第49話 まて、それはフラグだろ

 もはや逃げられないと悟ったのだろう。

 斥候の男は、うなだれたまま一言もしゃべらなくなった。


「とりあえず傷の手当はしよう」


 少なくとも、足に刺さったままの矢はどうにかしてほしい。

 見ているだけで心が痛むからだ。


 だが、改めて考えるとどうやって手当てをしていいかわからない。

 手持ちの魔導書に治癒の魔術はないし、ピブリオマンシーを使うにも医学の書物が手元になかった。

 ならば新たに執筆を……と思っても、記憶を探っても傷を癒すような内容の漢詩は思いつかない。

 適当にうそを書いてピブリオマンシーを使ってもいいのかもしれないが、それは最後の手段だ。


「なぁ、誰か手当てはできるか?」


 ダメ元でエルフたちにも話を振ってみたが、苦々しい表情しかかえってこない。


「悪いが、その男の傷の手当は断らせていただきたい。

 そうでなくとも、傷薬や止血剤が手持ちにないしな」


 エルヴェナスが目をそらしたまま、吐き捨てるようにして俺に答えた。


 そうだよなぁ。

 彼らからしたら、自分の村を襲ってきた極悪人だし。


「そうか、それはしかたがないな」


 残念だが、彼らを説得するような言葉は俺の中になかった。

 人の命がかかっているんだぞと言っても、たぶん彼らには何を言っているのかよくわからないと思う。

 せいぜい、『敵の命だろ? なんで殺さないんだ?』ぐらいの反応しかないに違いない。

 価値観がまるで違うからな。


 頼みの綱はイオニスとヨハンナだが、この状況で彼らとヴィヴィを交代させるのは危険すぎる。


「おい……聞かれたことには素直に答えただろ!

 助けてくれよ!!」


 思わぬ話の流れに、あせりを見せる斥候の男。

 えぇい、あわてるんじゃない。

 いま、どうにかできないか考えているんだから。

 

「矢を抜いて包帯で止血をするぐらいならできないか?

 あと、捕まえた斥候たちの荷物にも薬がないか確認してほしい」


「……そのぐらいなら」


 俺の提案に、エルフたちはしぶしぶ頷く。

 結局、斥候の男たちの荷物の中から止血剤と傷薬が見つかり、男の傷はなんとかふさがった。

 とはいえ、ゲームのように傷が一瞬で治るようなタイプではなく、徐々に癒されてやくリアルなタイプの傷薬だ。

 素人の治療なので傷が化膿しないという保証もないし、あとはせいぜい神にいのるぐらいしかできない。


「さて、聞きたい事は聞けたし……あとは奴隷狩りの本隊に備えて捕虜を隔離しておくか」


 俺はアドルフの左官鏝を召喚し、彼らを隔離する建物を作るために外に出た。

 そして三人を取り囲むように、出口のないドームの建物をつくり、空気穴を空ける。


 あ、トイレ用の壷を入れ忘れたが……別にいいか。

 明日には移動するんだし、いまだに気絶している奴らもふくめて、もう少しひどい目に合うといいし。


 だが、そのときである。

 俺は背後に誰かの視線を感じた。


「……誰だ!」


 振り向くと、そこには何か大きな生き物がいて、木の上から俺をじっと見ている。

 闇の中に、赤く光る目がことさらはっきり見えた。


 敵襲!?

 俺が反射的に叫び声をあげようとした瞬間、それをさえぎるようにそれは低い声を上げた。


「めぇぇ」


「……羊」


 それは見事なジャンプでコンクリートの壁を乗り越えると、音もなく地面に降り立つ。

 うん、羊だ。

 しかも、毛が真っ黒な奴。


 全身がもっこもこで、俺が上に乗ったらそのまま体が沈んで埋まりそうである。

 よく見ると、角が四つある?

 こいつら、ヘブリディアンか!


 ヘブリディアンとは、スコットランドで飼育されている羊の品種で、その大きな特徴は真っ黒な毛の色と、角が二対あることだ。

 ちなみに毛の色は成長するにつれて赤茶けてゆき、最後には灰色になるらしい。


 しかし、なんでこんなところにヘブリディアンが?

 いや、これがヘブリディアンなはずはない。


 そもそも、異世界にスコットランドの羊がいるはずもないし、そもそも地球と同じ羊がいることじたいがおかしいのだから。

 おそらくこの世界の生き物を作る際に、こちらの神が地球の生き物を参考にしたってところだろうが……。


「これが巨大羊の呼んだ眷族って奴なのだろうか」


 そんなことをつぶやいていると、黒い羊は一匹、また一匹と増えてゆき、最後には十頭ほどの羊が敷地内に集まった。

 着地の時も音が鳴らず、こいつらまるでニンジャである。


 つづいて、続々と羊の群れが集まりはじめた。

 どうやら地球産の羊と違って臆病ではないらしく、なんとなく態度がずうずうしい。

 あと、白や黒の羊のみならず、茶色や三毛の羊までいるのには驚いた。


 しかも、なぜか全ての羊が俺の髪の毛に群がってくる。

 噛んだりむしったりはしないのだが、顔をこすり付けてくるのだ。


「トシキ、なんだかモテモテね」


「いや、羊にモテてもあんまり嬉しくない」


 ヴィヴィが楽しそうに話しかけてくるが、俺は仏頂面である。

 羊は確かにかわいいけど、獣臭いのだ。

 この匂いが俺にうつるかとおもうと、少しうんざりする。


 ……風呂に入りたいな。

 この世界にきてからというもの、風呂に入ったのはスタニスラーヴァの家に泊まったときだけである。

 日本の風習に染まりきった俺にとって、体臭が漂うのは耐え難い苦痛なのだ。


「トシキ、そろそろ敵が近いと思うから壁の向こうに戻って。

 危ないから、私たちが帰ってくるまでおとなしく中にこもっていてね」


 俺が風呂について考えていると、ヴィヴィはいつのまにか壁の向こうで巨大羊の背に乗って戦の準備を始めていた。

 おい、まて。 そこの巨大羊、いつのまにか塀の外に出た?


「言われなくても外には出ないよ!

 まぁ、敵が塀を乗り越えて襲ってきたら別だけどな」


「ふふふ、敵が地面を潜りでもしない限りそれはありえないわ」


 ヴィヴィは巨大羊の体を軽く蹴ると、森の奥……奴隷狩りと戦うために前へ進んだ。

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