魔女は叫ぶ

岩清水

魔女を知りたい女子大生

「あ?」


 それは、とても威嚇をしている様な低い声だった。

 初めて『魔女』を見た。偶然、その場所に居合わせた。

 案外、人の形をした人外は身近にいたようで、藤色の瞳を細めて睨んでくる。

 その手にはカップラーメン。

 随分と庶民的な『魔女』だ。


「男の……『魔女』……。」

「ああ? 何だよ、お前。……男で悪かったな。」


 驚いて唖然とする彼女に、彼は構わずにラーメンを啜る。

 これが人の蘇生以外は何でも出来る『魔女』と彼女の初対面。

 恋をして、『魔女』になった青年と、ただの大衆の1人である女性の出会いだ。


──────


 山城ヤマシロ ルイは大学構内を走る。目指すは人気のない、使われていない教室だ。

 重いリュックを背負い、手には購買で買ったお昼ご飯。

 目的の教室に着けば、類は扉を勢いよく開ける。


「お待たせしました!」

「待ってない。」

「え、早くない? 食べちゃってるの?」


 綺麗に整頓された机と椅子達。教室を埋め尽くす机と椅子の1組に1人の青年が座っている。

 扉が開いたのと同時に、顔は類に向けられる。その顔は呆れていた。

 彼の特徴的な藤色の瞳は出会った時と全く同じように、細められている。

 彼女が席に着くのを待つこと無く、彼はカップラーメンの蓋を開け、食べ始める。類は慣れた彼からの態度に涙を少し浮かべながら、わざとらしく悲しそうな顔をする。


「酷いよ……お昼、一緒に食べよう! って約束したのに……。」

「した覚えは一切ねぇし、アンタが勝手に約束をしたんだろ。いや、アンタが勝手に俺の所に来てんだろが。」


 何が「酷い!」だ。悪態と共に彼は麺を啜る。

 出会った頃から一切変わらない塩対応に諦めつつ、類は袋からパンを取り出す。

 お昼ご飯はパン2個だけでは無い。インスタントのシチューも一緒だ。


「あ、お湯入れてくるの忘れた……。」


 お湯を入れなければ食べられないインスタントのシチュー。折角、彼のお昼に間に合ったのにとんだロスタイムとなる。

 お湯を入れに行き、戻って来た時に彼がこの場に留まっていてくれる保証は何処にもない。塩対応をする彼が、類の事を待っているという図が、類本人に浮かんでこない。

 期待が出来ない程に彼の対応は、人付き合いをするにあたって自分本位にあるものだ。


「ごめん、お湯を入れてくる!」


 待ってくれていなくてもいい。そうなったら1人寂しく食べればいい。

 1人は類自身も好んで選ぶ事が多い。

 ただ、『魔女』である彼に会えたのなら、今日も色々な事を聞きたかった。お昼ご飯を食べる、その合間のちょっとした所で『魔女』について話をしたかった。

 恋をしなければなれない『魔女』の話もそうだが、不思議な雰囲気を纏った塩な彼とただ会いたかった。少しで良いから会話を交わしたかった。

 急いで走った理由の大部分は後半だ。彼に会いたい、話をしたい、同じ空間にいたい。それだけが類の中にあった。

 残念だ。折角着席した椅子から立ち上がり、購買へととんぼがえりする所を彼に止められた。


「お湯を出してやるから、とっとと座れ。忙しねぇ奴。」


 インスタントのシチューを出す様に要求され、彼に差し出す。そうすれば、シチューの蓋は半分開けられ、その中に何処から現れたのか分からないお湯が内側の線まで入れられる。

