第147話 新たなる女神

 魔力を全開にして凄まじいスピードで追い縋る舜。程なくして浅井の魔力を感知出来た。今度こそ逃がしはしない。一瞬で浅井の前に回り込む。


「――ひぃ!?」


 浅井の情けない悲鳴。その美しい顔は哀れな程に青ざめて恐怖に歪んでいた。優美な女性の人魚の姿である。何も知らないで相対すれば思わず同情して情けを掛けてしまうだろう。だが中身が浅井だと知っている舜がこいつの外見に騙される事は無い。


「おい、浅井。そんなに慌ててどこへ行くんだ? 昨日まではあんなに楽しそうにしてたじゃないか。これからもっと楽しくなるんだぞ?」


「……ッ!」


 神化種ディヤウスとなっている今の舜の外見は怜悧な美貌を持つ漆黒の堕天使だ。その反転した黒い目も相まって得も言われぬ凄みがある。浅井の顔色が紙のように白くなる。


「ま、待って……待ちなさいよ! あ、あなただってあの倉庫跡で私を殺したじゃない! こ、今度こそ正真正銘お相子っていう事で……」


「俺だけならそれでも良かったんだけどな……。でもお前は莱香を傷つけた。莱香を悲しませた。俺にとってお前を許せない理由はそれだけで十分だ」


「……!」


 『交渉』の余地がない事を悟ったのだろう。浅井が息を呑む。


「さあ、こそこそと逃げ回るのはやめて男らしく……いや、今はお互いに女の姿になってるんだから、女らしく、か? 決着付けようじゃないか」



「……シュン。あなたはどこまでも…………やれっ!」


「ッ!?」


 浅井の合図とほぼ同時に、舜は何者かに羽交い絞めにされる。いくら浅井に意識を集中させていたとは言え、神化種たる舜の感覚を欺くなど尋常ではない。


「〈御使い〉よ。悪く思うな」


 重々しい声音。セドニアスだ。そう言えば逃げる時は浅井と一緒にいたはずなのに、先程追いついた時は姿が見えなかった。失念していたのは迂闊だった。


「く、離せっ!」


 舜は暴れて振り解こうとするが、セドニアスの怪力は凄まじく全く敵わなかった。そもそも舜の神化種形態は女性の姿になっている事からも解るように、他の〈王〉達のそれとは違って単純な身体能力などは殆ど強化されていない。魔力全振りの強化なのである。その為このように密着、捕獲されると意外と弱いという弱点があった。勿論強化魔法は使えるがそれは相手も同じ事である。


(それなら……!)


 先程の〈貴族〉達を倒した要領で強引に魔法を発動して、セドニアスを焼き殺そうとする。魔力特化の神化種だけあって、舜が本気になって攻撃魔法を発動すれば例え〈公爵〉級であっても押さえ込めない。だが……


「おっと、悪ぃがそうはさせねぇぜ?」

「なっ!?」


 いつの間にかもう1人、全く別の進化種が現れていた。セドニアスとは違ってやや粗暴な感じの口調。ホホジロザメと人間が融合したような鮫人間であった。そいつは下から迫ってきて、舜の足を掴んだ。


「この国の〈公爵〉グスタフだ。いくら〈御使い〉でも、流石に2人の〈公爵〉に同時に押さえ込まれちゃ魔法の発動は出来ねぇと思うぜ?」


「〈公爵〉……!」


 魔法は発動の際に魔力を練り上げる必要がある為、このように密着していれば相手の魔力に干渉してその発動を押さえ込む事が可能だ。ただし発動する側の魔力が強いとそれらの干渉を押しのけて強引に魔法を発動できる。尤も相手に密着するリスクも高い事から、余り実戦では活用される事が無い理論上の仕組みではあったが。


 〈公爵〉2人掛かりとなると、神化種の魔力にすら干渉できるレベルになるようだ。上手く魔力を練り上げる事が出来ずに舜は焦る。



「うふふふ……形勢逆転ねぇ、シュン? 私の魔法でこいつらの姿と魔力を遮蔽していたのよ。あなたでも気付かなかったでしょう?」


「く……!」


 偽の要石といい、浅井は他の〈王〉と異なり、かなりこういった幻覚、幻惑の類いを得意とする性質のようである。浅井が魔力で短めの槍を作り出した。先端が三叉に分かれている。


