第三章 巨蟲

第76話 クィンダム存亡の危機

 その日、クィンダムを震撼させる驚愕の報がもたらされた。




「侵……攻、だと!?」


 その報せを受けて、信じられない、と言った風の様子を見せるのは、白銀のビキニアーマーに身を包んだ茶色髪の女戦士……戦士長レベッカ・シェリダンであった。



「は、はい……! 戦士長と副長は、大至急神殿までお越し頂くようにと、リズベット様から言伝です!」



 息を切らせて練兵場まで伝言を届けに来たのは、神官のカレン・アディソンだ。有事で神官長が不在の際には、政務を代行する縁の下の力持ち的な存在である彼女が、顔を真っ青にして駆け込んできたのだ。普段の彼女の穏やかっぷりを知っている面々からすれば、それだけでもただ事ではないと察せられる。




 時刻は早朝。練兵場に集まった聖女戦士隊アマゾーンの面々が、日課の訓練を始めようとした矢先の事である。剣呑な雰囲気に、他の戦士達も騒然とし出す。


「た、隊長……」


 不安げな声でレベッカに話しかけるのは、戦士隊の副長の1人、ヴァローナ・フェリスだ。金髪のショートヘアで、普段は明るいムードメーカ的存在の彼女も不安を隠せていない。


「今、侵攻と聞こえましたが……!?」


 そう言いながらもう1人の副長、ミリアリア・ブレーメルも、長い黒髪をたなびかせながら駆け寄ってきた。



「うむ……。リズやこのカレンがそんなたちに悪い冗談を言うはずも無し、本当だとするなら、訓練どころではなさそうだな」



 レベッカが部下達を振り返り、厳しい表情で告げる。2人の副長は息を呑む。レベッカは再びカレンの方に視線を向ける。



「解った。部下達に指示をしたらすぐに向かうと伝えてくれ」

「は、はい! 出来るだけ急いで下さいね!?」



 伝言を受け取ったカレンは、急ぎ足で大神殿へと駆け戻っていった。





 それを見届けてから、レベッカは隊員達に号令を出す。


「皆、聞いての通りだ。私達はこれから大神殿に行かねばならん。恐らく……出撃になると思う。詳細は解り次第通達するので、皆出撃準備を整えておけ!」


 隊員達は騒めきながらも、指示に従って行動を開始する。


「お前達も今日の訓練は中止だ。解散して構わんぞ」


 レベッカは副長以外で、この場に残っていたもう2人の人物にも声を掛ける。




「……レベッカさん。お願いがあります。私も神殿に同行させてもらってもいいでしょうか?」


 そう言って進み出たのは、黒髪をポニーテールにした黒瞳の少女、九条莱香らいかだ。彼女はとある事情・・・・・によって、この世界――イシュタールに転移してきた日本の女子高生であった。


「可能であれば私もお願い致します。何か助言できる事があるやも知れませんし……」


 莱香と並ぶように、もう1人の女性が進み出る。金褐色の髪をした優し気な雰囲気の女性だ。名をクリスタ・ブリジットと言う。彼女も少し変わった経緯で、このクィンダムへとやってきた女性であった。



「む……ふむ。まあいいだろう。確かにお前達も聞いておくべきかも知れんな。では時間が惜しい。このまま真っ直ぐ大神殿まで行くぞ!」


 その場に残った女性達は、一斉に頷いた。





 レベッカ達が大神殿に到着すると、すぐに1人の女性が出迎えた。輝くような金髪を三つ編みにして後ろで一つ束ねにした髪型で、肉感的な肢体を露出法衣に包んだ神官長、リズベット・ウォレスである。


「レベッカ! カレンから聞いていると思いますが、大変な事になりました……!」


「待て、落ち着けリズッ! こんな入口で立ち話するような内容でもないだろう!? とりあえず中で話そう」


 血相を変えて詰め寄るリズベットを落ち着かせるレベッカ。普段のリズベットは冷静で大抵の物事には動じない性格だ。それがこんなに取り乱しているという事実が、事態の大きさを物語っている。

 諭されたリズベットは、ハッと我に返ると頬を赤らめた。


「す、すみません、私とした事が……。そ、そうですね。奥の執務室で話しましょう」


 そうして落ち着きを取り戻したリズベットに促され、奥の彼女の執務室に入る一行。リズベットは莱香達が付いてきている事には、特に言及しなかった。或いは予期していたのかも知れない。



 皆が席に着くと、リズベットは時間が惜しいとばかりに、前置きなしで話し始めた。



「おほん! ……カレンから聞いていると思いますが……『侵攻』の発生を確認しました」


「…………!」


 改めてリズベット本人の口から告げられる事で、事の重大さを認識する一同。約1名を除いて。



「……あの、さっきから皆さんが言っている『侵攻』って何ですか?」



 その単語と、皆の雰囲気でおおよその察しは付くが、まだこの世界の常識に疎い莱香は念のために確認する。



「む……? ああ、そう言えばお前は、『あいつ』のように予め知識を授かっているのではなかったな……」



 あいつ、という言葉に一瞬心が騒めくが、今はそれを気にしている場合ではない。レベッカの説明に耳を傾ける。





 基本的に進化種プログレスは常日頃から、このクィンダムに対して散発的な攻撃を仕掛けて来ている。クィンダムを覆い包む『神膜』の存在によって、〈貴族〉以上の上級の進化種はクィンダムに入ってきただけで死に至るし、下級の〈市民〉であっても余り長期間の活動は不可能だ。魔力の補充も出来ない上に、迂闊に神膜内で魔力が枯渇したら〈市民〉でも死んでしまう。


