堕ちた銀狼Ⅲ
「まさか……嘘、だろ?」
ギアの集音機が拾ったイノリの一言に艦橋は騒然とする。
オズの漏らした一言は、艦橋にいた全てのクルーの心境を代弁するものだった。
「あれが、ユキノさんだっていうのか?」
かつての面影すらない漆黒の狼にオズは困惑した視線を向ける事しか出来なかった。
十年前、まだ幼いイノリと一緒にこの世界に召喚されたイノリの姉――ユキノ。
イノリと同じ銀色の髪に碧眼を持つ少女だった。
オズが知る彼女はとても強く、同時に気高い女性だった。
同い年でありながら、イクシードや魔法の扱いにも長け、オズ達が通っていた学院でも一目置かれる少女だったのだ。
オズにはどうしても、あの《魔人》がユキノだとは思えなかった。
あまりにもオズの知る彼女とは違いすぎる。
黒い毛並みに獰猛な瞳。大切な妹に向かって容赦なく振り下ろした爪に牙――そのどれもがあの心優しいユキノである事を否定していた。
だが――
「イノリ君が認めたんだ。間違いないだろう」
クロムのその一言にオズは唇を噛みしめた。
どれほどにオズ達が否定しようと、強固な絆を結ぶ事を慣わしとする《銀狼族》のイノリがそう断言してしまったのだ。
ならば、あれは、間違いなくユキノ本人で……
イノリが戦う理由そのものでもあるのだ。
「けど……あの姿は……」
「あぁ……イノリ君にとって辛い選択になるだろう」
イノリがギア適合者として戦っていたのはこの世界で、イノリを庇って《魔人》へと堕ちた姉を助ける為だ。
だが、ようやく再会出来たユキノは……もう、助ける事が出来ないところまで堕ちていた。
「まさか……
クロムは声を押し殺して呟く。
二度目――という言葉に悲痛な表情を浮かべるのはクロムだけではなかった。
ユキノを知るオズも――そしてイノリの戦いを見守っていたクルー達も今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。
だが、立ち止まるわけにはいかない。
厳しい決断をイノリに強いる事になるだろう。
クロムはイノリへの通信を開く。
「……イノリ君」
『――わかって……ます』
イノリは無事だった左手で長刀を構える。
魔力の燐光が吹き荒れ、正眼に構えた長刀が光輝く。
感情を押し殺したその瞳には溢れんばかりの涙。
そして握りしめた剣はカタカタと震えていた。
それでも、イノリは引き下がらない。
どちらを選んでも後悔しかないなら、皆が助かる道を選ぶ――
イノリはたった一人の姉を《魔人》として葬る事を決意したのだ。
『やああああああッ!』
泣き叫びながら、刃を唐竹に振るう。
当然、《魔人》は氷の鎧をその身に纏う。
だが、今のイノリにその程度の鎧は意味を成さない。
《剣》の能力は『絶刀』――あらゆる防御を斬り裂き、ただ『斬る』という概念だけを強化した一太刀だ。
あらゆる物質を凍結させる氷の鎧を容易く切り裂き、その身に切っ先を届かせる。
鮮血が刃を伝ってイノリの手を紅く染めた。
だが、《魔人》は己が傷つく事に恐れた様子もなく、肉薄したイノリへとに氷の剣を解き放つ。
「――ッ!?」
咄嗟に身を捻って至近距離から発射された氷の剣を避ける。
だが、完全には避けきれず、無数の傷がイノリの白い肌に裂傷となって刻まれる。
舞った血しぶきが瞬時に凍結され、赤い結晶がイノリと《魔人》の周りに散った。
返す刃でイノリは《魔人》の片目を潰す。だが、その代償にイノリの腹部が深く斬り裂かれた。
『ッ……アァァァァァァァァ!』
凍り付いた右手で《魔人》を殴り、柄頭で頬を叩いて《魔人》を突き飛ばすと、逆手に持ち替えた長刀を弧を描くように振るった。
三日月を描くように回転して放たれたイノリの斬撃は、《魔人》の鎧を砕き、そして、黒い肉体を深々と斬り裂く。
だが、それでも《魔人》は一歩も引かない。
鋭い牙を剥き出しにして、大きな顎を開けた《魔人》はイノリの肩に食らいついた。
身に纏ったイクスギアが凍り、砕かれ、盛大に血が噴き出す。
『あ……あぁ……ッ!?』
イノリは凄絶な痛みに歯を食いしばる。
バキバキと骨が噛み砕かれる異音に気が狂いそうになるのを必死に堪えて、長刀を《魔人》へと突き立てた。
『グルアアアアアアッ!?』
腹部を貫かれた《魔人》がたまらず咆吼を上げる。
二人の周りに冷気を纏った白い嵐が吹き荒れる。
それは、瞬く間に長刀を凍てつかせる程の絶対零度。
バキンと儚い音を響かせ、《魔人》を貫いた長刀が砕け散る。
それだけではない。
《魔人》が氷の鎧で傷を塞ぐのと同時に、噛みつかれたイノリの肩が、斬り裂かれ、血を流していた傷口が凍りはじめたのだ。
『あ……ぐ……』
まるで体の内側から凍てつくような激痛に、イノリの体が弛緩する。
血が凍り、命が凍てつく。
急速に機能を失う体。だがそれでも、イノリは戦う事を――たった一人の姉と戦う事を止めようとはしない。
『――――――――――ッ』
声にならない叫び声が艦橋に響き渡るのだった――
◆
「もう……止めるんだ!」
そのあまりのも凄惨な戦いを――
姉妹で命を削り合う惨劇を目の当たりにして、オズは心の底から吐露した。
だが、この場にオズを咎める者は誰もいない。
リッカは悲痛な面持ちで画面から目を逸らし、クロムは血が滴る程強く拳を握りしめ、叫びそうになる口を、唇を噛み切って堪え忍んでいるのだ。
誰もが言葉を失う中、オズは懇願するように、口を滑らす。
「頼む……誰か、あの二人を助けてくれ……」
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