第61話 交わる二つの線

 その後岩陰で最小限の休息を取った一行は、再び探索を開始した。レベッカもより慎重となり、その後は大きなトラブルもなく、舜は遂にあの時索敵で『とある反応』を感知したポイントまで到達していた。





「……着きました。俺が反応を感知したのはこの場所、の筈です」


 後2、3百メートルも行くと巨大な断崖に行き当たる、渓谷の中程の場所であった。見渡す限りの荒野が広がっており、そこに何かがいた痕跡は無かった。あったとしてもとうに消えてしまったのだろう。


(こんな何もない場所に……探知したのは3日以上前の事だし、魔獣もうろついてるし……)


 最悪の想像が頭を過ぎる。あの時感じた反応……あれは、あの懐かしい感覚は確かに「彼女」のものだった。それが……


(いや……嘘だ……あり得ない……。嘘だ。嘘だ! そんな事、あっていい筈が無い……!)


 舜にはその事実が認められなかった。認められる筈がない。





「シュ、シュン様……」


 黙り込んでしまった舜を心配して、リズベットが声を掛けてくる。舜が顔を上げる。


「……リズベットさん。もう一度、索敵を、行います……」

「……!」


 リズベットが息を呑む。レベッカも目を剥いた。




「正気か? 今ここであのような索敵を行えば、進化種共が……おそらく〈貴族〉までも殺到してくるぞ!?」


「でも……他に方法が無いんです! こうしないと彼女の……莱香の居場所が解らないんです!」


 今初めて自分が感知した『鍵』の詳細を明かした。今までは確証が無いので言葉を濁していたのだ。だがもうそんな精神的余裕は無くなっていた。



「ライカ、だと……? 彼女、という事は人間……それも女か? お前の知り合いなのか?」



「そうです……。そして、とても大切な女性なんです……」

「……!」



 何故かそれを聞いた3人が動揺した。いち早く立ち直ったのはロアンナだった。



「……そう。君には大切な人がいるのね……。解った。私は索敵に賛成するわ」


「お、おい、ロアンナ!?」


「流石にこの環境下で3日以上前の痕跡を追うなんて、私にも不可能だしね。それに私達、今までどれだけシュンに助けてもらった? 今度は私達が彼――今は彼女だけど――に協力する番じゃない?」


「む……!」

 レベッカが苦い顔になる。



「……そう、ですわね。それに折角ここまで来て、このまま何の収穫もなく帰るなんて出来ませんわ。留守を任せてきた部下達にも示しが付きませんしね」



「リズ……!」

 リズベットも賛意を示す。ここに至ってレベッカも折れた。



「ええい! もうどうなっても知らんぞ!? シュンの気持ちを汲んでやりたいのは私だって同じだ! 好きにしろっ!」



「皆さん……ありがとうございます」


「礼など不要だ。その『鍵』――ライカという女が見つかれば、お前に魔法の力が戻るのだろう? ならばこれはクィンダムの為でもある」


 レベッカが何故か少し顔を赤らめながら、そっぽを向いた。それを見たロアンナが苦笑する。



「素直じゃないわねぇ?」


「ッ! う、うるさい! それよりやるなら、さっさと済ませろ! 私は周囲を見張っている!」



 肩を怒らせながら、離れた場所に歩いて行くレベッカ。それを見やったロアンナは再び苦笑しながらも、自身も見張りの為に離れていく。リズベットが舜に手を差し出してくる。


「さあ、シュン様。レベッカの言葉ではありませんが、余り時間的な余裕は無いのですよね?」

「……その通りです。ありがとうございます、リズベットさん」


 そう言って舜が彼女の手を取ろうとした時だった。

 




「……ッ!?」


 頭の中を……そして身体中を駆け巡る不快な感触。まるで遠足の時に乗ったバスで乗り物酔いをした時のような、目眩にも似た感覚を覚え、舜は吐き気を催した。


「グ……エェ……! こ、これは、一体……?」


 見るとリズベットも不快げに頭を押さえて呻いていた。この症状に掛かっているのは舜1人だけでは無いようだ。


(これは……まさか……!?)


 舜には初めての感覚。しかしリズベット達のこの反応には覚えがあった。



「く……魔力探知!? 〈貴族〉が……いる!?」


 リズベットの呻くような声が、舜の予想を肯定する。レベッカとロアンナも不快げに顔を歪めながらも、こちらに駆け寄ってきた。



「シュン! リズ! 索敵は中止だ!」


「まずいわよ……完全に捕捉されてるわ。 かなりの速さでこちらに向かってるみたい……!」


「……!」

 魔素の満ちる神膜外で、進化種と追いかけっこをして逃げ切れる筈がない。どの道索敵を行うと決めた時点で覚悟していた事態だ。索敵によって手がかりを得る前に、逆にこちらが捕捉されてしまったのは想定外ではあるが。


