程となり、時の王自身が直々に担当官を任命し、最終調査が行われる。
その最終調査官に今回も拝命されたのが王国文武総指南を勤めながら王の第一の副官と言われるヴォルレウスであった。特別な事情がない限りはほぼ毎回といっていいほど最終調査官に任命されることを取ってみても、先代を含み国王からの絶大な信頼を想像できるというものだ。
責任重大な任務であるとのヴォルレウスの返答に姫は溜息をつき、話題を変える。
「それで、調査することになった何とかって伯爵領はどうだったの?結局、爺がお咎めなし、口頭注意のみで済ませたということは聞いたけれど……」
「領内で盗賊団がはびこっているという訴えが、最初の調査で民達からよせられたようですな。どうやら伯爵は捜索と討伐の隊を出したようですが、隊の騎士達は盗賊団を追い払ったものの、討伐まではしなかったようでございました。盗賊相手では名声は手に入りませんから騎士の方々があえて危険を冒さなかったお気持ちはわかるのですが……追い返しただけでは舞い戻って来るのも自明の理でございます。ウイリーヤ伯爵様に自前の兵だけでなく、冒険者の方など外部の人間を雇うこともお考えいただくことを進言いたしました。」
「つまるところ伯爵はお金を出し渋ってたってところかしら?」
「騎士団を動かしておりますからお金を動かしてはいないとは言えませぬが……まあ騎士は自らの手足と考えるご領主の方も多いでしょうし、出し渋ったというお考えは間違いではございませぬ。それに件の盗賊達と衛兵との癒着も考えられましたゆえ。」
「だから、直接の関係の無い冒険者を雇うことを進言したわけね?」
「おっしゃるとおりでございます。」
「お祖父様の頃から右腕として名高い爺に査察のために領内まで来られちゃったら、その伯爵もさぞや生きた心地がしなかったでしょうね。お気の毒。寿命が縮んだんだじゃないかしら?」
ころころと笑う姫の様子にヴォルレウスは目を細める。
知る者は知っているがこの『王国の目』には別の狙いもある。
互いに互いを監視させる業務をさせることにより、縦のつながりだけでなく横のつながりを持たせようというものである。かつて王国は派閥だらけで互いにいがみ合い、足を引っ張り合うばかりであった。広い領土と権力を持つものが派閥の長となりその下につく者たちが他の派閥のものと牽制しあう。それはまさに縦の関係である。
そこに互いの領土を無作為に監察する制度を設ける。下手に敵対するものが自らの領土に来れば、場合によっては悪意に満ちた報告をされ、国王の手のものから厳しい審査を受け、下手をすれば取り潰しの憂き目に会うことも考えられる。例え派閥の中から調査官が選ばれたとしても、派閥の下のものとして誇りを傷つける態度や取るに足らないものとして蔑ろにしていた場合も容赦のない調査という報復を受ける可能性がある。
そのため貴族たちは段々と派閥を超えて付き合いを構築するようになり、いがみ合うよりも良好な交流を行うようになっていった。これが横のつながりである。
これにより、王国の貴族たちは互いを尊重しあい、足を引っ張り合って功績を奪い合うことが少なくなった。このことが国力の増加に良い影響を少なからず与えている。
このような事情により、最近は『王国の目』で、調査が最終段階まで達することは非常に稀であったが、今回は調査官に直接訴えがあったため、無視するわけにはいかなかったのであろう。
さりとて、些事とはいえないが爵家を取り潰すような案件ではない。よって口頭注意で済んだわけだが、最終調査まで受けた伯爵家は先代からの王国の重鎮たるヴォルレウスをその領土に迎えることになりさぞや肝を冷やしたであろうと思われた。
「でも本当に今日は休んでもいいのよ?ターニャにでも相手してもらうから。」
再び気遣わしげに姫は話す。
ターニャとは、ルーシアが幼い頃から彼女の侍女として就いている女性である。ルーシアとは3つ違いで侍女と主の関係を超えて、姉妹のような関係を築いている。今も部屋の外で控えているはずだ。
自らを心配する姫の様子にヴォルレウスは思う。
本当に優しいお方に成長なされた、と。
いや、彼女だけではない。ヴォルレウスが幼い頃より教育を施した王家の子供は皆、己よりも他人を気遣い、ある者は民のためこの国のためと、またある者はある意味自己犠牲精神により身を削り様々な活動を行っている。そしてそれは現在の王も同じ。
(皆、真っ直ぐに育ってくれた……。私は果報者だ。もはやこの国の未来に何の憂いもない。きっと、私がいなくなろうとも発展し続けれるであろう。)
この王宮に古くから勤める重鎮でも、ヴォルレウスの実年齢を知る者はいない。しかし先代と共にその副官として王宮入りしたころから既に見た目は壮年に片足を突っ込んでいた彼の外見から察するに、多くの者は80歳を超えていると考えており、姫もそう予想していた。
「ご心配には及びませぬ。姫様雅ご用意してくださったこの椅子があまりに気持ちよくて思わず寝こけてしまいましたが、姫様のお話相手は爺の老い先短い喜びでございますれば」
「もう……また老い先短いだなんて言って!爺には長生きしてもらうんだから!」
ヴォルレウスの言葉に、少し寂しそうな表情で唇と尖らせる可愛らしい少女の表情に和ませられ、ますます表情を緩ませる。
「ふふ、申し訳ございませぬ。もはや口癖となっておるようですな。」
「そうよぉ。不吉なことは口に出すことは控えると教えてくれたのは爺でしょう?」
してやられたという表情をして、ぴしゃりと額を叩く。
「ははは、姫様のおっしゃるとおりでございます。さて、それではそろそろ本日の王国の歴史の講釈をを始めましょうか。前回は先代が私と出会い、王家直轄地の領主代理に就任したところまでお話したのでしたな。今日はその続きからお話致しましょう。」
「はーい!お願いします!」
授業開始を告げると、急に元気に手を上げて答えるルーシアの様子に再び表情が緩んでしまいそうなヴォルレウス。
そして、彼の意識は過去へと馳せる。
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