八
「おばさんたち、娘さんの前でいつもこんな風に喧嘩してなかった?」
そう聞いたのはユラだ。
「そうだったかな」とミカゲが答える。
「そういうの、凄く精神が削られるんだよ。近くで聞いてるだけでも、自分が言われてるわけじゃなくてもさ」
ユラのその言葉に心の中で同意した。
ミカゲとミチネの感情が爆発しそうなタイミングを見計らったかのように、ケンが二人にスープを差し出す。
「お待たせしました。自責タマネギと急き立て山椒のスープです。あなたは前回と同じで、後悔ナスと渇望キノコのスープです。どうぞ」
声を荒げたい気持ちも忘れ、湯気の立つスープを飲む二人。
ケンは続けてユラにもスープを出す。
「ユラのは嫌悪ブロッコリーと虚無人参のスープだよ」
「虚無って、空っぽってこと?」
ユラが聞く。ケンは頷かずに少し笑って、似てるねと言った。
「あるいは無限に広がる空や宇宙、それによく似た心の事かもしれない」
「空っぽなのと広い空は真逆でしょ?」
ユラはそう言った。ミカゲはスープを飲む手を止め、ううんと首を傾げる。
私の前にいつもと同じ悲しみ鳥と寂しさトマトのスープ、諦め麦入りが出されるとミカゲはケンに言う。
「それは哲学だろう。いくら何でもこの子には早くないか?」
「そうでしょうか?」
ケンがそう答える。黙っていられない私は口を挟んだ。
「大人が思うより私たちは子供じゃないですよ。知らないだけです。ちゃんと理解できるくらいには、子供じゃないです」
「まぁ、女はそうよね」
ミチネが言った。この人は変わらないなと思いながら、私たちはまたスープを飲む。
もう飲み干してしまうまで誰も何も言わなかった。
それを見守るように立つケンは、当たり前だけれど神様なのだなと思える姿をしていて、少し寂しくなる。
「警察を呼んで下さい」
空っぽの皿を前にユラが言った。
「いいの?」
私が聞くと、ユラは震える手をきゅっと祈るように握って頷いた。
「私もお父さんも、ちゃんと裁かれなきゃいけないから。それはお母さんがクズだった事とは関係ないもん」
「分かった」
ケンは返事をすると、グラグラとに立つ鍋の淵をコンコンと叩く。きっと、今ので呼んだのかもしれないと私は思う。
スマホをいじっているミチネをちらりと見てから、ミカゲが言った。
「なぁ、ミチネ。前回の時に狸の神様に会った丘があるだろう。あれがゴルフ場になったら嫌か?」
「別になんだっていいわよ」
「そうか。それじゃあ、私が捕まったら離婚するか?」
ミカゲのその言葉に、ミチネはバッと顔を上げる。
私もユラも何も言えずに黙って成り行きを見守る。ミチネはフンッと鼻で笑ってから答える。
「客との子供を育ててくれる男なんか、あんたぐらいよ」
「……ありがとう」
その会話の後、しばらくして警察が来た。
ユラは「私が殺しました」と言ってパトカーに乗り込んでいく。
「またね」
私はそんな言葉しか言えないのに、ユラはとても嬉しそうに手を振った。
そしてミカゲも「賄賂を渡した」と告げ、警察官を驚かした。そしてそのままパトカーに乗せられていく。
あったか亭には私とミチネと、ケンだけが残った。
もう空は暮れてしまって夜が始まっていた。
ユラはもう死のうとはしないだろうし、ミカゲは自分を責めても進もうとしてる。ミチネは後悔と謝罪の気持ちを抱いたままでも前を向いた。
三人ともそれぞれに何かを掴んだのだろう。
そんな三人の姿を見ながら、私は取り残された気持ちで一杯だ。私だけが何も掴めずにオロオロしている気がして焦っているのだ。
「コヤネちゃん、親を呼んだわよ」
ミチネが言った。私は驚いて目を見開く。
「来るんですか? お父さんですか?」
「イヒカよ。遅くなるけど、この店に来るって言ってたわ」
信じられないと思いながらも、私は嬉しくなる。それは私が、私のトマトや鳥を可哀想に思うからだ。新たな麦が実ってしまわないようにと願うからだ。
私は私の感情と、両親と向き合わなければと決意をする。
向き合ってみなければ分からない事もあるかもしれないし、神様の見えている今なら話くらいは聞いてくれるかもしれない。
私も、怖くなく両親と話ができるかもしれないと思う。そうするとこの七日間しかないのかもしれない。
この七日間を逃したらもう両親とは分かり合えないのかもしれないと、不意にそんな危機感を覚える。
そしてもう一つ思い出す事があった。
私は今日、一度も雑兎に会っていないのだ。こんなに長く台所庭にいたのにだ。それどころか昨日も会っていないのではないか? と思って気が付いた。
四日目が終わって家に送ってもらった時、あれを最後に雑兎に会っていないのだ。
その時のいつもと違う様子を思い出して背筋が寒くなる。
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