save53 蠢く闇
白き美風が疾走している。
先陣を切って走るエリスの向かう先には、ルミランスの城がある。
かつては戦場となることを想定して造られ、けれど千年の時に化粧をされて、王城に近いこの辺りは特に美しく生まれ変わった場所だった。
だが濁った空の下では、それらの彩りすらむしろおどろおどろしい印象を与え、不気味な淀みが漂う空気を醸し出している。
そして事実、そこに蠢くものたち。
エリスに大きな影が被さった。
〈
どす黒い紫のヘドロを塗り重ねた、太り過ぎた肉体の上に、幼児の面影を残す吹き出物まみれの大顔が。
ぼわー、とたるんだ両腕を振り上げ、エリスに襲いかかる。
どむんっ、とひと蹴りでふっとばされる。
数十メートル離れた物陰で、なにかが動いた。
〈
黒い皮膜で覆われた巨大な目の玉。這いまわるための虫の足を生やして、頭頂までは一メートル半。
かさかさっ、と数匹が影を縫う。
一つ目たちは暗がりの中から、眼球に魔力を漲らせて、瞳孔より射撃。
エリスは回避し、ビーム数発を点射。見事に命中させて撃ち抜いた。
〈
俺は強いぜ。俺は殴ってやるぜ。
異形の巨体は太い両腕をかかげて雄叫びを上げる。
体形は逆三角。人形の頭部は無く、釣り上がった2つ目が胸部に、腹に口がある。
ウォーン、再び響く腹声を発し、ぶおんっ、と腕を振るう。
軽やかにかわし、
ずどむんっ、とパンチで殴り倒す。
散発的に現れる敵を蹴散らしながら駆け抜けていく。
石畳に靴音が響く。
クロイはネネをおぶって、エリスの背中についていく。
ウォーンと反響音、巨大な拳を打ち込んできた威張り腕を、ばぐぅうんっ、と蹴り飛ばす。文字通り空の彼方へ。
エリスは振り返り、器用に後ろ向きで走りながら、声をかけた。
「やるではないか」
「あんたほどじゃねえさ」
笑みを浮かべて言うエリスに、クロイはしかし、賛辞を受け取ろうとしない節が見えた。それは謙虚というものではなく、してはならぬという意識の表れのようだった。
「そなたも前に出てみるか。ひと暴れしてみてはどうだ。ネネはわらわが預かろう」
「いや」
強い否定を、クロイはした。
「それはできねえ」
「うむ……。」
エリスは引き下がる。後ろ向きに走りながら、少し調子に乗りすぎたと反省する。
どうにもテンションが上がっていると思う。
この感情には覚えがある。
彼はすごい。
断じて恋ではない。
ただ、ときめきがある。
と、
「「!?」」
クロイと、おぶわれたネネの表情が変わった。
「おいお姫さん」
顎をしゃくって、エリスの背中側を示す。
エリスは向き直って、前方を見る。
城がバキバキと変形し始めていた。
「!?」
凄まじい光景だった。
組み上げられた大きな切石、魔法で補強されているそれらの拘束が砕けて、宙に舞い上がっていく。わずかの時間差で、ガラスが砕けたような破砕音が、しかし遥かに巨大な轟音となって、身を切り裂くような突風として三人を吹き抜けた。
分解されていく城。宙に浮いた建材は天に向かって、階段を作り上げていく。
その中を、ゆっくりと垂直に、登っていく。
それは――〈島〉のように見えた。ばらけた切石が、浮いて集まり、接着を強固にし、上方に押し上げていく。その頂点は平らである。平面の中心にあるのは、かつての玉座の間であった。天井は砕け、柱と壁の名残だけを乗せた浮島が、天高くまで上昇していく。
そうして、見るものを圧倒する、奇態極まる不穏なオブジェとして、その巨大な異容は組み上げられた。
空を漂う瓦礫の海に、宙に浮いた螺旋階段。天頂にある玉座を掲げた浮島は、これからそこに挑まんとする者たちを、待ち構えるように存在していた。
エリスとクロイは、足を止めている。
「ふむ……。敵はどうやら、大仕掛けが好きらしいな」
エリスは不敵な笑みを浮かべて言う。
クロイは沈黙を保ったまま、強い目つきでそれを見上げている。
ネネは彼の背中でなにを考えているのだろう。幼い瞳の奥には、あそこで起こるだろうなにかへの、不吉への怯えが見えた。
「よし……ゆくぞ!」
宣言して、エリスは再び駆け出した。
◆ ◆
アルド・ルシーナ姫王国。
初代佐王の巨大立像に見守られる王都ユミエールは、いつも通りに平和である。
城の中にある庭園で、エリーゼとポチールが会話をしている。
「……姫さまとロイドさん、いまごろなにをされてるでしょうねえ」
空に問うようなポチールの言葉に、エリーゼは視線を
「ところでエリーゼ様は、ロイドさんに対して、なんらかの期待をされているように見受けられました。――実際、なにか思いはあるのでしょうか?」
「そうだな……」
エリーゼは、見上げたままで少し言葉を探してから、ポチールに視線を移し、語りだした。
「エリスは……我が娘は。
立派に育ってくれた、と、思う。
色々と大変なこともあった。だが、結局は、あれの中にあったものが、正しく自身を導いたのだろう。
今は自らの行く末を、しっかりと自分で決めている。
すべての母になる、と、あれは言う。それは尊い決意だと思う。
……ただ、なんの心配も無いというわけではない。
むしろ、ある意味においては……極めて大きな不安がある。
あれは、強いままで大きくなった。
だがそれは、折れぬということではない。
むしろそういう芯は、人並みに過ぎぬと、妾は思っている。
けれども。
あれは……強いから。
重荷を背負っても、なお立ててしまうということが。
それがために、弱音を吐くことを、自らに許せないだろう、あれのことが……心配で。
案ずるしかできないことが、親としては……不甲斐ない。
なればこそ願うのだ。
あれの隣に、立てるものを。あれと共に、背負える者を。
そして叶うなら、あれが負いきれなくなった重荷を、代わりに担いでくれるような。そんな頼りがいのある背中の
――あれもいい歳だ。
このままなら、いずれ婿を取ることになるだろう。
あれも、その辺は、受け入れるだろう。
だが、
恋を、させてやりたい。
――あの子への……エリスへの想い……勇者ロイドへの期待……、言葉にしてみれば、ただそれだけなのかもしれんな」
二人のもとに、花壇の手入れをしていた佐王マオスが近づいてくる。
「……結局のところ、
女の幸せとは、男に添うてあるものだと思うのだ」
そう言って、エリーゼは、母の眼差しを見せた。
そうして、彼方の、我が子を思うて、空を見上げた。
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