三
ケンは「本人になら、感情を静める事ができる」と言ってくれた。
それを聞いて「だから私が行く!」と言うと、お父さんがケンに危ないだろう? と聞く。
「僕たちが一緒にいるから。いつか向き合わなければならない感情なら、僕たちが見えている今が一番いい」
それに、とケンが続ける。
「そんなに心配ならイヒカもサギリも一緒に来たらいいじゃない」
その言葉に、私は驚いてお母さんを見る。
「心配してたの⁉」
「当たり前じゃない! このクソガキ!」
お母さんはそう言って靴を片方脱いで、私に投げつける。
「この前だって、別にサグメちゃんが悪い子なんて言ってないわよ! 自殺したのがあんたじゃなくて良かったって言っただけじゃないの!」
「もっと普通に言ってくれないと分かるわけないじゃん!」
そう言いながらも、私たちは台所庭に入った。
神様たちに誘導されて、雑兎も台所庭に戻って来る。
私は雑兎だ。雑兎は私だ。
だから私は雑兎に背を向け、両親を真っ直ぐ見据える。
「何をやっているんだ、お前は! 敵に背を向けるんじゃない!」
そう叫ぶお父さんに言った。
「雑兎は敵じゃないよ! 雑兎は私の恐怖だもん。私が向き合わなきゃいけないのはお父さんとお母さんだよ」
二人は初め、何を言われているのか分からないようだった。
そして今まであれだけ暴れていた雑兎は、不思議と私が二人に向き直ると静かになった。
「恐怖の原因が私たちってこと?」
お母さんが私を睨み付ける。
「そうだよ。お母さんは自分で分かってるでしょ? すぐ怒鳴る。人の話を聞かない。自分の思い通りに私を動かそうとする。話す事は他人の悪口ばっかり!」
お母さんは苛立って怒鳴りそうなものなのに、チラッと雑兎を見てから黙り込む。その目はしっかり私を睨み付けているけれど。
「お父さんもだよ」
「私は何もしていないだろう」
「だからだよ!」
フイッと目を逸らしたお父さんに腹が立って、私は息を吸うのも忘れて息巻く。
「お母さんが私に物を投げつけていても、私とお母さんが喧嘩してても何もしないじゃん! 明らかにお母さんのワガママで怒ってる時だって、黙って目の前で新聞読んでるでしょ! 私が帰って来てもお帰りもない、自分が帰って来てもただいまもない。都合が悪くなると仕事だから、忙しいからって。そんな毎日ずっと仕事がある訳じゃない事ぐらい、私だって分かってるんだからね!」
「だからなんだって言うんだ。あれは? 恐怖なんだろう。何が怖いんだ」
お父さんがそう聞く。
これだけ言ってそれだけかと思うと、情けなくて涙も出ない。
「二人との日常が怖いんだよ。いつ怒るか分からないお母さんと、助けてくれなくて目の前で見て見ぬふりするお父さんだもん」
二人が言葉を詰まらせたのが分かった。
それを合図にしたように、雑兎がドスン、ドスンと逃げて行く。
向かった先には、あの谷がある。
「ケン! どうしよう、雑兎があの谷に行っちゃった! もう駄目なの? 雑兎も黒くなっちゃうの?」
ケンは私の頭を撫でながら「大丈夫だよ」と言った。
「まだ大丈夫だ。心が暗い場所に引き寄せられていっただけだよ。追いかけよう」
「うん。でも……」
私は二人を見た。
「私も行くぞ」
「私も行くわよ」
二人は静かにそう言った。
私は、二人にも想うところがあったのかもしれないと少しだけ期待してしまう。
そんな私の視線に気付かず、お母さんは私たちを取り巻く神様たちに詰め寄る。
「ねぇ、神様なら私たちをあの兎の所まで連れて行ってよ。こんな夜中に遠くまで歩くなんて嫌よ!」
神様たちはふわふわ、くるくるとしながら「困った、困った」と笑っている。
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