「本当に同じなのか? なぁ、神様。あんたたちでも好き嫌いはあるよな? 俺はどん底で生きてきてよく知ってんだ。努力が無駄な事を。どうにも埋まらない、生まれながらの差をな、知ってんだよ。どうなんだ? 差つけてんだろうが?」


 何という事だろうかと、私は声には出さず驚愕した。

 この男は神様を脅しているのだ。神様を脅して加護を得られるものではない事くらい分かるだろうと思うのだけれど、分からないのだろうか?

 見えてはいても神様なのだ。

 言葉を交わす事ができても神様なのだ。感謝を忘れ、礼儀を忘れ、脅して加護を得ようという人間に得られるものなど何もない。


「最低だね。あんたみたいなのが結婚して、いつか人の親になると思ったらゾッとするよ」

 思わず口に出てしまった。

 ケンは私の名前を呼んで止めたけれど、怒りの言葉はまるで鍋からお湯が溢れるみたいで止められなかった。


「何だと⁉ なんも知らねぇガキが喧嘩売りやがって! 他所の親に愛想振りまいて飯を食わしてもらった事もねぇくせに! ガキの頃から親のせいで惨めに生きて来たんだ! そろそろ報われてもいいだろうが! 甘えて育ったようなクソガキが、生意気な口きいてんじゃねぇぞ!」

「甘やかされた事なんか一度もないよ!」

 私が怒鳴り返すと、ケンが「ダメだよ!」と私の肩を掴んで止める。

 さっきと違って今度は言葉を止める事ができた。ケンが何かしたのかもしれないけれど、とにかく私は黙った。

「すみませんが僕はあなたの望むものを与える事はできませんので、そのスープを飲み干してからお帰り下さい」

 ケンがきっぱりと男に言った。

「お前も飲み干せ、飲み干せってうるせぇんだよ! 大体このスープ飲み難いんだっつーの! なんだよこれ。喉に張り付くし、苦いしよぉ! 毒でも入れてんじゃねぇだろうな!」

 男はガン! とカウンターを蹴って立ち上がる。

 そんな男にケンは尚も諦めずに言う。

「これは貴方の感情なんです。飲み難いのはそのためですから、どうかこれだけ飲み干して行って下さい」

「金が出せねぇなら帰る! やっぱヤマツミに出させるしかねぇじゃねぇかよ。クソッ!」

 そうして男は皿ごとスープを床に叩き落とし、椅子を蹴倒し、ひとしきり暴れて怒鳴りながら帰って行った。


 ケンは小刻みに震える雑兎を抱き上げて「片付けようか」と言った。

「ケン……あの、ごめんなさい」

 私が謝ると、ケンは柔らかく頭を撫でてくれた。それから雑兎を私に抱いているように言う。

「いいんだよ。僕のために怒ってくれたのは分かるからね。でも危ないからね」

「はい……。雑兎もごめんね」

「……おぅ。お前は悪くねぇよ」

「ありがとう」

 それから片づけを始めたのだけれど、ケンは何か不思議な力で直すのかと思ったら家でお母さんがするのと変わりない様子で片付ける。

「私も片付ける」

「それじゃあ、看板の明かりを消してくれる?」

「え? お店、閉めちゃうの? 私のせいで?」

「違うよ。ちょっとあの人の感情の後始末をしに行かなきゃいけないからね。いつもは夜が明けて店を閉めた後にやるんだけど、今日はそんなに放置しておけないと思うんだ」

 それは絡まって黒くなった感情たちの浄化の事だ。

「それ、私も一緒に行っていい?」

「コヤネも?」

「うん。ダメ?」

「ダメじゃないけど……」

 ケンが首を傾げて悩む。雑兎は置いて行かれるのがイヤらしく、一緒に行くと言った。

 男の人が飲み干さずに行ってしまったスープを拭きながら、ケンは「やめておこう」と私に言う。

「どうして? ケンがあの昼間の兎の神様みたいになっちゃ嫌だから、付いて行って助けたいのに」

「そう思ってくれるのは嬉しいんだけどね、今日は色々な事があり過ぎた。コヤネに辛い思いをさせたくないんだよ」

「置いて行かれる方が辛い」

 ケンはしばらく唸っていたけれど、諦めたのか「分かった」と返事をしてくれた。

 看板の明かりを消し、椅子を元通りに並べ、念のため『閉店』と張り紙をする。

 それから私たちは台所庭へ入った。


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