『新鮮な死体か魂が死んでる人間』※この番外編は書籍版準拠です。
3月、放送部の活動日である水曜日の19時過ぎ。
小林詩帆乃と遠藤碧人は、薄暗くなった帰路を早足に歩いていた。
少し遅くなってしまった焦りから、また体力のない詩帆乃が息をきらせつつあったので、二人は日頃のようにおしゃべりはせずに、ただ黙々と。
もう間もなく小林家が見えてくる、そんな地点で。
「クオンを返してっ!!」
響いてきたのは、ヒステリックな女性の声。
「……お姉ちゃん?」
足を止め、声のした方に視線をやった詩帆乃が、そう呟いた。
彼女の視線の先の路地には、二人の女性。詩帆乃の姉である小林
「お姉ちゃんっ!」
次の瞬間、もう一人の女性の尋常でない様子を見て取った詩帆乃はそう叫び、同時に二人の異常に気付いた碧人は、駆けだす。
「詩帆乃はそこにいて警察呼んで! “道端で刃物を振り回してる女がいる”って!」
もう一人の女性は、包丁を両手できつく握りしめ、血走った眼で千夜乃に対峙していた。
「おち、おちついてよユウちゃん。あの、クオン? って、なんのこと? 返してとか言われても、なんのことだか……」
千夜乃が震えながらもそうなだめようとするも、ユウと呼ばれた女性は、髪を振り乱し、むしろますます興奮した様子で、叫ぶ。
「しらばっくれないで! あんたは、クオンの【大切な人】の【器】なんでしょ! あんたを差し出せば、きっとクオンはもとに戻って、私を褒めてくれるんだからっ!」
「……!」
もしやこの人が、前に千夜乃さんが言っていた【久遠桐聖のストーカーレベルのファン】な友だち?
邪神クオンはこの人を利用して、千夜乃さんを【エーファ=フィーネのこちらでの器】にしようとしていた……?
そして、邪神クオンがリレナに元の世界に戻されたせいで、その計画も二人のつながりもなくなってしまって、錯乱して、この事態になったってことか!
断片的な単語で瞬時にそう事態を把握しながら、碧人は二人の間に割って入る。
「なに、きゃっ……!」
そして肩にかけていたスポーツバッグを勢いよく振り回し、包丁と、ユウにぶつけた。
「千夜乃さん、逃げてください!」
短い悲鳴とともに包丁をとり落とし、体勢を崩したユウを睨みつけたまま、碧人は背後の千夜乃にそう呼びかけた。
「ごめ、ごめん! ありがとう! お礼にうちの妹は君にあげるねっ!」
「ありがたくいただきますけど、今そんなこと言ってる場合じゃないです!」
碧人とそんなやりとりをした千夜乃は、震える足を叱咤して、なんとか自宅へと逃げ帰っていった。
「……ユウ、さん、でしたっけ? あなた、クオンに、タイミングが来たら千夜乃さんを【新鮮な死体か魂が死んでる人間】にしろって指示、受けてたりしました?」
「え、なんで、それを……」
ユウと睨みあう碧人がそっとそう確認すると、彼女は呆然とした様子でそう言った。
やはりそうか。そう確信した碧人は、極力ゆっくりと、説明を重ねる。
「そいつの奥さんに、俺たち、色々聞いているので」
「……奥さん?」
「あー、そうなんですよ。クオン元々奥さんいて、なのにエーファ……、クオンが言っていたところの【大切な人】のことも好きになっちゃって。しかもエーファにはちゃんと愛する人がいるのに、そこから奪おうとする最低っぷりで」
「なに、それ……」
「いやほんと、最低な奴で。あなたにさせようとしていたことも、最低な略奪愛の最悪な叶え方っていうか……。その罰で、今は奥さんに故郷に連行された感じです。千夜乃さんはマジなんの関係もないし、あの人どうこうしたって、クオンはもう戻って来ないかと」
「……なに、それ。奥さんがいて、更に略奪愛で、……それじゃあ、私は……」
ぺたり、と、糸の切れた操り人形のように地面に座り込みうなだれたユウは、そう言ったきり、黙り込んでしまう。
かなり遠くまで地面を滑っていっていた包丁の行方と、もう暴れる様子のないユウをそっと確認した碧人は、そこでようやく、ほっとため息を漏らした。
「碧人、ケガとかないっ!?」
そこに駆け付けた詩帆乃がそう言って、碧人の全身を確認し始める。
「ん、平気。あ、カバンがちょっと切れてるっぽいな。でもそれくらい。むしろ、教科書とか満載のコレで思いっきりぶん殴ったから、あっちの人の方が心配かも」
「多少乱暴でも仕方ないよ、相手は刃物だもん! 刃物……、ううー、こわかったぁ……。お姉ちゃんや碧人になにかあったらって思ったら、私、私……」
「リレナの幸運補正がある以上、そうそう最悪の事態にはならないだろ。むしろ、詩帆乃の大切なお姉さんになにかある前に駆けつけられたのが、幸運補正なのかな」
「そっか。そっかぁ……。二人が無傷なことに、感謝しなきゃ。リレナありがとう!」
「ありがとな! ……っても、まあ、聞こえちゃいないだろうけど」
『いえその、聞こえて、ます。今のお二方の感謝の念のおかげで、ちょっと道が通じました。あと、事情は今察知しました。申し訳ありません……』
天から、そんな情けない声と、ごす、と、例えば女神の頭部のようなほどほどの重さの物が地面に打ち付けられるような、鈍い音が響く。
