ひとみちゃん

 幼少期の頃は、手あたり次第、誰彼構わず好きと言っていたような気がする。

 お父さんお母さんお兄ちゃんはもちろん大好きだし、甘いケーキが好きなのと同じように、好きなものはすき、嫌いなものはきらいと言っていた。まさくんもそのうちの一人だったし、他の男の子も好きだった。もちろん常に一緒に遊んでいた女の子も好きだった。


 特に私は、幼稚園の時から常にべったりだったひとみちゃんが大好きだった。


 ひとみちゃんは私よりも背が高いしっかりものの女の子で、いつも絵本を手にしてはこれはこういう花なんだよ、雲はなんでできるか知ってる?っていろいろと教えてくれた。私にはそんなひとみちゃんがとてもかっこよくて頼りになって、大好きだった。何をするにもひっついて、一緒に遊んでいた。たまにマンションにお呼ばれされては、髪が長い優しいお姉さんと一緒に遊んだり飼っているうさぎのぽぽちゃんに牧草をあげたりしていた。

 ひとみちゃんはうさぎが大好きで、よくうさぎグッズを持っていた。いつも一つ上のお姉さんの真似をして、長く伸ばした髪を両手でだいじそうに撫でていた。ひとみちゃんは、くっつくといつもシャンプーの甘い匂いがした。

「まゆちゃんのほっぺ、ぷにぷに。」

「そうかな?ひとみちゃんのほっぺはやわやわだね。」

「そうでしょ、こんなにのびるよ?」

 びよーんと、可愛い顔を自ら伸ばしてくるのも面白くて可愛らしい、彼女らしい一面だった。


 小学校は離れ離れになってしまったものの、通っていた進学塾でひとみちゃんに再開した。久々に会ったひとみちゃんは長い髪を常に三つ編みにしていて、それを男子に引っ張られてはからかわれていた。ただ、ひとみちゃんはつんと澄ました顔をしてそれを無視していた。氷少女とあだ名されていたような気がする、けれどもひとみちゃんは私にだけは声を掛けてくれた。私はますます瞳ちゃんが好きになった。授業中に、こっそりノートの切れ端に手紙を書いては渡し合いっこをしていた。お互いに漢字を習うようになってからは、ちゃんと綺麗にお互いの名前が書けるように練習した。

「真由ちゃんの字は左右対称だから書きやすいね。」

「瞳ちゃんは、目がどうしてもでっかくなっちゃうんだけど…。」

「大丈夫、このほうがかっこいいよ。」

 私は生まれて初めて自分の名前の漢字に感謝しながら、楽しく手紙交換をした。しかし、出来の悪い私はいつもテストで悪い点ばかり取ってしまい、いつしか瞳ちゃんは教室の離れた特進クラスへと行ってしまった。私が通う普通クラスには、ヤンママの娘にその取り巻き、誰とも話をしない女の子に、私と同じくらい太っている男の子に、いじめっこの男の子そして一部真面目な子が何人かいた。

 瞳ちゃんが近くにいなくなってからというものの、私には塾の時間がとてもつまらないものになってしまった。授業には身が入らないし、家でも予習復習ができなくなった。頭の中は瞳ちゃんに会いたい、声がききたい、そればかりが占めていた。けれどもある日、私の塾生活の中で変化が訪れる。

「永倉さん、この消しゴム違う?いつもこれ使ってるよね。」

 そう声を掛けてきたのは後ろの席に座る真面目な男の子、山口君だった。かつてのまさくんのように背が小さくて、けれども真面目に授業を聞いている男の子。どこの小学校かは知らないけれど、彼もいつも一人で塾にやってきては帰っていた。

「あ、私のだ。ありがとう。」

 そんな些細なやり取りから、私は彼のことが頭から離れなくなってしまっていた。いつも授業が始まる直前にやってくることが多くて、授業が終わると一目散に教室を出て帰っていく。なにか彼と話をしたいけど、消しゴムを拾ってもらった以来話すことも、席が前後なためプリントを配ったり貰うことしかできていない。

 たまにトイレに立つ彼の姿を眺めては、意外に睫毛が長かったり私よりも細い体型なことがよくわかって一人勝手に傷ついたりもした。

「山口、これ答えてみろ。」

「はい。」

 そしてたまに名前を指されてホワイトボードへと進みでる彼を眺めては、やはり私はにやにやしていたのだろうか。

「正解だ、じゃあ次は永倉。これ解いてみろ。」

「は、はい。」

 すっかり授業を聞いていなかった私はその真っ白な板に記された数字の意味も、なにもわからなかった。しかし、先生の補助のもとがんばって計算式を導き出して、最後に書いた答えは緊張で震えていた。

「ちっせ!見えねえよ。小さい字だなー。」

 いじめっこの男の子が、そう口にした。

「体はでっかいのにね。」

 どこからか、そんな声も聞こえた。そして、くすくすと笑う声もした。私は泣きたくなるような気持ちを我慢して、急いでその文字を消すと今度はあてつけのように大きく数字を書いた。

「永倉、ありがとうな。戻っていいぞ。」


 そしてその日の帰り、私は山口君といじめっこが塾の玄関先で話し合っている言葉を聞いてしまったのだ。

「ほんとやばかったよな。」

「ああ、デブゴンのあの小さい字。笑っちゃいそうだった。」

「なー、永倉デブゴン。」

 そう山口君が話していた。

 私は急いで家に帰って大泣きした。しばらく部屋に籠り、心配で見に来た母に、もう二度と塾なんていくものかと訴えたが母はそう甘くはなかった。

 その日以来、私はダイエットをすることを掲げながらも、瞳ちゃんに会うべく真面目に授業に取り組んだ。


「真由ちゃん、なんか久しぶりに会うような気がするね。」

「そうだね、瞳ちゃん髪切っちゃったの?」

「うん、お姉ちゃんが切ったから瞳も切ったの。」

 そして晴れて特進クラスに教室が変わった頃には、瞳ちゃんの髪型は短いボブになっていて、いつしか笑顔を皆に見せていた。

「瞳ちゃん、だれ?友達?」

「私も友達になりたーい。」

 瞳ちゃんは、特進クラスの人気者になっていた。紹介された恵美ちゃんとまどかちゃんは、悪い子ではなかったけれどなかなか話が合わなくて私はいつも愛想笑いを浮かべていた。そして月日が流れて、私と瞳ちゃんは無事、中学受験に合格した。

 本当は瞳ちゃんと同じ中学に行きたかったけど、残念ながら私の頭では行くことができなかった。

「真由ちゃん、また離れちゃうね。」

「うん、でも瞳ちゃんは憧れのバトン部に入れるんでしょ?よかったよ。」

「そうだね、でも真由ちゃんがいないと寂しいよ。」

 合格発表があった日、私と瞳ちゃんはぎゅーっと抱きしめあった。

「落ち着いたら、手紙書くからね。」

「うん、私も書くよ。」

 そう言って、あれから何年の月日が流れたのだろうか。結局お互いに忙しくて、手紙を書くことは一回もなかった。瞳ちゃんも私も女子校に進んで、たまに道で瞳ちゃんが通う学校の制服を着た、瞳ちゃんっぽい顔をした女の子を見かけることもあったけど、声を掛けることはしなかった。

 けれども、あの時私はたしかに瞳ちゃんが大好きだった。


 通っていた小学校にも多くの男の子、女の子がいたけれど皆バカばっかりにみえて、私には塾の世界しかなかった。あの頃の私の世界には、瞳ちゃんしかいなかった。



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