七
ケンはその場でキョロキョロと辺りを見渡すと、胸くらいまである菊の茂みに入って行く。その歩き方には、まるで行き先を知っているように迷いがない。
「ねぇ、ケンはどうやって感情を探しているの?」
私が聞くと、ケンは手の平を上に向けて私に見せる。けれどそこには何もない。
「僕にはね、糸が見えているんだよ。感情の糸。だから、ただ彼の糸を辿って歩いているだけなんだ。何種類かの感情が別の場所で形になるから、それを収穫しに行くんだよ」
「感情の名前が分かるのも、その糸が見えるから?」
「うん。糸の色が違うんだ」
そうして「ほら、あった」とケンが指をさす。
そこにあったのは赤紫の花。大きくて硬い葉っぱが他の菊を押しのけて、その間からひょろ長い茎が伸びている。咲いているのは茎の細さに見合わないほどの大輪の花だ。
よく見ると、近くに同じ花が何本も咲いている。
「これがあの人の感情なんだね。これは何? 怒りとか?」
「いいや。これは自己愛。自己愛花だよ」
「うわぁ……嫌な感情」
私が嫌悪感たっぷりにそう言うと、ケンはそうでもないよと優しく言う。
「自分を愛するのは大切な事だよ。けど、自分だけを愛するのじゃいけない。周りに愛されている事を知り、感謝をし、周りに愛を返さなきゃね」
「じゃあ、こんな風に周りの花を押しのけるのはダメだよね」
「そうだね。何が彼をこんな風にしているのだろうね。他の感情も探してみようか」
私たちは自己愛花を二輪だけ摘んで、菊の茂みを出る。
次に向かったのは川だ。ケンは川には入らず、岸の岩場を探し始める。
「今度は何の感情を探しているの?」
「保護欲だよ。とは言っても、保護されたい欲だけどね」
「本当に勝手な人だね」
私がそう言うと、ケンは「不安なんだろうね」と答えた。不安だから守られたい、守ってくれると信じたい、自分は守られる価値のある人間だと信じたい。
岩の隙間で見つけた保護欲は、カタツムリの姿をしていた。
「保護欲カタツムリ、私ちょっと触れない……」
そのカタツムリは殻を被ったナマコのような、大きなヒルのようなグロテスクな見た目をしていて私は手を引っ込める。
「そうだね。これは少し刺激が強そうだから、スープにいれるのはやめておこう。代わりに囚われを探しに行こうか」
これにはケンも、さすがに苦笑いをして立ち上がる。
「囚われって感情の名前?」
「感情なんだけど、心と言った方がいいかな。何かに拘ってしまう、あるいは自分にはできないという考えに囚われる。妄想に囚われる。そんな事だよ」
「ふーん……」
何となくだけれど、あの男の人がただ横柄な態度をしている訳ではない事は分かった。それでもあの態度が酷い事に変わりはないけれど。
囚われは倒木の中にあった。囚われ卵だ。倒木の中に三つ転がっている。
まるでここで育たなければいけないのだと意固地になっているみたいに、卵は木肌に張り付いて取り難い。
「大丈夫だよ。別の場所へ行ってみよう」
けれどケンが卵にそう声を掛けると、卵は呆気なくこちらに転がって来た。
「私がやっても取れなかったのに、今のどうやったの?」
「見ての通りだよ。これは感情なんだからね、動かすには言葉が必要なんだ。さぁ、店に戻ろう。まだ店の時間は数分しか進んでいないはずだけど、怒りっぽいからね」
「とってもね」
私が顔をしかめると、ケンが噴き出す。
「その顔、小さい時から全く変わらないね」
「恥ずかしいからやめてよ」
そんな風に笑いながら、私たちは店に戻った。男の人が怒りださない所を見ると、ちゃんと時間は数分しか経っていないようだ。
私たちが戻ると、雑兎がカウンターの中に入って来た。
それから私と雑兎はカウンターの中で、ケンがスープを作るのを見る。
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