第30話 藤咲さんと一泊二日で天文台へ行くことになった。


 3年生に進級した。これまでも進路調査はあったが、保護者も同席しての正式な面談が始まった。

 担任には、「君ならいろんな大学を選べますよ」と太鼓判を押されたものの、どの道に進みたいというはっきりした目標もない。強いて挙げれば、ずっと続けてきたトランペットやピアノの技術が磨ける音大だろうか。

 だけど音楽は趣味で十分な気もする。義務になったら楽しめなくなりそうだし、今間と顔を合わせる可能性があるのも気がかりだ。

 受験のモチベーションが上がらず、一学期の期末テスト前だというのに、藤咲さんと一緒になってぼんやりテレビなんかを眺めてしまう。放送しているのは、『月に囚われた男』というSF映画だ。オレもある意味では月に囚われているのかもしれない。

「面白いですね、これ。オレ、結構SF好きなんですよね……」

 テーブルに頬杖をついたまま呟いた。「ああ、俺も好き。感化されちゃった?」と藤咲さんが悪戯っぽく笑う。

「そうですね。アンタが持ってる小説、どれも面白かったから」あと、オレ自身がSFみたいなもんだから。「ネットで宇宙に関する記事読んだりもしますよ」

「そんなことやってるのか。エロ動画じゃなくて?」

 この人には珍しい下世話なからかいに咄嗟にギクリとする。視聴の痕跡は残していないから、ただの鎌かけだろうが。

「宇宙の法則も、最近動画サイトで見たんですけど面白いんですよ。常識が通用しない、ほんとSFの世界みたいな話がいっぱいで。授業でちょっとでも教えてくれてたら、物理とか数学ももっと勉強したのに。そういや星って、写真でしか見たことないですよね。土星とか。実物はどう見えるんでしょうね」

 後ろめたさが拭えず、コマーシャルが終わったというのに長々と喋ってしまった。藤咲さんもそれ以上は深追いしてこずに、サラッと言う。

「見にいってみようか」




 こういうとき自営業は融通が利く。

 オレが試験休みに入ると早速店を臨時休業にし、一泊二日で天文台へ行くことになった。

 どうせならということで、日本で一番大きな公開天体望遠鏡があるところを選び、いざレンタカーで出発する。

「ほんと辺鄙なところにあるんですね」

 7時間以上かけてやっと車が所在県内に入った。まだ山の裾野だが、畑ばかりでびっくりするほど建物がない。見晴らしがよすぎて殺風景にすら感じる景色を眺めていると、運転席の藤咲さんが「疲れたか?」と声をかけてきた。

