2本目 別荘



「海ですわねー!」


 コンクリートジャングルで見たときはうんざりという思いしかいだけなかったあの太陽が、この場では海と砂浜に煌々こうこうとした輝きを与える役割を果たすのだから、自然とはかくも偉大なものだ。

 じとっと湿った空気は本来気持ちの良いものではないのだろうが、目に映る景色が「そんなもの本物の夏には関係ないぜ」とばかりに感情を揺さぶってくる。


「んー!」


 伸びをする。ワンピースの袖から入ってくる熱された空気と肺を満たす潮の匂いが、身体を夏で満たしていく。

 自然を全身で享受できる喜びと人工の音から切り離された開放感が、わたくしの心を優しく撫ぜる。


「お荷物はお泊まりいただくお部屋に運んであります。お部屋の案内は華子はなこ様がされますか?」

「ええ、わたくしがしますわ」

「承知いたしました。当家のシェフが腕によりをかけてランチを用意しておりますので、準備ができましたら食堂までお越しください」


 後ろから九条院家の執事さんと九条院さんの会話が聞こえてくる。

 ここは九条院家が保有するプライベートビーチ付きの別荘だ。九条院さん――九条院華子さんとご家族のご厚意で使わせてもらうことになった。

 今回の目的はずばり、お泊まり女子会である。


「皆さま、景色はまたあとで見ましょう。わたくしはお腹が空きましたわ」


 九条院さんの言葉に、海と砂浜を眺めていたわたくしたちは九条院さんの方へと引き返す。

 砂浜に隣接したところにくだんの別荘はある。地面が淡い色の砂から青々とした芝生に変わったその先、ロウのように白い洋風のモダンな建物が目に入る。


 二階建ての大きなその別荘は、賓客ひんきゃくを大勢招くこともあるらしく、パーティができる部屋や多くの個室を兼ね備えているとのことだ。

 わたくしたちは四人で一つの部屋に泊まるので、無駄遣いもはなはだだしい。しかし、それが贅沢である。せっかくだし全力で享受せねば。

 

「ではみなさん、まずは中をご案内いたしますわね。ほらぼうっとしていないで。不知火様も行きますわよ」

「え、あ、はい。楽しみです」

「よろしい。こちらですわ!」


 いつもより少しテンション高めの九条院さんに着いていく。隣になった成瀬さんと目が合って、少し見つめたあとお互いに目を逸らす。


 正直なところ、成瀬さんとはちょっと現実で話しにくい。

 あれからVR空間でときどき一緒に遊んでいるのだが、そのときの気安さと普段のギャップが大きすぎて距離感がわからなくなるのだ。


 そんなわたくしたちを、一瞬不思議そうに見てきた不知火さんにドキッとする。隠し事をするのは心に良くない。どうも自分の中のリズム感が狂ってしまう。


 不知火さんが不思議そうにこちらを見たのは一瞬で、すぐに別のことを考え出したかのように硬い表情を見せる。


 わたくしたちの趣味がバレたのかと少し思ったが、それにしてはこちらになにか言いたそうにしているわけでもなし。どちらかと言えば、自分の内に深く潜って考え事をしているように見える。

 普段の不知火さんはもっと笑顔が絶えない人だ。今日集合してから時折こんなふうに考え込むことがあるのはなにかあった違いない。


 悩み事があるなら相談に乗りたい。けれどもご家庭のことならあまり口を出すわけにもいかないだろうし、そうでなくとも不知火さんはあまり詮索を好まない気がする。


 さてどうしたものかと悩みつつ、九条院さんの説明を聞きつつ歩いていると、成瀬さんが肩を寄せてきた。


「どうしたの? みみこさん」


 小声で他の二人には聞こえないように話しかけてくる成瀬さん。おかげで、どうやら自分が上の空になっていたようだと気づいた。


「不知火さんのことを考えておりまして。悩み事がありそうなので相談に乗れないかしら」

「ああ、確かに今朝からちょっと落ち込んでいるように見えるよね」

「そうですわよね。良い方法は無いかしら」


 成瀬さんも不知火さんのことは気になっていたようだ。しばらく悩むような素振りを見せたあと、こう提案してきた。


「うーん、あ、そうだ。夜だよ、夜」

「夜ですの?」

「お布団での雑談って女子会の基本だよね。眠くなってきたら口も軽くなるだろうし。そこでそれとなく聞き出そう」

「なるほど。良いですわね。その作戦で行きますわよ」


 そのときだった。


「どうなさいまして?」


 九条院さんが声を潜めて会話をするわたくしたちに気づいたらしい。突然話しかけられて心臓が止まるかと思った。


「と、とても広くて驚いていましたの」

「あら、そうかしら?」

「そうですわよ」

「ふーむ」


 なにか納得していないような顔をして少し考える仕草を見せた九条院さんだったが、すぐに案内に戻ってくれた。


 成瀬さんと顔を見合わせる。「話していたことを追求されるかと思った」という気持ちがお互いの目から伝わってくる。

 思わず苦笑したわたくしたち。


 このとき気づけば良かったのだ。夜のお布団おしゃべり会での質問対象は、不知火さんだけではなくわたくしたち自身でもあることを。


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