第186話 氷獄の魔都

「…………」


 眩しさから目を瞑っていた莱香だが、実際の時間は精々数秒といった所だっただろう。瞼越しに感じる光が薄らいだ事で恐る恐る目を開ける。


「あ……」


 隣には手を握ったままだったクリスタの姿。ロージー達の姿も確認できた。いや、彼女達だけではない。あそこで広場にいた戦士隊全員がそのまま転移されたようでリズベットも含めて、そっくりそのまま勢ぞろいしていた。



 莱香は一瞬ホッとするが、すぐに気を引き締めて周りを見渡す。レベッカ始め隊長クラスの女性達も一早く立ち直って状況把握に努めようとしている様子だった。


「こ、ここは……?」


 どこか大きな街のようだった。イナンナのそれにも匹敵するくらいの大きな広場に自分達は居た。そこから放射状に石畳の道が街中に伸びていた。


 上空には暗い雲が立ち込め日の光は殆ど差していない。そして更に一面を覆い尽くす……白い結晶。



 雪だ。



 上空には雪が……吹雪が舞っているのだった。



 何とも暗く陰鬱で寒々しい光景だが、莱香は自分が寒さを感じていない事に気付いた。露出度の高い改造具足しか身に着けていない身では寒さは相当に堪えるはずなのだが……。


 そう言えば空には吹雪が舞っているのに、地面には雪が全く積もっていない事にも気付いた。


「……この天候。そして巨大な街。街全体を覆う『結界』……。まさか、ここは……」


「クリスタさん、知っているんですか?」 


「多分だけど。でも断定は出来ない。……知っていそうな人に確認するのが一番ね」


「え?」


 クリスタの視線の先では、レベッカやフラカニャーナ達他の小隊長クラスが集まって現状把握に努めていた。隊員達は皆戸惑ったように身を寄せ合っている。


「皆、無事か? ここは一体どこなんだ?」


 レベッカが辺りを見渡しながら呟く。その問いに答えられる者などいるはずがない……はずだった。



「……ニブルヘイム」

「……何?」



 全員の視線が発言の主……イエヴァの方に集中する。


「イエヴァ……心当たりがあるのか?」


 レベッカの確認にイエヴァはコクッと頷く。


「ここは、ミッドガルド王国の首都……ニブルヘイムで間違いない、はず」


「……!」


 戦士隊の間を衝撃が走る。



 ミッドガルド王国。クィンダムとは国境を接していない、進化種の領域の奥深くに存在する国で、殆どの女性達にとっては完全に未知の領域だ。そして何より……


「こ、ここがミッドガルド王国の首都だと……? という事はシュンが来ているはず、だな……?」


「そ、そのはず、ですが……」


 リズベットが首肯する。ここに転移されたという事はつまり、カレンの主とやらはミッドガルド王国という事になる。となるとやはりシュンに対する『対談』の提案自体罠だった可能性が高い。

 

 レベッカの決断は一瞬だった。


「シュンを探さねばならん。シュンの安否は勿論だが、我々が無事に脱出するにはシュンとの合流が不可欠だ」


 レベッカの言葉に小隊長達は一様に頷く。


「よし、決して油断するなよ。……皆、一塊になって決してはぐれるな! 我々はこれよりシュンの捜索を――」 



「――〈御使い〉にお会いになりたいのなら、すぐにでも会わせて差し上げますとも」


「……ッ!?」



 隊員達に向かって号令していたレベッカが息を呑んで硬直する。他の面々は一斉に武器を抜いて警戒する。


 不気味な嘲弄するような声と共に広場に姿を現したのは……赤銅色の肌をした1人の魔人種であった。人間の面影を多分に残した姿。人間の男性の姿を見なくなって久しい女性達は、むしろ醜い進化種の姿を見た時以上の驚きを持ってその姿を眺めていた。


