王太子様の愛猫様
柚季
愛猫様
黄金比が素晴らしいと思えた迎賓館のダンスホールとも、今日で最後だと思うと寂しく感じる。
それでも、学園を巣立つ私たちのために激励を込めての謝恩会を開催してくれたことに感謝しかない。
無礼講ということで、パートナーも必要ない場だが婚約者がいる者たちは、婚約者をパートナーとしてエスコートしながら入場する。ここを巣立てば、すぐに夜会や式典に参加することはわかっていることなので、社交の練習も兼ねて行われている。
だが、私は何故か婚約者にエスコートすらしてもらえずにいる。何故なら、婚約者は他の女性を相手にしているからだ。
壁の花に徹していれば、親友でもあるベリンダがやって来るので暇を持て余さずに済むみたいだ。
「あら、アルバニア様。婚約者であるスペンサー殿下はどうなさったのですか?」
「ふふふ、わかりきっていることをどうして私に聞くのかしら。ベリンダ様も意地悪ね」
「嫌だわ。私、親友であるあなたが蔑ろにされているこの状況が嫌なのです」
「大丈夫ですわ。殿下もご自分の立場をきちんと理解しておりますので、大事ないことですわ」
殿下は私のことを蔑ろにはしていない。直前までエスコートしてくれようとしていたのだから。
ただ、急な王弟殿下の呼び出しがあったために叶わなかっただけで。
綺麗な眉を歪ませながら、断ろうとする殿下を、困りながらも私が説得したのだ。
本当は私だって、殿下にエスコートしていただきたかったのですよ?
でも、殿下の叔父である王弟殿下の呼び出しなら仕方ないと諦めたのに、何故他の女性が、本来、私のいるべき場所にいるのか。
しかも、あの女性は今年入学してきた生徒と聞いている。
年齢は殿下と同じ18歳らしい。因みに私は16歳。
そんな彼女は王弟殿下の庶子と噂では聞いたので、きっとマナー等をきっちりと教え込んでからの入学になったのだろう。
この学園では、女子生徒は2年、男子生徒は4年通うことになっている。
本来、女子生徒は16歳からの入学なのに殿下の卒業時のパートナーにと望まれたので、14歳での入学になった。
それにしても、卒業生でもない彼女がこの場にいること自体が可笑しいというのに、誰も咎めないのは王弟殿下の頼みという名の命令だからだろう。
この学園の理事に名を連ねている者だから、余計に断れなかったのか。
憶測だけなら、何でも言えるが真実はどうなのだろう。
ただ、私の気分はすこぶる悪い。このような事態を2年前の私は想像すらしなかった。殿下の隣にいるのは私だと、疑いもしなかったのに。
側を通りかかった給仕より白ワインを受け取る。
受け取ったグラスを少し傾け、殿下と噂の女子生徒をグラス越しに映すが見ていると、イライラしてくる。少しずつ口に含めば、ほんのりと酸味が広がる。だけれど、イライラが収まることもなく一気に呷れば久しぶりに口に入れたせいか、すぐに酔いがまわる。顔が徐々に赤みを帯びると、ベリンダが心配そうに顔を覗いてくるが、そのまま2杯目を受け取ろうとしたらベリンダに制止された。
「私のことは心配なさらないでください。少し休めば大丈夫ですから」
「でしたら、水をいただきましょう。それに、そのようなお顔を他の殿方に晒すことになれば、大変なことになりますわ」
「まあ、そんな心配なさらなくてもよろしいのですわよ。私が殿下より寵愛を受けているのは周知でしょうし」
そのような顔と言われてもいつもと同じ顔だからわからない。
ふふふと笑ってみせるが、身体がふわふわし始めたためうまく笑えているか心配になる。
殿下からの寵愛を受けているのは確かだから、私に近づこうとする者たちは野心を持つものばかり。そのような者たちを軽くあしらうことが出来ずに、王太子妃を名乗ることなんて出来ない。
「まあ。此方にいらして。ひとりにしたら、危ないわ」
「だいじゅぶよ」
「もう、まったく大丈夫ではなわ。ほら、立ち上がって。ライアン、ライアンはいるかしら?」
ベリンダが婚約者の名前を呼んでいるのはどうしてだろう?