「ふふふ、しっかり押さえていなさい。本当は嬲って殺すつもりだったけど、こうなったら仕方がないわね。一思いに終わらせてあげる。心配しないで。あなたの愛しい女達もすぐに後を追わせてあげるから」


「く、そ……!」


 舜は必死で身体をもがかせるが、2人の強力な進化種に押さえ込まれていてはビクともしない。身体だけでなく魔法も練り上げる傍から押さえられて発動できない。浅井がそんな舜を嘲笑うように三叉槍を構えて突っ込んでくる。


(くそ……! こんな事で終わりなのか!?)


「あははは! 死ねぇぇぇっ!」


 浅井の狂笑と共に槍が突き出される。それは狙い過たず舜の心臓部に突き刺さる――――寸前で、光の壁のような物が発生し弾き飛ばされた!



「「なっ……!?」」



 期せずして舜と浅井、〈公爵〉達の声がハモる。舜を包むように突如発生した光の壁は、舜を捕らえていた〈公爵〉達も同様に弾き飛ばしたのだ。


 驚いたのは浅井達だけではない。舜自身、この光の壁に全く覚えが無かったのだ。


(な、何だ!? 何が起きたんだ!?)


 パニックに陥り掛ける舜の頭の中に直接響いてくる声があった。これはフォーティアの念話だ。


(シュン……シュン! 聞こえますか……?)


(!? フォーティア様じゃない!? この声は……?)


 聞こえてきたのは聞き慣れたフォーティアのものとは違う、もう少し柔らかい感じの声音と口調の女性の声であった。舜には聞き覚えのない声であった。



(このような場で失礼致します。わたくしは節制の女神テンパランシアと申します。あなたとライカ達の奮闘によって封印から解放されました。本当に感謝致します)



(テンパランシア、様……!)



 確か四女神の三女であのフォーティアの妹神に当たる存在だったはずだ。莱香達が要石を壊してくれたお陰で、無事に復活する事が出来たらしい。


(この光の壁は……?)


(はい、私の方で咄嗟に張らせて頂きました。下界に直接干渉できるのは今のが精一杯です。封印から解放してもらった恩をお返ししたかったのですが……)


(……いえ、充分です。ありがとうございました。もうあんな不覚は取りません。後は自分で何とかします)


(お願いします。ハデスからの干渉は私とフォーティア姉様で抑えます。存分に力を発揮なさって下さい)


(はい……!)



 実際の念話の時間はほぼ一瞬であった。舜は改めて浅井を見据える。浅井がビクッと身を怯ませる。


「ひっ!? な、何なのよ、今のは!? 魔法じゃなかった。ま、まさか封印を解かれた女神の……!?」


 ある程度の状況は推察できたらしい。だが解った所で特に問題は無い。もう油断は無しだ。全力を持って浅井を叩き潰すだけだ。舜はサーベルを作り出し、全身に魔力を高めていく。


「ひぃっ! お、お前達! 何をしているの!? 掛かれ! 掛かりなさぁいっ!!」


 舜の臨戦態勢を見た浅井が半狂乱になって喚く。セドニアスが諫言しようとする。


「陛下! 神化種に正面から挑むのは無謀です! ここは陛下も神化種になって対抗すべき――」


「嫌よ、あんな醜い・・のっ! 絶対に嫌っ!! そもそもお前達、私に戦わせて自分達だけ逃げる気!? 〈女王〉たる私の命令よ! 奴を……シュンを攻撃しなさい!」


「…………」


 セドニアスとグスタフが顔を見合わせる。そして諦めたように溜息を吐くと舜の方に向き直ってきた。その全身から魔力が噴き上がる。不本意ではあるがやる気のようだ。舜も同情して負けてやる訳には行かない。退かないというのなら力づくで排除するまでだ。

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