「それを言うならアンタでしょ」

「全然余裕。座りっぱなしで尻が痛えけど。いやあ、俺もまだまだ若いな」

「そういうこと言うのが、もう中年なんですよ」

「中年はやめろ。そりゃお前から見たらおっさんだろうけどさあ」

 そんなことはない。人生二度目のオレからすれば、30歳のアンタなんてここからがちょうど……何がちょうどなんだ、何が。

「体力面はともかく、内臓は酒でボロボロでしょうね。ちょっとは節制したら?」

「してるっつーの。お前いっつも俺が飲んだくれてるみたいな言い方するけどな、そんなことないぞ」

「だって閉店時間に帰ってきたことないじゃないですか」

「早仕舞いできた日は小説書いてんだよ、店ん中で」

「……そうなんですか?」

 びっくりして顔を見た。ハンドルを握ったまま藤咲さんが、肩を竦めて笑う。

「ま、なかなか進まないけどな」

「それでも書いてるんだ……」

 すっかり忘れてた、この人が小説家志望だったなんてこと。

 諦めてなかったんだ。この人には夢がある。

「……なんか焦ります。オレ、何すればいいんだろう」

「それを今から探しにいくんだろ」

「見れますかね、星。また雨降るかも」

「雨? こんなに晴れてるのに?」

「裸眼でもはっきり見えるのに、これだから夜行性のバーテンダーは……。ちゃんと見て運転してください」

 真っ直ぐに続く、広々とした道路の先の大きな水たまりを指差しながら言った。

 しばらくエンジン音だけが響いたあと、藤咲さんがいきなり大声を上げる。

「……あ! もしかしてお前、逃げ水知らねえ!?」

「ニゲミズ? なんです、それ」

「うわー、マジかあ。確かに最近どこも混んでるもんな。俺がガキの頃なんか……あー、やっぱ俺もうおっさんだわ。凹む」

「一人で凹んでないで、さっさとなんなのか言ってください。雨じゃないなら、道路の洗浄液とかですか?」

 ハンドルに凭れかかった藤咲さんをせっつく。彼が姿勢を戻した。

「あれ全部、蜃気楼の一種。逃げる水。水たまりじゃねえの。地鏡ともいう」

「騙されませんよ。あんなにはっきり見えてるじゃないですか」

「近く見てみろよ。濡れてないだろ、近づきもしねえし。お前が子供のときにも、1回くらい一緒に見たことあると思うぞー」

「そう言われればそんな気も……」

 そうだ。確かにあった。いつ見たかも、どこで見たかも覚えていないが、側にこの人がいた印象は残っている。雨は降ってなかったのに水たまりがあるから、少し不思議に思ってたんだ。気付かない間に、にわか雨でも降ったのだろうとすぐ意識から外したが、あれも逃げ水だったのだろう。

「写真にも写るぞ。撮ってみたら?」

 促されて、グローブボックスから藤咲さん愛用のデジカメをとり出した。画像にもはっきり写っている。地鏡という名に相応しく、映りこんだ横のガードレールや側を通る車の色までくっきりと反射して。

「……ほんとだ。何が正しいのか判んなくなりますね……」

 子供時代のある日、オレが水たまりだと思って見ていたものは、藤咲さんにとっては幻覚だった。

 40年も生きてきて知らなかった。他にもまだまだオレの知らないことが、この世界には溢れているのかもしれない。




 夕方頃に山の頂上にある天文台に到着した。

 敷地内は広大な緑地公園のようだ。部活動中らしい走りこみをしている若者や、ダンスの練習をしている集団もいる。

「楽器の練習してる人もいますね。ギターとかだけど」

「持ってきて正解だったろ? 大学の研究施設だから結構自由なんだよ」

 一泊にしては多い荷物を車から降ろし、まずは受付で手続きを済ませる。今日の宿泊者はオレたちだけらしい。確かに試験休み期間とはいえ、平日のど真ん中だ。梅雨明けが発表されたのも一昨日のことだったし、この時期遠方からの来訪者は稀なのだろう。受付員に楽器ケースを見せつつ、「外で吹いてもいいですか?」と訊いたら、なんなくオッケーをもらえた。

 宿泊施設はファミリータイプの社宅みたいな造りになっていた。カウンターキッチン付きのリビングに寝室。風呂とトイレも別々で、家具や電化製品、ティッシュペーパーやまな板などの日用品まで揃っている。

 部屋に荷物を置いてから、早速芝生の上でバンドの練習曲『ゴッドファーザー』を吹いていると、さすがに音が大きいからか人が集まってきた。その中にいた白衣姿の中年男性に、藤咲さんがサックスのリードから口を離して話しかける。

「ここの職員さんですよね? 俺たち今日ここに泊まるんですけど、夜は迷惑ですかね? 星を見ながら吹いてみたいんですけど」

「あー、どうやろ? 研究中の先生おったかなあ。ちょお待っとって。訊いてきたるわ」

 男が建物の中に入っていった。

 久しぶりに生の関西弁を聞いた。イントネーションも言葉遣いもほぼ前世の地元と変わらなかったが、懐かしいというより新鮮味を覚える。もうオレは大阪弁を喋れないだろう。

 白衣の男が手を振り振り戻ってきた。「9時までやったらええってー!」

 パッと顔を輝かせた藤咲さんがリードを咥える。吹き鳴らしたのは、メンデルスゾーン『夏の夜の夢』の一曲、その冒頭部だ。

 感謝の気持ちを伝えたかったんだろうけど、なんで結婚行進曲なんだよ。



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