はじめてのラブホは同性と

陽花紫

三十路を目前にして

 私の家族構成はこうだ。

 寡黙な父にお喋りな母、頭の良い兄。そして私は出来の悪い妹。しかし私は兄と十歳の年の差がある。そんな私を父と兄はひどく可愛がり、母は時には優しく時には厳しく育ててくれた。家にいる時は末っ子らしくわがままで、外にいる時は恥ずかしがりの人見知りで人嫌い。こんな平成生まれの私がついに今年二十代最後の時を迎えることになってしまった。四月生まれの私は桜の花を見るたびに溜息をつく。

「今年も綺麗に咲いたね。」

 家の前に続く桜並木を窓からながめては母が口にする。御年六十五歳とは思えないほどのしゃきしゃきとした動きで掃除機をかけている。父は友人と釣りに出かけ、兄は数年前にこの家を出たきりだ。私はというと、地獄の七連勤を終えてやっとありつけた休日に体力回復をするため一日中布団の中でスマホを片手にごろごろしている真っ最中。

「ほらあんた、見てみなよ。」

 そう母が呼びかけるが私はうんと返事をしてお笑い芸人の動画に夢中になっている。笑うことはだいじなことだ。


 新卒で入社した服屋の販売員の仕事は、順調だが人の入れ替わりが激しいせいでいらぬ気力と体力を消耗する日々。同僚もいつの間にか転職して、今では私一人で店を回す店長補佐にまでなった。しかし、やっていることはここ数年何一つとして変わらない。就業時間の二時間前に出勤して、掃除して、店を開けて接客して販売して、売り上げを計算して時には大幅にレイアウトを替えてみたりして、退勤する頃には身も心も肌もぼろぼろになっている。最近は年のせいか重いものを持つのがしんどかったり、謎の筋肉痛が出てくる日もあったり、身に覚えのないあざが手足にある時がある。

 身体の向きを変えようとして、枕元に置きっぱなしにしてあった長方形の箱が目に付いた。手に取るとそれは浮腫み防止の着圧靴下だった。いつも履いていたものがびろびろに伸びてしまったため、ネット通販で買ったものの疲れてそのままにしてあったものだ。どうせ横になっていれば脚が浮腫むこともないだろう、そんな面倒のもと私はその箱を見なかったことにして再びスマホを両手で抱え直す。

 ぴこんという音と共に一通のメッセージが画面に表示された。久しぶりー、元気にしてる?実はこのたび…、どうしたものかとメッセージを開くとママになりましたという眩しいまでの文字が目に飛び込んでくる。

 今年になって何人目だろうか。結婚しました、出産しました。三十路も目前になれば増えてくる報告の数々に私はうんざりしていた。

「真由ちゃん、お母さん買い物行ってくるからね?しっかり戸締りしといてよ?」

「はーい。」

 私、永倉真由は実家暮らしの独身だ。


 ふと、冷静になってみて気付く。これはやばいのではないか。思えばメッセージをくれた友人たち、今までメッセージのやりとりが続いている同僚、学生時代の友達のほとんどが結婚をしている。

「コント、新婚生活。」

 そんな声がスマホから聞こえてきて、すぐさま次の動画にスキップした。昔はお笑い芸人のそんなネタを見てはげらげら笑っていたものの、今となっては笑えない。まずスタートラインにたてていない、もっとまずいことに私には恋人もいない。よくネタにされるドライブデートや待ち合わせすら、ここ数年ご無沙汰だ。非常にまずい、やばい。


 幼い頃、私はとても甘やかされて育った。

 好きなものばかり食べ、三食に加えおやつもしっかり食べ、さらには近所のおばちゃんからまあかわいいとお菓子をもらい、祖父母の家に入ってはいっぱい食べなさいと大盛りのご飯を差し出され、とてつもなく太っていた。私が太っていても母はそのうち痩せる、大人になれば痩せると呪文のように唱えていた。それを信じていた私は中学生までとてつもなく太っていた。学校には私より太ましい子はちらほらいたし、がりがりに痩せているよりも肉付きがいいほうが健康的でいいのではないかと思っていた。

 しかし、私は目を覚ますことになる。通っていた進学塾で、ひそかに思いを寄せていた男の子に陰でデブゴンと不名誉なあだ名をつけられていることを知ったからだ。その日から私はありとあらゆるダイエットに手を出した。

 運動が大嫌いだった私は食事を極端に減らし、当時流行していた食べるだけダイエットや水を飲むだけダイエットをこれまた中年太りに悩む母と共に行った。

 結果は現れたものの、最終的には高校時代、感染性の胃腸炎にかかり入院し絶食をしたおかげで五キロ以上も体重が減ってしまったことにより私のダイエットは終わりを迎えることとなる。


 結婚についても、私はかつて太っていた自分の体型と同じように安易に考えていた。そのうち白馬に乗った王子様が現れて、私と結婚してくれる。自然に恋人ができて自然に結婚して夫婦になる。そして当たり前のように子供が生まれて家庭をもつ。大人になれば結婚できる。そう甘く考えていた。


 現実はどうだ、この年になっても白馬の王子様はおろか、職場の人たちも同性ばかりで異性との出会いもない。そして結婚に至るまでの恋人さえもできていない。

 できたとしても、長続きしないのだ。販売員の仕事は朝早く夜遅い、おまけに不定休のシフト制。一日のうちほとんど仕事しかしていない。友達に会うにしても、休みが合わない。休みの日に恋人探しに出歩く気力も体力もない。お客様もほとんどが女性ばかり。たまに来る男性客は、だいたい彼女へのプレゼント探しか妻の付き添いかおつかい。

「真由ちゃんごぶさたー、元気だったー?」

「佐々木さん、お久しぶりですね。いらっしゃいませ。」

 私の理想の塊である顧客の、佐々木さん家族が来店した。佐々木さんは私がこの店に入った時から良くしていただいている常連さんで、年齢も私と少ししか変わらないのに同い年の旦那さんと四歳になる娘さん、そして六ヶ月になる息子さんがいるまさに絵に描いたような仲良し家族だ。

「最近この子が熱出しちゃって、なかなか買い物も出れなかったのよ。」

「あららー、姫冠ちゃん今は元気いっぱいですか?」

「うん、てぃあらげんき!まゆちゃんは?」

「私も元気いっぱいだよー。龍翔くんも、また大きくなりましたねー。」

「ええ、もう最近は起きてるとよく動いて動いて…。」

 今時な名前のお子さんもとてもかわいくて、いつも私の心を癒してくれる。そして旦那さんはいつも一歩下がってそんな奥様と私のやりとりをにこにこと眺めている。

「ありがとうございました。」

「まゆちゃんばいばい。」

「ばいばーい。」

 ご機嫌に買い物を終えた佐々木さんを見送って、閉店作業に入る。いつも平日の夜に現れては二点以上洋服を買っていく佐々木さんの職業を私は知らない。店長は知っているのかもしれないが、私は仕事をしている時はあくまでもお客様と一線を引きたかった。なかには顧客様と仲良くなって、一緒にランチやショッピングに出かけている人もいるけれど、私はプライベートを安売りしたくなかった。

 そして今日も電車で実家に帰宅し、私は母が作った料理を温め直して、お風呂に入ってスマホで動画を見てうとうとと眠りにつく。


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