12 胎動-8-

「………………」

「………………」

 2人はしばらくの間、見つめ合った。

 カイロウは喜んでいるようだった。

 ネメアは胡乱な目をしていた。

「どうかしたのか?」

 問いに彼女は反射的に目を逸らした。

”ダージと何があったのか?”

 そう訊きたいところだったが、理性がそれを押し留めた。

 自分とは関係ない。

 個人の自由だ。

 どうにかそう言い聞かせて、彼女は好奇心を鎮める。

「これで仕事は完了ね」

 ネメアは布越しに金貨の感触を確かめながら立ち上がった。

「ああ、素晴らしい仕事ぶりだった。次があればまたお願いしたいくらいだ」

「内容によるわね」

 言外に真っ当な仕事しか受けないと仄めかし、彼女は静かに出ていった。

 数分の間を置いてから、カイロウは噴き出した。

 地図とメモを前にして、その顔は無邪気な少年のように綻んでいる。

 彼女の手前、声をあげて笑うことは遠慮しなければならなかった。

 この男は捨て去ったハズの喜びという感情を思い出した。

 あまりに久しぶりだったせいで、それを隠す方法を思い出すのに苦労した。

「これでようやく……!」

 ダージもネメアも、素晴らしい知識をもたらしてくれた。

 2人が集めた情報はこの地図に集約してこそ真価を発揮する。

 彼はようやく見つけたのだ。

 クジラの動き、特性、方舟の挙動、そして――。

 娘を取り戻すための道筋を。

 手がかりはネメアがくれた3枚目のメモにあった。

 方舟が集積所に降下する時間は、そのほとんどが20時から22時の間に集中している。

 次にダージが持って来た遊泳ルート。

 法則に従えばクジラは10日後の夜、ここから南に数十キロメートルの近海を泳ぐハズである。

(その日は――)

 壁に貼った広報紙に目を向ける。

 一度は放り捨てたが、どうにも気になって再度手に入れたものだ。

 クジラ教の全信徒による祈りの夜。

 大教祖がしきりに喧伝している、クジラが世界を照らすという日だ。

 神を信じないカイロウも、これは天の導きだと思った。

 あの教団が各地でセレモニーを開くとなれば大変な規模になる。

 集まるのは敬虔な信者ばかりではない。

 露店の類も立ち並ぶだろうし、乱痴気騒ぎもあちこちで起こるにちがいない。

 薬物の取引が行なわれるのはまず間違いない。

 おそらく騒ぎに乗じて暴動も発生するだろう。

 政府やクジラに反感を持つ者にとって、このセレモニーは格好の標的だ。

 いつの時代も人が集まるところには必ずトラブルがつきまとう。

 このことはカイロウにとっては都合がよかった。

 多くの人間がセレモニーに注目する。

 それは役人も同じだ。

 教団が派手に盛り上げれば盛り上げるほど、彼の行動に注意を払う者はいなくなる。

 だから彼は決行の日を10日後に定めた。

 それを逃せば、もう二度とチャンスは巡って来ないかもしれない。

 あの胡散臭いクジラ教と大教祖に彼は感謝した。

 あの老女が眉唾もののお告げを広めてくれたおかげで、地上は沸き立つのだろう。

 そして彼女が言ったようにお導きだの新時代の到来だのと、浮かれ喜ぶ。

 そのお陰で彼は、自由に動くことができる。

(当日は大いに騒いでもらいたいものだ。ついでに役人どもの目も釘付けにしてくれよ)

 一度は収まった笑いがまた込み上げてくる。

 もう誰に遠慮する必要もないから彼は大笑した。

 娘との再会の日は目前に迫っていた。

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