 その外見的特徴は、事前にイエヴァから聞いていた魔人種の〈貴族〉の特徴と一致する。


「く……! 皆、後退を……」


「どこへ行かれるのですかな? 土地勘もない場所を闇雲に走り回るのは危険ですぞ?」


「……!!」


 咄嗟に離脱を指示しようとしたレベッカだが、目の前の赤銅色の〈貴族〉が片手を上げると、それを合図として広場を囲む建物の陰から大勢の魔人種が現れて、戦士隊をグルリと取り囲んだ。


 現れた連中は殆どが〈市民〉のようだ。しかし優に100人を超える人数で囲まれており、まともにぶつかるのは極めて分が悪い。しかもその包囲の中には、数人だが明らかに〈貴族〉と思しき者も混じっており、増々力づくでの脱出は困難であった。


「ク、クリスタさん……」


「シ……今は様子を見ましょう。すぐに攻撃してくる気配はないみたいだし、ライカさんも隊員達を落ち着かせて」


「あ……そ、そうですね」


 思わず、といった感じでクリスタに不安がった顔を向けると、そんな風に返された。莱香は自分の立場を思い出してすぐにロージー達の元へ向かった。



 そうしている間にも先頭にいるレベッカ達と、赤銅色の〈貴族〉とのやり取りは続いていた。


「……逃げ場はないという事か。我等をどうするつもりだ?」


「別に何もしませんよ。言ったでしょう。〈御使い〉に会わせて差し上げる、と」


「……その言葉を信じられる根拠は?」


 赤銅色の〈貴族〉は肩を竦めた。


「特にありませんが……あなた方には選択の余地はない。そうでしょう?」


「く……」


 レベッカが歯噛みする。確かに戦力差は圧倒的だ。魔人種達はレベッカ達を捕らえようと思えばその実行は容易い事である。レベッカ達が信じようと信じまいと、どちらでも大差はないと言外にほのめかしているのだ。


「レ、レベッカ……」


「そんな顔をするな、リズ。解っている。……いいだろう。確かに我々にはその言葉を信じる以外に選択肢は無さそうだ。シュンの所へ案内してもらおう」


 そう言って武器を収めるレベッカ。他の面々も総隊長の判断に従って各々武器を収める。〈貴族〉が気障っぽく腰を折って一礼する。


「賢明なご判断に感謝いたします。それではご案内致しますので付いてきて頂けますか? あ、それと申し遅れました。私、ミッドガルドの〈侯爵〉で〈王〉の側近を務めさせて頂いております、アグナス・グレンデルと申します。以後お見知り置きを」



 そしてアグナス達に導かれるままニブルヘイムの街を進んでいく戦士隊の面々。ただでさえ悪天候で暗い雰囲気の街だが、更にあちこちから下卑た哄笑や女性の悲鳴が轟いているとあっては、とても心穏やかにはいられない。


 莱香は耳を塞ぎたくなった。



(舜……本当にここにいるの? なら一緒に帰ろう? もうこんな所に居たくないよ……)



 莱香はいつしか祈るような心持ちになっていた。



 地獄のような街を通り抜け、巨大な王城と思しき建物の前まで来た一行。先導していたアグナスが振り返る。


「さあ、この城の中に〈御使い〉がおられます。既に〈王〉より許可は出ております。参りましょうか」


「……シュンがいるとは言ったが……無事・・なんだろうな?」 


 レベッカの問いに莱香はハッとなる。『対談』自体が罠だったとするなら、果たして今シュンがどうなっているのか……。だがアグナスは含んだような笑いを浮かべる。


「ええ、ええ。そう思われるのは当然ですが……〈御使い〉は確かに『無事』でいらっしゃいますよ。少なくとも傷一つ付けてはいません。それは保証致します」


「…………」


 その笑いに嫌な物を感じた莱香だが、どの道ここで何か言った所で無意味だろう。舜に会わせるというのだから、今は大人しく付いていく他ない。


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