番外編4遠い異界にいる彼らに
その日の夜。
結局リーゼロッテの自宅を訪問できたのは、もう夕飯時をすこし過ぎた頃だった。
過剰にもてなそうとしてくれるリーフェンシュタールの方々に頭を下げて、どうにかリーゼロッテと2人きりにさせてもらう。
とはいえ時間も時間であるので、応接間で手短に話をさせてもらうことになった。
自宅にいるおかげか、昼に見たとよりはいくぶんかやわらかい表情ではあるが、リーゼロッテは私の突然の訪問にすこし困惑しているようだ。
私とソファに並んで座った彼女は、そわそわと落ち着きない様子でいる。
「ねぇリーゼ、なにか私は君を怒らせるようなことをしたかな?」
私がそう率直に切り出すと、リーゼロッテはふしぎそうに小首をかしげた。
「怒ってなど、おりませんが……。ええと、私の態度になにか失礼でもありましたでしょうか……?」
「いや、失礼なんてないよ。一切ない。一切ないんだけど……。
でも、その、そのあまりに隙のない感じがするというか……」
私の曖昧な言葉を聴いたリーゼロッテは、ますます深く首を傾げている。
そのふしぎそうな表情に、アルの言った通り、忙しかっただけかもしれないと一瞬思った。けれど即座にいや絶対になにかがあったはずだと思い直す。
なぜならここ数日のリーゼロッテは、ぜんっぜんツンツンしていないのだ。
ふわりと微笑んで、さらりとかわして、本音はけして悟らせない。
それは貴族社会の皆が当たり前にやっている行動で、私自身骨身に染み付いている癖ではある。
けれどリーゼロッテは、少なくともプライベートにおいては、そんなつまらない人間じゃない。もっとかわいらしい人だ。
だからここ最近のリーゼロッテは、間違いなくなにかがおかしい。
そう思い直した私は、ひとつ息を吐いてからあらためて食い下がる。
「ここ最近の君はなんだか他人行儀というか冷たいというか……、まるで私のような嘘くさい笑顔ばかりをうかべてる、でしょう?」
「そんな……、殿下の笑顔は嘘くさくなんてありませんし、その……」
「いや、さすがに自分でもわかってるよ。私の笑顔がうすっぺらいことなんか。
まあお互い立場があるから公の場ではある程度しょうがないけど、リーゼは、少なくとも学園で私と顔を合わせていたときは、もう少し気安く接してくれていたでしょう……?」
「ええと、その、それは以前の私の態度があまりにも礼を失していたというか……」
私が畳み掛けると、リーゼロッテは言葉をつまらせた。
そのときふいに、小林様と遠藤様のお言葉が、きこえた
『リゼたんは怒っているというよりは、どこか気落ちしているような印象を受けます』
『なにかを反省して、結果態度が硬くなっている……?もしや、誰かになにかを言われたのでは!?』
もちろん実際に聴こえたわけではない。
きっと彼女たちの声が今届けばこんなことをいうに違いないと、私の脳内で自動的に展開されただけだ。
けれど、私は確かにその声に背中を押されたような気がした。
「リーゼが私に礼を失するだなんて、そんなことはあり得ない。私と君は結婚を間近に控えた婚約者同士で、対等な立場であるべきだ。敬語だって本当は必要ない。
むしろ私がなにか間違っていたら、君はそれをたしなめる立場なんだから。
君に私に対して礼を尽くすべきだなんて言う者がいたら、それはその者の方が間違えている」
私はリーゼロッテをまっすぐに見つめて、そう強く断言した。
するとリーゼロッテはうつむいてしまったので、私は思わず、彼女のつむじにむかって愚痴をもらす。
「というか、恋人同士のプライベートで礼だのなんだの言われると単純にさびしいし、私はリーゼが私に気安く接してくれるとかわいくて嬉しくて仕方ないんだけど……。
私は今、うちのかわいい婚約者に余計なことしたやつは誰なんだとすら思っているよ……」
我ながら、子どもっぽい、すねた言い回しになってしまった。
けれどそんな私の言葉はリーゼロッテには効果的だったようで、リーゼロッテはぱっと顔をあげてくれた。
「ええと、その……、たしかに、すこし思うところがございまして、態度をあらためておりました」
おずおすと語りだしたリーゼロッテの言葉に、自分の眉間に皺がよったのがわかる。
「思うところって、どうして?誰かになにか言われたの?」
「いえ、誰になにを言われたというわけではないのです。ただ、先日新年の挨拶でそちらに伺った際に……」
リーゼロッテはそこで言葉を切り、うろうろと視線をさまよわせて言葉をさがしているようだ。
