save49 操り糸
湖の塔の上階にある、とある部屋。
部屋の中には、古びた机や、椅子などがある。それらは遥かな昔からそこにあり、その古び具合はしかし、当時から変わっていない。
この部屋は今、荒くれた男たちの、詰所になっていた。
「湿気たところだ」
スキンヘッドの大男――ゴッパは椅子に腰掛けて吐き捨てた。
このダンジョン、内部は観光用に開放されているわけではなく、整えられた綺麗さとは無縁ではあったが、部屋はいま、酒瓶や食べ滓などが放り出され、手の加えられた乱雑さに満たされていた。
むさぼり食った肉の骨を床に投げ捨て、新たな汚れを追加しつつ、ゴッパは考える。
捕まえたあのガキを、さて、どうしてくれようか。この俺様に恥をかかせた礼を、どうやって返してやろうか。
ニヤニヤしながら、テーブルの上に置いてあった酒瓶を手に取る、が、空。
おい!
壁に叩きつけられたビンが砕ける音と、その怒声と、駆け込んできた男の一声はほぼ同時に響いた。
「お頭!」
「ああ?」
「いま、道化師の野郎が。報せにきやがったんですが、あの――、」
明らかに不機嫌そうに睨みつけられ、唾を飲み込む間をおいたあと、
「連中が牢から逃げたそうです。あの眼鏡と、エルクのガキが」
「なぁんだとぉ?!」
ゴッパ、ぐわっ、と立ち上がる。
ひどく苛立った様子でブツブツつぶやいた後、舌打ち、
「めんどくせえ。捕まえるぞ! 外の奴らも呼んでこい!」
「わ、わかりやした!」
男が出ていくのを見送って、ゴッパは、部屋の中にある宝箱を開けた。
かつては文字通り宝箱として存在し、今は臨時の物入れとして使われているはずだったそれの中には、しかし。
「――おいリュックはどこだ」
「はい?」
部屋の中にいた男の一人が間の抜けた声を上げた。
「あの眼鏡野郎のリュックに決まってんだろうが! 装備一式もだ! あっただろうが! ここに!!」
全員、ざわ、となる。
ゴッパの勘気に可能な限り触れないようにしながら、口々に、わからないと答える。
「糞が!」
大きな足が宝箱を蹴り壊した。
◇ ◇ ◇
邪教徒のアジト、と称された場所で見つけた三人組とともに、エリスは王都に帰ってきた。
彼らの足に合わせた分、時間はかかった。
その足で警察署に行き、事情を話して、三人組を預かってもらう。
一時牢屋に入れられることにはなったが、彼らは最後までエリスに礼を言っていた。
(さて……)
署の外で、エリスは考える。
状況が全く見えていない。自分の能力の不足もあるだろうが、事態それ自体が複雑であるというか、混沌としているというのか。
自分一人でできることには、限界がある。
得意というわけでもない客観視で見ても、そう思う。
彼と再会したい、と思う。
いまは素直に、会いたいと思えた。
……宿に向かおう。
伝言を残しておいたあの宿に。なにかあるかもしれない。
と、
「――聞いたか? マーサの食堂の話――、」
「ああ。なんでもダークエルクを匿っていたとかなんとか」
(ん……?)
エリス、足を止める。聴き逃がせない単語だった。が、続いたものは彼女をそれ以上に驚かせた。
「あのロイドって坊主、いただろう。めちゃくちゃ大食いのメガネの坊主」
「ああ」
「あいつもな、捕まったらしい……」
「マジかよ……」
「ッ! その話ッ!」
詳しく聞かせてもらえぬか!
