第40話 西へ

「冒険ですか?

 いったいどんなものをお望みでしょう」


 冷静を装ってはあるが、背中には汗がびっしょりである。

 なんか、ものすごくいやな予感がする。


 すると、精霊は俺の予想すら超えるものを口にしたのだ。


「そうね、金の羊の毛皮がほしいわ。

 貴方の記憶から取り出した物語にあったようなものよ」


アルゴ号の冒険アルゴナウタイをやれっていうのか!?

 なんて無茶を……そもそもこの世界に金色の羊なんているのかよ!!」


 思わず素の口調に戻ってしまったが、それだけ驚きが大きかったと思ってくれ。


 なお、アルゴ号の冒険とは、ギリシャ神話の一大叙事詩である。

 ヘラクレスやオルフェウスといった、当代きっての英雄たちがひとつの船に乗って旅をするという胸躍る冒険活劇だ。


 そしてその物語に登場する金色の羊の毛皮とは、主人公が王を継ぐために出された課題であり、それを国に持ち帰るのが物語の最終目標である。


「面白いことにね、それがいるのよ。

 ただし、テューロス山脈の一番奥だけどね」


 その瞬間、ずっと黙っていたスタニスラーヴァが、血相を変えて口を挟んできた。


「ちょっとお待ちになって!

 テューロス山脈なんて危険すぎませんこと!?」


「……どういう場所なの?」


 すると、彼女は沈痛な表情で語り始める。


「はるか西の国境を越えた彼方……馬をつかってもたどり着くまでに三ヶ月はかかる大きな山岳地帯ですわ。

 ただし、その手前には盗賊と蛮族がはびこる未開の原野が広がり、様々な魔物のうろつく原生林が行く手を閉ざし、そして誰もはいったことすらないであろう険しい山々が待っておりますのよ。

 とても人の身でたどり着ける場所ではございませんわ」


 うわぁ、本当に冒険だ。

 この精霊、調子にのってとんでもないこと言い出しやがる。


「じょ、冗談だろ。

 本をきれいにするだけの話に、なんでそんなことをしなきゃならねえんだよ!」


「冗談じゃなくて、わたしは本気よぉ?

 どうしてもいやだというなら、頭を地面にこすり付けてお願いしたら?

 もしかして気が変わるかもしれないわよ」


 んなわけねぇだろ!

 ちくしょう、ハメやがったなぁっ!?

 ようするに、この女は俺に頭を下げさせて無様な姿を笑いたいのだ。


「トシキ、いくらなんでもそれは無謀よ!」


「嫌ならいいのよ?

 本来ならば、この国の半分ぐらいは水の下にしたいぐらいの無礼だけど、小汚い人間とその一族の命で許してあげるわ」


 ふふんと鼻で笑う女精霊。

 おい、なにをしてやったりって面してるんだ?


 まさか、俺が受けないとでも思っているんじゃないだろうな?

 ……気づいてないのか?

 そんな選択肢、あるはずないだろ。

 俺は神の僕なんだぞ?


「はぁ……馬鹿じゃないの?

 そんなの、俺一人でもやるに決まってるだろうが」


「……は? なんか寝言が聞こえたんだけど」


 寝言じゃねぇよ。

 お前こそ寝ぼけてんじゃねえのか?

 まさかまだ気づいてないとか言わないよな?


 早く冗談でしたって謝れ!

 さもないと、俺が引けないだろ!!


「別に誰かの手を借りるつもりもない。

 俺一人で金色の山羊でも羊でも捕まえてくるって言ってるんだ。

 あのな、聖職者が難関に屈して人を見捨てるなんてことをしたら、どうなるかわかって言ってるのか?」


 それこそ神の面目丸つぶれである。

 これが宗教にとってどれだけの意味を持つかなんていうまでもないだろう。


 つまり、むこうは軽い嫌がらせのつもりでやったことかもしれないが、状況と俺の立場からするとこれは絶対に逃げられないのだ。


「……あ」

 どうやら水の精霊もそれに気づいたようである。

 だが、そこから何を言っていいのかがわからないようであった。


 ほら、さぁ、さっきのは冗談だと今すぐ言うんだ!

 じゃなきゃ、俺が死亡確定の冒険に旅立たなきゃいけなくなるだろ!!


 だが、精霊が何かするより、スタニスラーヴァが先に動いた。

  

「ダメよ、トシキ!

 そんなことしたら、死んじゃうじゃない!!

 なにもトシキが犠牲になる事はないわ!

 罪を犯したものが責任をとればいいのよ!!」


 うわ、馬鹿!

 スタニスラーヴァ!!

 そんな言われたら、余計に逃げられなくなるだろ!


 ほら、そこの精霊!

 はや……く……って、なに呆然としているんだよ!

 女精霊が『さっきのは冗談だから改めて話し合おう』とでも言えばまだ事態は修復可能だが、この馬鹿精霊、ポカンとしか顔をしているだけで状況がわかっていない。


「トシキ!」


「……さよならだ、スタニスラーヴァ!!」


 結局、抱きとめようとするスタニスラーヴァの腕をすり抜け、俺は部屋の外に走り出すしかなかった。

 ちくしょう、もうどうにでもなれ!


「え? うそ……冗談でしょ?

 あいつ、智の神の寺院の復興ほっぽりだして行っちゃった!?

 これであいつが冒険に失敗でもしたら……あいつ智の神のお気に入りだって聞いてるし、智の神が確実にブチきれるでしょ!

 ま、まって、ちょっとまってぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 後ろから何か悲痛な声が聞こえた気がするが、もはや後の祭りである。

 そのまま俺は外に飛び出すと、マントで隠していた翼を大きく広げた。


 手荷物はほとんどないが、あとでなんとか調達すればいい。

 えっと、スタニスラーヴァはたしか西って言っていたな。

 空に舞い上がった俺は太陽の位置で方角を確認すると、そのまま西に向かって移動を開始した。


 寺院の復旧が中途半端になっているのが気がかりではあるが、本にかかわるトラブルを解決するのも司書の務め。

 何よりも、神の面子がかかっている。

 智の神には大目に見てもらいたいものだ。


 あ、そうだ。

 そろそろスタニスラーヴァが飛行魔術で追いかけてきているかもしれないしな!

 俺、子供だし。

 捕まっちゃったらしかたがない……って、追ってきてないし。


 俺は一度だけ後ろを見て、そこに追ってくる者がいないことを確認すると、がっかりした顔のまま地上に降りた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る