「こうなったらやむを得ん! 迎え撃つぞ! 戦闘準備だ!」


 レベッカの言葉に、一行は慌てて外套を脱ぎ捨て、得物を手にして神力を練り上げる。そして探知の魔力が放たれた方角を睨み据えながら、万全の態勢で待ち構える。幸か不幸か、周りは大きな遮蔽物のない荒野だ。樹海とは異なり、不意打ちを受けるリスクは低い。

 




 

 そして……〈貴族〉が現れた。


 2百メートル程先にある大きな岩の陰から、そいつは姿を現した。それは強者の余裕だろうか。明らかにこちらを補足しているにも関わらず、特に急いで距離を詰めてくる訳でもなく、堂々とした歩みで近付いてきた。部下だろうか、後ろに2人ほど別の進化種を伴っている。

 近付いてくるにつれ、舜にもその姿がはっきりと視認出来るようになってきた。




 それは狼の進化種であった。全身を灰色の剛毛に覆われたその姿は、並の進化種とは比較にならない、威厳のようなものを醸し出していた。


 間違いなくこの狼人が〈貴族〉だろう。


「……ッ!」


 ロアンナが弓を握りしめたまま、固まっている。狼人の凄まじい魔力と気迫に呑まれたかのように、冷や汗を流していた。既に弓による先制攻撃が出来る距離であったが……撃てない。

 不用意に牽制など仕掛ければ、あの狼人はその瞬間に牙を剥いてくる……そんな予感があった。いや、それは恐怖でもあった。


 そんなロアンナの動揺など歯牙にも掛けず悠々と歩いてきた狼人は、舜達から10メートルほどの地点で止まった。後ろには変異体と思しき2人の進化種がおり、それぞれ何か大きな袋のような物を担いでいた。


「…………」


 舜達4人は、気圧されたように誰も喋る事なく、狼人の一挙手一投足を油断なく睨み据えていた。場の空気を支配しているのは、完全に目の前の狼人であった。






「ふむ……これはまた珍客だな」


 狼人が喋った。その流暢な声は、間違いなく目の前の狼人が〈貴族〉である事を示していた。


「確認しておきたいのだが……君達はあのクィンダムから来た人間で間違いは無いな?」


「そう……だ……!」


 一行を代表して、レベッカが答える。しかし激しい精神的な重圧を感じているようで、その受け答えには全く余裕は無かった。


「ふむ……ここは我々の国の領域だが……一体何をしに来たのだ? まさか遠路はるばる、わざわざ奴隷になりに来たという訳でもあるまい?」


「……ッ!」

 慇懃無礼なその言葉にレベッカが激昂しかけるが、舜が制止した。理由は解らないが、この〈貴族〉はすぐに襲ってくる訳ではなさそうだ。得られる情報は得ておきたい。


「捜し物を、しています……」


 レベッカに代わって答えた舜を見た狼人が、一瞬目を見開いたように見えたが、すぐに元に戻った。或いは気の所為だったかも知れない。



「ほう……このような荒野のど真ん中で捜し物とな……。因みにそれが何なのか聞いても良いかね?」


「……女性です。俺と同じ髪と瞳の色をした……」


「シュン!?」


 レベッカが驚いたように舜を見やる。敵相手にベラベラ情報を喋っているという自覚はあるが、どの道何の手がかりもない今の状況で隠す意味はない。ある意味、藁にも縋る思いで口にしただけであったが……



「……もう一つだけ確認しておきたい。……君は〈日本人〉か?」

「……ッ!?」


 はっきりと舜を見据えた上でそう質問してくる狼人に、思わず動揺してしまう。まさか今ここで聞くとは思っていなかった単語であっただけに、尚更動揺を隠せなかった。狼人が笑う。


「その反応で充分だ。……つまりお前が〈御使い〉とやらか」

「なっ……!?」


 その言葉に今度はレベッカ達が動揺する。その姿に狼人が再び嘲笑う。



「腹芸の出来ぬ連中よな。我らが何の情報も得ていないと思ったか? つまりここでお前を殺せば……私は大手柄という訳だ」


「ッ!?」

 その言葉にギョッとしたように、レベッカ達は慌てて舜を後ろに庇う。相手が攻撃ではなく会話を選択してきた為に若干毒気を抜かれていたが、相手は邪悪な〈貴族〉なのだ。一瞬たりとも気を抜くべきではなかった。


「ふむ……だが〈御使い〉も、そしてお前達も中々の美貌揃いだ。私の奴隷にするのも悪くない……」


「く……おのれ! 汚らわしいケダモノめがっ!」


 レベッカ達が武器を構えて、殺気立つ。



「その汚らわしいケダモノの領域に自分達から来ておきながら、随分な物言いよな……。バフタン王国の〈伯爵〉ヴォルフだ。精々私を楽しませてみろ」


 そして〈貴族〉との戦いが始まった……。

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