お宅訪問
外城壁の内側の中で北側になると比較的裕福な商人やレギン城に勤める高級役人が多く住まう。確かに二人の住まいが近づくに連れだってあたりの景色は徐々に変わっていった。それまでは建物が連なっていて建てられていたのに、今この区画には一軒家と呼べる戸建ての住宅が等間隔に建てられているし、小さいながらも庭もついている。
客間に案内をされた青空は物珍しさからついきょろきょろと室内を眺めてしまう。広さでいえば日本の青空の家よりもずいぶんと大きい。ぴかぴかの大理石の玄関広間には大きな壺や絵画が飾られていた。ヒーラーはぴりぴりとした気配を隠しもしていない。
「どうぞ。お客様」
使用人がお茶を運んできた。薄い緑色をしたお茶だ。どろりとした青汁もどきのお茶をレギン城に来て最初に出されて泣きそうになった経験を持つ青空は、一見まともに見えるお茶を凝視して恐る恐る口に運んだ。ちなみに青空が一番最初に飲んだお茶にはマンドラゴラという抜くときに叫ぶという不気味な植物が使われていて、後日実物をヒルデガルトに見せられた時つい口元を覆ってしまったという切ない思い出がある。
「ん、美味しい」
口の中にふわりと花の香りが広がる。ダージリンのファストフラッシュに似たような軽やかな味のお茶だった。美味しくてケーキに合いそうだ。どこで買えるのだろうか。青空はあとでディーテフローネに尋ねてみようと思った。
「お口にあってよかったわ」
青空が素直な感想を口にするとディーテフローネが笑顔を深めた。
「リュデンシュベル帝国から持ってきたお茶だからね。品質は保証するよ」
「リュデンシュベル帝国?」
アレルトルードの言った国名を青空は復唱した。
「このオランシュ=ティーエの隣にある、人間の国の名前だよ」
青空は慌てて頭の中でこの世界の地図を思い描く。オランシュ=ティーエはちょうど人と魔族の境界線沿いにある国だ。オランシュ=ティーエの人間側の隣国がリュデンシュベル帝国だった。
「さあ、これもどうぞ」
使用人が置いていった皿の上には小ぶりなまるいパンが置いてある。
「なんですの、これは」
青空の座る椅子の後ろに立ったヒーラーが低い声を出す。青空は内心ひやひやする。そろそろ二人のうちどちらかが怒り出してもおかしくはないほどの非友好的な態度だ。
「人間の国流の甘いパンだよ。こちらではあまり甘い食べ物って馴染みが無いけれど。人間の国では最近、蜜を使ったパンが流行っているんだ」
「そうなんですね」
青空は興味を惹かれて一つ手に取る。中を割ってみると木の実の蜜漬けが入っている。青空は口の中へ割ったパンを入れた。パンはふわふわしていて、ちゃんと発酵を経て膨らんでいることが感じられた。
オランシュ=ティーエのパンはどちらかとうとぺたんとしているからだ。酵母とかイースト菌の技術がまだ発達途中なのか主流ではないのか。青空はパン作りを習ったことはなく、この辺の知識は曖昧だけれど、オランシュ=ティーエのパンが青空が普段馴染んでいたふわふわ食感ではないことだけは確かだ。
「美味しいですね!」
久しぶりに食べたふんわりしたパンに青空は感激した。
青空はあっという間に平らげてしまった。あんまりにも青空が感激したのでディーテフローネが「あとでお土産に持たせてあげるわ」と言ったほどだ。
それからアレルトルードが手を叩くと使用人がいくつかの食材を持ってきてくれた。
果物やら木の実やら色々だ。
青空もレギン城の厨房に届けられる食材を分けてもらっている。その中にはリンゴや桃もあった。前の世界にも共通する食材はいくつもあるが、違うものもある。
「これはジェルダの実。こっちはファサシで、こっちはマルル」
ごつごつと黒いいぼのついた外皮の固いものや白くて丸い形の実にベリー類の見た目の瑞々しい果物。青空は珍しい食材に目が釘付けになる。
と、床の上をなにかがちょこまかと走り抜ける。
「あら、走りキノコですわ、青空様」
ヒーラーが教えてくれた。
青空は一瞬耳を疑った。いま、ヒーラーはキノコと言った。走るのか、キノコが。
しかし、アレルトルードが素早く捕まえてきたのは紛れもなくエリンギのような形をしたキノコだった。外皮膜の下からちょこんと足のようなものが見える。
「あはは。逃げ足が速いキノコだね」
アレルトルードがぎゅっと握った手の中で。
(キ、キノコがぷるぷる震えている……)
なにやら泣きたそうにぷるぷると小刻みに
「お、面白いキノコが採れるんですね……」
「ええ。お鍋にすると美味しいのよ」
ディーテフローネがうっとりした声を出すとアレルトルードの手の中に閉じ込められている走りキノコがしくしくと泣き始める。
「た、食べるんですか……この子……」
「ええ。美味しいわよ」
「もちろん」
なぜだか後ろのヒーラーも力強い声を出す。
「美味しいわよねえ」
ディーテフローネは今度はヒーラーに向かって話しかけた。ヒーラーはついうっかり頷いてしまい、慌てて顔を横に向けた。
その後もいろんな食材を見せてもらった。その最中にディーテフローネが黄金族について話してくれた。
「わたくしたち黄金族というのは太古の昔の、原初の光から生まれた一族とされているのよ。人間ともまた違う、光の神が生み出した種族なの」
数がとても少ないのが悩みの種でもあるのよね、と彼女は続ける。
「なんと、体がきらきらと輝くのよ。文字通り、ほんとうに」
えへんと、胸を張ったディーテフローネはその場に立ち上がった。その直後の光景に青空は目を見張る。本当に体が輝き始めたのだ。きらきらと、黄金色の粒子が彼女の体の周りに発現をした。まるで神様が地上に降り立ったかのような光景に青空はぽかんと口を開いた。後ろのヒーラーも同様だった。彼女もまた、黄金族の特性をこの目で見るのは初めてだったのだ。
「うふふ。特別サービスよ」
元の状態に戻ったディーテフローネはいたずらっ子のように笑う。
「さあ。すっかり引き留めてしまったわね」
気が付くとゆうに一時間は越えているだろうか。そういえばヒルデガルトを街に残していた。青空は屋敷を辞することにする。ヒルデガルトを迎えに行かないと彼女が怒ってしまう。
帰り際、ディーテフローネはお土産にパンとお茶を持たせてくれた。
「楽しい出会いだったわ。また、近いうちに会いましょう」
ディーテフローネはそう言って青空のことをふんわりと抱きしめた。外国人のする挨拶のようなものかな、と青空は思って受け入れた。ディーテフローネは青空から顔を離す直前に、青空の耳元に軽く唇を押し当てた。
「!」
びっくりするとディーテフローネは唇の前に人差し指を持っていった。
「青空、またね」
「はい。また、今度です」
二人は玄関の外まで見送りに来てくれた。青空は手を振って歩き始めた。
優しい二人だった。街で出会った青空にこんなにも親切にしてくれて。そういえばパンの作り方を聞くのを忘れていたな、と思い出す。この世界にも酵母があるのなら、ふわふわのパンがつくれるかもしれない。今度会ったときに聞いてみよう。
青空はほくほく顔でレギン城へと戻った。
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