お水を持ってきてくれるはずだったのに?お水欲しいな。
何だか、よくわからないけれど気分がよくなってきてしまいへにゃへにゃとした顔になってしまう。
きちんとした表情を浮かべなくてはいけないのに、難しくて出来ない。
目の前にいる彼女をみると、「あああ、もう」と令嬢らしくない声をだしているから窘めなくては。でも、うまく言葉が出てこないわ。
ぼんやりした視界に映るのは、人を掻き分けてベリンダの婚約者がやって来る。
ちょっぴり、羨ましいと思ってしまう。それを誤魔化すように茶化してみる。
「まあ、素敵。離れた距離からもあにゃたの声を聞き分けることが出来るなんて、愛されているのね」
「もう、アルバニアは少し黙っていて」
怒られてしまったが、しゅんとするよりも楽しくて更に笑みが深くなる。
眉間に皺を寄せながら私をみている姿は、あまり美しいとは言えない姿なので「めっ」と言えば溜息を吐かれた。
折角、婚約者が来るというのに怒った表情は可愛くないのに。
「ベリンダ!どうした」
ベリンダの隣に並ぶ、彼女の婚約者はうっすらと額に汗が浮かんでいる。
呼ばれて慌ててこちらに来たのだろう。本当に愛されているようで羨ましい。
いま、私が殿下の名前を呼んだら来てくれるかしら。寵愛をうけていると言われても一時的なものかもしれない。だって、魅力的な女性が現われれば殿下はきっと私を捨ててしまうはずだから。
それが心配だと言えば、皆きっと笑うだろう。仲睦まじいふたりをみていると余計なことを考えてしまいそうで怖い。
怒っていた表情から急に困った表情になるベリンダが可笑しくて、笑いだしてしまう。
「アルバニアが酔ってしまったのよ」
「殿下は近くにいないのか」
「いたら、こんなことになっていなくてよ。それに、殿下は噂の王弟殿下の庶子といるわ」
笑っていたら、ベリンダとその婚約者であるライアン様が壁となり、ずっと視界の端で捉えていた殿下の姿が見えなくなってしまった。
いままで見えていた者が見えなくなるのはとても不安だ。
殿下の隣にいる女子生徒のことなどどうでもいい。彼の姿が見えないことが、いまはとても不安。
何処かに他の女子生徒と消えてしまったのではないかと考えてしまうから。
ベリンダに「どいて」と言おうとしたら、「おい、アルバニアに何かあったのか」と、愛しい人の声が聞こえる。
それだけで、私の心は晴々としてふにゃりと、また笑みが零れる。
それにしても、ライアン様といい、殿下といい、何故みな額に汗を浮べてまでここに来るのだろう。
それでも、来てくれたことが嬉しくて殿下に抱き着こうとすれば手で制止される。何で、制止するのだろう?私がすることがはしたないからかしら?
それにしても、殿下の綺麗なお顔が歪んでいるから私が抱き着こうとしたことを許してくれないのだわ。
しゅんとしながらも、疑問に思ったことを口にする。
「殿下、息が上がっておいでですけど如何なさいました?」
「お前の姿が見えなくなって、走ってここまで来たからだよ」
お顔は険しいけれど、言葉に棘はない。きっと、険しいのは見間違えだろうと思い、瞬きを数度してみるが変化がないので、見間違えではなかったみたいだ。
だけれど、姿がみえなくなって走ってここまで来てくれるなんて。
しゅんとした気持ちも殿下の言葉ひとつで忘れてしまうのだから、単純だと思う。
「まあ、嬉しいでしゅわ。でも、一緒にいた方は如何なさいましたにょ?」
「あれは、ヘンリーに押し付けてきたからいい。それより、アルバニア。酒を呷ったのか?」
心配して来てくれたのは嬉しいけれど、殿下の従者をしているヘンリー様には、いい迷惑なはず。
何度か視界に入り込む度に、いつもの柔らかい顔付きが無表情に近かったのを覚えている。
それに彼には、とても可愛らしい婚約者と聞いたことがる。会ったことはないが、その彼女と比べているのかもしれない。
ヘンリー様には悪いけれど殿下が、あの女子生徒から離れて私の元に来てくれたことが何よりも大事にされているのではないかと錯覚させられる。
それに、含んだお酒は以前、スペンサー様と一緒にいたときに飲んだお酒と同じものはず。
「ええ、久しぶりにワインを飲みました。スペンサーしゃまが好きな白ワインです」
「そうか。…前に約束したよな?」
「約束…ですか?」
約束と言われても、殿下との約束はいろいろある。
・殿下以外の男性(親族以外)とは話してはいけない。
・身に着ける物は全て殿下が決める。