 その為余り大規模な攻撃には至らないのだが、それでも4つの進化種の王国に囲まれているクィンダムは、常に攻撃を受け続けているのが現状だ。



 そうした進化種の攻撃行動は、その規模によって3つのカテゴリーに分けられている。




 カテゴリー1は『略奪』。〈市民〉1~2人程度の個人規模の攻撃で、最も頻繁に発生する。

 恐らくは〈市民〉が個人的に女性を手に入れる為に、独断で行っているものと類推されている。個人で手に入れた女性は個人で国に売り捌ける為に、一獲千金を夢見る〈市民〉が後を絶たないのだ、というのは、進化種の内情を知るクリスタの弁だ。


 人数が増えれば分け前も減る為、『略奪』は必ず少人数で行われる。


 神術が使える言わば「エリート」である戦士隊が討伐に出向く事は殆どなく、基本的に各街の衛兵隊が対処に当たっている。各街には領主代行として神官が最低1人は常駐しているので、彼女らが索敵を行って発見するケースが多い。


 進化種に対して有効な神術は、女性なら誰でも使えるという訳ではない。規模は小さいと言っても、〈市民〉は例外なく初歩的だが魔法を使える上に、10体程度の眷属を召喚する能力があるので、神術を使えない女性である衛兵達にとっては、それだけでも充分脅威だ。


 だが戦士隊は数が限られている上に、専ら『襲撃』に対処する事が多いので、『略奪』への対処は各街の神官と衛兵頼みになってしまっているのが現状だ。勿論、手が空いている時なら、戦士隊から何人かの隊員を派遣する場合もあるのだが。





 カテゴリー2が『襲撃』だ。〈市民〉が5人以上の場合はこちらに分類される。通常の〈市民〉だけでなく、大抵リーダー格となる変異体が率いている場合が多い。変異体は通常の〈市民〉とは比較にならない程の強さで、戦士隊の隊員でも相手にならない。


 一対一でまともに変異体と戦えるのは隊長のレベッカのみという有様で、故に『襲撃』には戦士隊の動員が必須となる。

 莱香はアビュドスの街で出会った黒鼠人や赤猫人を思い出していた。


 クリスタによると『襲撃』は、進化種の王国の各都市ごとの采配によって行われるのだという。言わば都市規模の『略奪』という訳だ。『襲撃』によって確保した女性――奴隷は、その都市を治める〈貴族〉から〈王〉が買い上げるという形になる為、基本的に『襲撃』は、利益や〈王〉の歓心を求める各都市ごとの〈貴族〉の意向によって行われるのだ。


 その為、同じ王国の〈貴族〉同士で足を引っ張り合ったり、牽制し合ったりがあり、そこまで頻繁に『襲撃』が発生しない理由の一つとなっている。



 因みにそれを聞いたレベッカやリズベットは、若干複雑そうな顔をしていた。それもそうだろう。自分達を物扱いする連中が、互いに喧嘩しているお陰で、自分達が安泰であったと知らされたのだから。進化種の王国同士で牽制がある事は以前知らされていたが、まさか同じ国の〈貴族〉同士でも、そのような状況になっているというのは知らなかったのだ。


 つくづく進化種の内情に助けられていたのだ、と言う事実を実感させられていた。



 だが……それも今日までの話であろう。





 カテゴリー3。それが『侵攻』だ。クィンダム発足以来、一度も発生した事のない幻のカテゴリーだ。いや、だったと言うべきか。


 これは国家規模の『略奪』、つまりは文字通りの侵略行為である。基本的に国同士で牽制し合っている限りはまず発生しないと思われていたのだが……





「均衡が崩れた、のだな……」


 レベッカの言葉に、リズベットが厳しい表情のまま頷く。


「ええ……。〈爬虫種レプティリアン〉のアストラン王国の〈王〉。そして先日は〈鳥獣種ビースティアン〉のバフタン王国の〈王〉が……。2人の〈王〉が立て続けに倒れた事で、両側からの圧力が弱まった国があります」


「ラークシャサ王国。〈節足種インセクティアン〉共か……」


「はい。オケアノス王国の〈海洋種オセアン〉達は不気味な沈黙を続けていますし、侵攻方向から見ても間違いないかと……」


「……くそっ!」


 レベッカが毒づく。




 クィンダムと国境を接していない〈魔人種ディアボロス〉は別として、他の4つの種族はクィンダムに住まう女達の独占を狙って常に互いに緊張状態であったのだ。だがクィンダムから見て西に位置するアストラン王国と、北に位置するバフタン王国の圧力が弱まった事で、その中央、つまりクィンダムから見て北西に位置するラークシャサ王国が、これ幸いと牙を剥いたという訳だ。


 東の海に位置するオケアノス王国も条件は同じ筈だが、今の所〈海洋種〉に目立った動きは無かった。


「…………」

 その時部屋の中にいた女性全員が、1人の人物を思い浮かべる。2人の〈王〉を倒した、ある意味ではこの状況の原因ともなった少年……。


 だが勿論彼女らに『彼』を責める気持ちなど微塵もない。そもそも『彼』がいなければ、自分達の殆どは今こうして曲がりなりにも無事でいる事すら叶わなかったのだから。

 『彼』がいれば〈市民〉など物の数ではない。例え『侵攻』であっても、恐らく『彼』一人で撃退できたのではないか、と思える程の力を持っていた。




 だが今『彼』はいない。どれだけ強くとも、今ここにいない人物を当てにする訳には行かない。


(…………)


 莱香は王城のある方向を見た。そこに『彼』がいる。


「……ッ!」


 莱香は頭を振って気持ちを切り替える。今は他に集中すべき事柄がある。

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