 湯気が立ち、返されたシチューは温かい。


「これで良いだろ。」

「あ、ありがとう!」

「アンタが戻ってくるまで待つのが面倒なだけだ。」


 お礼を言われる筋合いはない。渾身のお礼を彼は受け付けない。寧ろ、鬱陶しいと返してくる。

 とことん冷めた態度に心が痛い。確かに、男なのに『魔女』という所で驚きと、貶す様な言葉を出した。

 彼に軽くあしらわれるのには十分な理由だ。

 気になる相手からの冷めた態度は苦しい。メンタルが強いとも言えない類の涙腺は崩壊しそうだ。顔を見られないように、目線を下げる。

 シチューの温かさが更に涙を助長させてくる。


「サイレント。」


 静かに紡がれる呪文。それは防音の為の魔法だった。

 彼は類といる時、この呪文をよく使う。

 人気が無いと言っても、人が完全に通らない訳では無い。彼にとって『魔女』の話は不都合が多いのだろう。誰にも話して欲しくない、知られたくない事。

 薄く、透明な不思議なドームが彼を中心に広がる。その様子に思わず顔を上げる。


「で、今日は何を聞きたいんだよ。」


 観念した様なため息。それでも、彼から『魔女』について話を聞くことを許された──彼と会話をして良い事に先程まで流れそうだった涙が引っ込む。

 目を見開いて彼を見れば、怪訝そうな顔をする。また、藤色の瞳を細めた。


「何? 今日はねぇの? なら──、」

「ある! あります!! 滅茶苦茶あります!!」

「分かったから、音量下げろ。煩い……。」


 煩わしいと顔に映し、両手で耳栓をした彼は、落ち込んでいた様子から打って変わった類の態度に微かに笑みを浮かべた。

 今日もお昼の時間は、類の騒がしい声で教室がいっぱいになる。そんな予感が彼女が現れた瞬間から彼の中にはあった。


──────


 彼が『魔女』である。それ以外に何を知っているか? と聞かれれば、あまり知らないと答えられる。

 彼は類からの質問には的確に答えてくれるが、自分自身の事は一切話さない。

 だから、類にとってはお昼の時に会える男の『魔女』としか認知が出来ていない。いや、基本的には冷たい態度をとるが、所々で優しさを見せてくれる男の『魔女』だ。

 『魔女』は恋をしたその場所、その瞬間に人間で無くなる。詳しくいえば、恋を自覚した瞬間だ。

 その時に虹彩の色はどんな人でも藤色に変色を果たす。だから、『魔女』を見分けるのには判りやすい特徴だ。

 彼の瞳も藤色だ。という事は、彼も誰かに恋をして、それを自覚して『魔女』になった経緯がある。


「君は誰に恋したの?」

「何で、そんな個人情報をベラベラ喋らなきゃなんねぇんだよ。」

「えー教えてよ! 凄く気になるよ。」

「気になんな。兎に角、『魔女』は恋をした異常者の総称なんだよ。どいつもこいつも、恋に狂ってやがる。」

「恋は盲目ってやつ?」


 そうだな。今日も今日とて、彼はカップラーメンを啜る。飽きもせずに。

 類は珍しくチャーハンを作り、それを持参して来ていた。


「『魔女』になった奴は恋で人間辞めさせられて、恋でやっと死ねるんだよ。」

「恋で死ねる?」


 塩分が大量に入ったスープを彼は煽る。飲み干して、一息をついた後に類の言葉に返答する。


「恋を自覚した瞬間、『魔女』──俺たちは不老不死になる。何をやっても死なねぇし、頭をかち割っても、心臓を抉り出しても、死なない。老いることも無い。魔法で自在に年齢は変えれるけど、成長も死ぬ事も出来なくなる。」

「マジで!? それ、人類の長年の夢じゃん!」

「夢か?」


 これが。薄ら笑いを浮かべると、カップラーメンの器を魔法で粉状に粉砕する。


「死にたい時に死ねないんだぜ。そりゃ老いて死ぬなんて怖いのは理解出来る。でも、ずっと生きているって、精神的に死ぬんだよ。自分という定義を見失う苦しい苦行なんだよ。」

「そうなんだ……。」

「夢なんて見なくなる。それでも『魔女』は夢を見る。」

「それが恋?」

「ああ。『魔女』はただ単に不老不死になるんじゃなくて、1つの条件を持って不老不死になるんだ。」

「1つの条件?」

「恋を自覚した相手と両想いになる。かつ、想いあった状態で相手が死ねば、俺たち『魔女』もやっと死ねる。」

「それが、恋に死ねる。」


 ああ。類が彼にお土産で買ったお菓子を、彼は包みを開けて食べ始める。


「『魔女』はどいつもこいつも、恋狂いをする異常者だ。恋に振り回されて、恋しないと死ねなくて、恋で全てを壊される。」

「君も含めて……?」


 彼の声が詰まる。さっきまで良かった返答が、間を開ける。


「そうだな。俺も狂った。」

「もし、私も恋したら、『魔女』になるって事ある?」

「今、誰かを好きか?」

「好き……と言える人はいる。」

「恋してるな。それで目が紫にならずに、『魔女』の自覚がないなら『魔女』にはならねぇよ。そもそも、『魔女』は突然変異だ。恋を自覚した所でなる奴もいれば、ならない奴もいる。遺伝的なものもある奴もいれば、ない奴もいる。」