「……噂をすれば、リレナだ」
「そんで、もしやまた土下座してんのか」
まさかの事態に、どこか呆然と詩帆乃と碧人がそう呟いた。
『しますよ! させていただきますよ! お二方にはクオンと私がどこまでもご迷惑をおかけしまして、本当に申し訳なく……! あ、あの、お詫びとして、私にできることならなんでもしますので!』
心底焦った様子のリレナの声に碧人と詩帆乃は目と目を見合わせる。
「なんでもったって、……リレナ、そっちの世界では全知全能でも、こっちの世界だとなにができんの?」
「あ、お姉ちゃんにうまいこと事情説明できる気がしないし、なんとかできたりする? あと、このユウさん? だってある意味被害者なんだし、なんとかできたりしない?」
『ん、んんー、お姉ちゃんというとアレですね。今武器になりそうな気がする物を家じゅうからかき集めて、小林家に置いてある遠藤様の自転車にまたがってこちらに戻ってこようとしているお嬢さん。……ここ三十分くらいの記憶の改変なら、まあ』
二人の言葉にリレナがそう返すと、詩帆乃は慌てた様子でうなずいている。
「いい、いい、それでいい! 友だちに刃物向けられて殺されそうになった記憶なんて、お姉ちゃんの中から、全部きれいさっぱりふっとばしちゃって!」
『そうすると、こちらのお嬢さんは特に何事もなく自宅に帰宅したのに、なぜかよくわからないものを急に色々かき集めたくなって、なんとなく遠藤様の自転車に乗ってみたくなった感じになっちゃいますが……。まあいっか。えいっ!』
どこか気の抜けたようなリレナの声に続いて、ぴゅう、と、一筋の光が小林家の方向に向かった。リレナの魔法が、発動したようだ。
『さて、ユウさんというと、こちらの……、あれま、この人、元々ちょっと病気っぽいですね。だからこそクオンに利用されそうになったんでしょうが……。元々弱い上にすでに割と呆然自失っぽいですし、久遠桐聖ではないクオンの記憶ごと消せそうです。サービスで、ご自宅に戻しておきましょう。ついでに、小林様の一一〇番もなかったことに。……はい、これでなにもなかった! えいっ!』
続いてかなりテキトーにリレナがそう呟くと、あわい光に包まれたユウの姿も消える。
「……リレナ、ついでに時間戻せたりしないか? 詩帆乃の門限がもうヤバイ……」
ぽつり、と碧人がつぶやき、詩帆乃が慌ててスマホを取り出し時間を確認した。
詩帆乃の両親が怒りそうな時間は、元々ギリギリだったのに、この騒ぎでとっくに過ぎてしまっている。
『いや、時間戻すのは無理ですね。規模が大きすぎるので。でも、お二方のラッキパワーのおかげで、小林様のご両親は今日はどちらもご帰宅が遅れているみたいです。さっきの記憶が消し飛び、本人の記憶としては一瞬自転車を借りただけなのに、ふしぎと命を救われたぐらいの感謝の感情は抱いたままの千夜乃さんも、告げ口なんか絶対にしないでしょう。特に問題はないかと』
リレナの言葉に、碧人と詩帆乃は、あからさまにほっと息を吐いた。
朝は自転車で来て小林家に自転車を置いてから詩帆乃といっしょに徒歩で登校し、帰りは小林家まで詩帆乃を送りついでに自転車を回収してから帰宅する碧人は、小林家の人々と顔を合わせる機会も多い。
碧人にとって、小林家一同の好感度は、非常に重要なものだった。
『さて、他になにかないですか? ここまでのことは、お詫びというより加害者サイドとして当然やるべきことですし』
そんなリレナの言葉に、詩帆乃は一瞬だけ、考え込むような表情を見せた。
「んー、また、リゼたんに会いたい、とか。できれば喋りたいかな。またこの人形に……、あ、違う、むしろあれ、結婚式! 私、ジークとリゼたんの結婚式、見届けたい!」
「ああ、それいいな! 俺も、せっかくの最高を越えた最高のハッピーエンド、その集大成とも言える二人の結婚式、ぜひとも見たい!」
碧人もすぐに同意し、二人は目を見合わせ、うんうんとうなずいている。
『会いたい、喋りたい、結婚式……。……うん、なんとか、できる、かな。いえ、なんとかしてみせます。ちょっと、かなり難しそうな気もしますが、あ、魂だけなら割と簡単かな……。幽体離脱的な……。あ、なんとかなりますね! します! やってみせましょう!』
ぶつぶつとつぶやくような独り言めいた言葉から、段々と勢いを増し、最後には力強く宣言したリレナに、碧人と詩帆乃はくすくすと笑う。
「ああ、がんばってなんとかしてくれ、創世の女神」
「期待してるよ、全知全能の女神! さすがはリレナーって言わせてね!」
『お二方には、いえ、ジークヴァルトさんとかこっちのみんなにもですけど、情けない姿ばかりを見せてますからね。信仰を糧として生きる神としては、たまにはすごいことをやって見せて、色々いい感じの感情や力を集めなければいけません。そのためにも、しっかりやってやりますよ!』
そんなリレナの決意表明が果たされたのは、とある幸福に満ちた、穏やかな春の午後――
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