・休みの日は殿下と共に過ごす。
・学園の昼食は共に摂る。
など、いろいろとある中で、どの約束のこと言われているのかわからないで、首を傾けてみる。
「私以外の前で酒を飲まないだよ」
そう発する殿下の表情は険しいものから、清々しいほどの笑みを浮かべている。
照明のあたり具合だろうか、眩しくて目元が笑っているのか見えない。それが、恐怖にしか感じない。この場から逃げたくなった。
殿下が清々しい笑みを浮かべるときは、私に対して意地悪をするときに限って浮かべるのだ。
近くにいるベリンダに抱き着き助けを求めようとすれば、腕が伸びてきて拘束される。
「離してください」
「躾のなっていない猫には、きちんと躾をしなくてはいけないね」
抵抗してみるが、猫がじゃれているかのようにあしらわれてしまう。男女の力差を目の当たりにさせられたようで不服だ。いままで、こんなにも強引に私を退出させるようなことをしなかったのに。
ベリンダとライアン様は「殿下が来て下さったのなら、安心ね。では、よい夜をお過ごしください」と、そそくさといなくなってしまう。
見捨てられた。そう思わずにはいられない。
「では、私たちもそろそろ退席しようか」
「ヘンリー様はいいのですか?」
「ああ、いいよ。彼奴は彼女の相手で大変だろうから」
ヘンリー様を映そうとした瞳は、殿下の顔が映りこむ。
いまにも唇が触れそうな距離だけれど、触れることは叶わず「行こうか」とだけ告げられる。
その時、かかった息がくすぐったくて身を捩ってしまうが、いつの間にか腰に手を添えられ引き寄せられてしまっていた。
殿下が歩きはじめれば、こちらも嫌とは言えずに歩きはじめる。
「私の愛猫は、本当に虐めがいがある」
誰かに聞かせるわけでもないひとりごとだと、わかっているが、さっきから、猫猫猫と失礼な!と、反抗したい気持ちが膨れ上がる。
反抗したところで、きっとあしらわれて終わりなのはわかっているが、それでも、「殿下が猫を飼っていたなど、はじめて聞きました。私も一度みてみたいですわ」と、強がってみた。
「本当に、可愛いな。私だけが愛でられればいいから見せられないな」
耳元で囁いたと思えば、耳を甘噛みされる。
「―――――っ」と、声にならない悲鳴が出てくる。
まだ、完全にホールから退出したわけでもないのに突然のことにパニックになる。
周囲からは悲鳴というよりも騒めきに近い声があがっている。
殿下の行動は誰もが注目すると言うことか。殿下がいながら、そちら以外に目が行くものかと、しっかりと見ている令嬢も何人もいる。
それなのに、何故このようなことをするのだろう。
もしかして、殿下も酔っているのだろうか?ひとつの結論に至ったところで、問うてみようと思ったら、「残念なことに、私は酔っていないからね」と先に言われてしまった。
「あまり、無防備なことばかりしていると閉じ込めてしまうから気を付けてね」
発せられた言葉に、心中穏やかではない。「
しかも、来年挙式予定の1カ月後には城へ住居を移す予定になっているから「
「すぺんしゃーしゃま、すき」
「可愛いこと言っても駄目だよ。このまま、帰してしまうのは癪だけれど、可愛い私の猫が襲われたら困るからね」
それに先程までの騒がしかったはずなのに、静まり返ってしまい余計に羞恥心を煽る。顔を見せられらないように抱え込まれるように、ぴたりとくっついた私たちは、どうやら離れることが出来ないようだ。
しっかりと、腰を引き寄せられ離れることのない腕に、変な気分になってしまう。
私のことなど気にせずに、旋毛に口づけが贈られる。
唇に欲しいと思うが、それを伝えたら嬉しく思ってくれるかな?
「では、皆。よい夜を過ごしてくれ」
静まり返っていた会場が、また賑わいを取り戻す。漏れる声や音を背にして、迎賓館を私たちは後にした。そして、王族専用馬車に乗り込み屋敷まで送られる。
道中、殿下は私のことを離さずに、ずっと膝の上に座らせていた。その間ずっと、猫を撫でるように髪を撫で、髪に口づけを贈られてばかり。
肌に触れて、唇に欲しいと思ってしまった私は、なんてはしたないのだろう。
でも、私のことを殿下が愛してくれているのだろうという実感は持つことが出来た。
そのことが、嬉しくてふわふわした心地だけれど、この出来事を日記に綴りながら、思い出し頬を染めた。
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