「でも、何で男なのに『魔女』って言葉使われるの? 『魔女』ってそもそも魔法が使える女性の事だよね。」


 お茶を飲みながら新たな質問を類は口にする。彼は2つ目のお菓子の袋を開け、口にお菓子を入れる。


「恋狂いをする奴は、初めは女だけだった。だから呼称は『魔女』になった。まあ、魔女って単語は魔法が使える男にも使われていた歴史があるからな。恋に落ちて、狂った俺も『魔女』なんだよ。」


 初めて知る知識に、類は感嘆の声を漏らす。彼は博識な所がある。

 それは不老不死である事が関係しているのだろう。人よりも長く生きるからこそ、様々な知識を得る。


「恋に狂ったって言うけどさ、どんな風に狂うの? 例えば。」

「は? ……好きな相手を監禁して、自分を好きになる様に仕向ける。」

「え、」

「いや、好きだって言ってた癖して別の女の元に行って『魔女』に焼き殺された事件もあったな。」

「怖っ!」

「執拗にただ1人に言い寄って、誰かと結ばれたいが為に魔法で誰かの好きな人になったり、洗脳したり、邪魔する奴は皆殺しにしたり。」

「怖い怖い怖い!!!!!」


 容易に想像が出来る光景に類は自分の腕で体を抱きしめる。何それ、怖い!!!!!

 下手な怖い話よりも怖い話に、背筋を悪寒が走る。

 想像以上の狂った人の話を聞いて、震えている類にポツリと彼は口を開いた。


「後は──諦めきれずにずっと、ただ1人しか眼中に入れていない『魔女』もいるな。そいつだけでいい。そいつと愛し合って、死にたいって奴。」


 彼の目は優しい目をしていた。物思いにふけているのか。

 時折見せる彼の優しい目が類は好きだ。真正面から見ることが叶わない、ふっとした時に見れる柔らかく細められる目が好きだ。

 怪訝そうに細められるそれとは違う。

 誰を想った? 誰を思い浮かべて、優しい笑みを浮かべるの?

 それはきっと、自分ではない。そんな自信が根拠もないのにある。

 優しい声音に、優しい藤色の瞳を向けられる誰かが羨ましい。彼に恋させた相手が羨ましい。

 言葉を出そうとしても、身の程を知っている。こうやって質問に答えて貰えるほどに好感度はあるのかもしれない。だが、それまでだ。

 優しさを向けてくれる、話をしてくれる、それだけが物差しじゃない。

 それで図るほど、愚かではない。それだけで彼が自分を好きだと自惚れるなんて出来やしない。分かっている。


 彼が好きな相手は私ではない。


 突きつけられてしまった事実だ。

 鬱陶しいから付き合ってくれているのだ。もしかしたら、彼女だって彼氏だっている可能性がある。

 ずっと、彼とのお昼の時間は居心地が良かった。

 呆れて、それでも優しくしてくれる彼に甘えていた。

 彼にだって、『魔女』になるほどの感情がある。傍にいれば、その感情を殺す事になる。妨害する事になる。

 それでも、


「おい、昼休み終わるぞ。」

「え、あ! 本当だ!!」


 類は無理やりに笑顔を作った。悟られない様に、元気を振り絞った。

 彼の魔法が解除され、教室の扉が開くようになる。リュックサックを背負い、3限目に向かう。


「今日もありがとう! また明日!!」


 振り返って、彼に向けて手を振った。彼は手を振り返すことなんてしないけど。

 欲張っても良いよね。彼は嫌だとはまだ言ってない。まだ、来るなと言われていない。なら、まだ彼とのこの狂おしい空間にいても良いよね?

 3限目までの時間は迫っている。走らなければ、間に合わない。

 駆け足で廊下を通っていると、類と彼がいた教室に向かう1人の中年の男性がいた。類が通う大学の教授だ。顔は見た事がある。


「こんにちは。」


 挨拶をすれば、その教授は軽く会釈して過ぎていく。

 この教授が行う講義が、彼女達が使っていた教室を使うのだろう。なんら可笑しくもない光景に不思議に思わず、類は講義に急ぐ足を更に急がせた。


 次の日、いつの間にか日常になっていた彼とのお昼は終わりを告げた。

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