エリスは男たちに詰め寄った。
◇ ◇ ◇
ロイドとネネは塔の中を上に向かって進んでいる。
かつてのダンジョンは、入り組んでいる。迷宮として造られており、行き止まりが普通にある。
ロイドは王都ルミランスのガイドブックを手にしている。そのなかの記事の一つ、
『徹底攻略! 湖の塔!』
持っててよかった攻略本。ダンジョンの図解が載っているそれを頼りに、駆け抜けていく。
ネネの手を引き走りながら、ロイドは考える。
いま、自分たちが逃げているという、この状況について。
いま、自分たちがその上を走っている、手のひらのことを。
悪意の
悪意の繰り手。彼――とそう呼ぶが、彼は無感動を何より嫌うものだと思う。
また反対に、感情、その高ぶりを、求めているようなふしがある。
少なくとも、悪意の繰り手は、静より動を好む。
これについては、間違いないだろう。
脱獄しおおせている現状を見るに、いま、自分たちは、既定のルートを進んでいる。起こるべく想定された成り行きの中で、走っている。
ならばこの
もしも動かなければ、容易にペナルティが与えられるだろう。踊らぬならば要らぬとばかりに、
けれど踊りきれば、きっと、道はある。
悪意に対しての、信頼のようなものだった。
これはやはり、殺意ではない。そう思う。
閉ざし、絶望させる、というものでもない。
もがき、苦しませて、しかし一筋の糸は垂らす。
そのようなものだと思える。
ただの勘働きでしかないが――自分はそう思う。
ゆえに、
今は踊り切る。ために、上へ行く。
ネネはロイドを信頼してくれている。その手を預けてくれている。
塔から彼女を逃がすことが、すなわち彼女の助けになるとは思っていない。
彼女に伝えていないことが、起こる以上は。
ただ、彼女を牢屋に残しておけば、絶対に八つ当たりのターゲットになる。
逃げないという選択肢が、ぼくにない以上、ネネを残すことはありえない。
女将さんと、ジーンさんからも、頼まれている。その願いにも、沿いたかった。
脱獄は当然伝わっている、とみなす。
そして最大の関門は、通称、中ボスの間。塔の中層を守護する、強敵がいた部屋。敵はそこで、待ち構えているだろう。
壁を抜いて塔の外に出られれば一番良いが、転移の魔法がどういう具合に作用しているかまでは、ロイドにもわからない。そこに触るような手段は避けたかった。
上層への最短距離を進んでいく。そのうち幾つかの音を感じた。それらは意外にも、こちらへ降りてくるようだった。
「……それじゃあ、ネネちゃん」
ロイドは先程から続けていた会話を切り上げた。
思考と並行して行なっていたのは、中ボスの間における行動手順を、彼女に伝達するためのもの。
ネネは、頷いて。
二人の間で取り決められた事柄への、同意を示した。
ロイドは彼女の手を握り直して、足を速めた。
音を聞いて、避ける。マップと見比べ、移動を予測し、階段を登る。
待ち伏せるというわけでもなく、おそらく先走ったグループが、バラバラに動いているものだと思われた。
それらは脅威でもなく、順調に階層を上に。
やがて、たどり着く。
中ボスの間に続く上り階段、その前に。
上階へは、目の前にあるこの階段からしか上がれない。
ロイドは周囲を聞くが、階段の周りには誰もいない。
敵は、部屋の中を、ガッチリと固めていた。
ネネと共に階段を登りながら、ロイドはリュックの中からアイテムを取り出す。
上階の間取りは、単純なもの。丸い部屋が、二の字の形に壁で仕切られている。南北の壁には扉があり、北側に登り階段が。南側が、下り――いま、自分たちが登っている階段。
アイテムを揃えたロイドは、ネネを抱え上げる。突入したあとの動きは、先程の打ち合わせの通り。
ロイドの足が、上階の床を踏んだ。
バン、
扉空ける。
両側から飛びかかった男たちは、足元に転がる数個の手榴弾を見る。
飛び退いた男たち。同時に、カッ、と炸裂する、爆音と閃光。
合間を縫って、駆け込んだ。
ネネを片腕に抱えたロイドは、咥えていたスクロールを片手で広げる。
魔法の発動。生み出された煙が爆ぜるように広がり部屋を満たす。
スクロールを捨てると同時、ネネが手にしていた小さな装置を放り投げる。床に落ちた装置はけたたましい音を継続的に響かせる。
ロイドは煙の中で腰に手をやり、下げてあった丸い爆弾を取り外す。足元に落とし、蹴る。石畳の凹凸を物ともせず、滑るようにまっすぐ進んでいった丸い爆弾は、北側の扉までたどり着くと、爆発。
爆風が部屋を抜けるが、魔法の煙は揺るがない。
あとはここを駆け抜けるだけ。
抱き上げているネネと共に、突破を図る。
ゴッパの魂の波動が迫る。
ロイドは回避する。
予測された風圧のその線上から、彼と彼女の身体は外れる。唯一、浮いたネネの髪の先を残して。
やたらに突き出してきたゴッパの手のひら、その指に。わずか、毛先が絡んだ。
ゴッパは握り込む。
小指と薬指に挟まれただけだったが、ネネの身体はガクリと止まる。首がねじれ、わずか悲鳴。
しまった。ロイドは思う。彼のミスだ。
髪を切ろうとする。切断はできない。けれど摩擦係数を一時的にゼロにして指から引き抜くことは可能。
しかしロイドの動きよりも早く、豪腕は彼からネネを引き剥がす。
取り返そうと足を止めた彼に、四方から敵が飛びかかった。
魔法の煙が晴れる。
髪の毛を掴まれて宙吊りのネネ。
押さえつけられて、地に這うロイド。
ネネをぶら下げたまま、近づいてくる。途中で、音の発生装置を踏み潰す。
ゴッパは、ロイドを見下ろし、にやりと笑った。
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