私が首をかしげてリーゼロッテをみつめていると、やがてリーゼロッテは観念したかのようなため息とともに、口を開く。
「……フィーネが、あっという間に城の皆と打ち解けていたんです」
先日、年が明けてすぐのこと、この家のみなが王城に挨拶をしに来てくれたことがあった。
その際にフィーネがあっという間にその場に馴染んでいたことは、私も確かに記憶にある。
「私は幼少期から、王城に出入りさせていただいておりました。殿下とお会いして、王妃様の指導を受けてと。それで、いつしか城のみんなには敬意を表されるようになってはおりますが、何年通おうと、あんな風に心からの笑顔を向けられることは、なくて……」
ぽつぽつとリーゼロッテが語った言葉は、事実だ。
リーゼロッテはその自分にも他人にも厳しい性格と冷たい印象を与える美貌とからか、気安い笑顔を向けられるような人物ではない。
対してフィーネは、元々市井で暮らしていたためか、どんな立場の者も萎縮させない雰囲気がある。娘や妹のようにかわいがられる傾向があるようだ。
「まあ、確かにフィーネ嬢の人たらしっぷりは、すごいよね。
けれでそれはあの子の個性で、リーゼはまた違った個性で魅力的だと思うけど……」
私がそう告げても、リーゼロッテは気落ちしたような表情のままゆるゆると首を振った。
「あの子は周囲を笑顔にできる。皆に愛される。きっと、国民にも。
だからあの子の方が王妃にふさわしいと、誰かが言うのでは、と。不安になって、フィーネや殿下のように人に好かれる性質を持ちたくて……。
それで、殿下のように振る舞えたら、と……」
私のような嘘くさい笑顔、というのは、どうやらわざわざやっていたことだったらしい。
しかし、それは少し奇妙なような気がする。
「フィーネのように、とはおもわなかったの?」
私がそう尋ねると、リーゼロッテは即座に力強く首を振った。
「無理でした。3秒で諦めました」
「さんびょう」
「まずは鏡の前で彼女のようにこう、にこーっと全開で笑ってみようと試みてはみたのですが、どうにもあれはうまくできなくて……」
「……ちょっと、今やってみて?」
好奇心に負けた私がそう頼むと、リーゼロッテは少しばかり逡巡した後、大きく口を開け、思い切り口角を上げるフィーネのような笑顔を……しようとして、失敗した。
あー!うちの婚約者は笑顔がへたくそかわいいー!世界一かわいいー!
引きつったせいでかえって怒っているのかと不安にさせるタイプの笑顔を披露したリーゼロッテに、そう叫びだしたい衝動をどうにかこうにか堪える。
叫んではいけない。
笑ってもいけない。
彼女はいたって真剣なんだ……!
私の内心の葛藤を知ってか知らずか、単純に笑顔を失敗したことが恥ずかしくなったのか。
顔を赤くしたリーゼロッテはふるふると首を振り、何度か咳払いをした。
「そ、それで、控え目な笑みであれば私でもなんとかできますから、殿下のように物腰やわらかに、丁寧に丁寧に、笑顔で笑顔でと心がけていた次第です。
そう意識をしすぎて、ちょっと、態度がかたくなっていたのかもしれません……」
なるほど、そういうことか。
しかしこれは、悩ましいな。
彼女のその方針は、間違っている。
けれどその間違っていると断言できる根拠は、たいへんに言葉にしづらいことだ。
「うーん……」
まあでも、言うしかない、よな。
そう思い直した私はひとつ深呼吸をすると、リーゼロッテに宣言をする。
「私は今から、ひどいことを言うね」
「……ひどいこと、ですか?」
「うん。これを言ったら私は君に愛想を尽かされてしまうかもしれない」
「ありえません」
内容も聴かないうちにそう食い気味に断じてくれたリーゼロッテの好意に、私はすこしくすぐったい気持ちになった。
そのよろこびに背中を押されるかたちで、私はとてもひどい事実を、彼女に告げる。
「ふふっ、ありがとう。じゃあ、言うね。
あのね、私は君がたまに不機嫌な表情になったりときに厳しく周囲の指導をしたりするせいで、君がすこしこわい人だと周囲に思われているのがね、……正直、とってもありがたいんだ」
「……へ?」
リーゼロッテは虚を突かれたかのようにぽかんとしている。
そんな彼女に、私はことさらゆっくりと事実を告げていく。
「私だって快不快や好き嫌いは、なくはないんだ。けれど、そういうのを表に出すなと教育され続けてきた。
そのせいか、根がぼんやりしているせいか、正直なにごとにおいても反応が遅い。特にとっさに反射的に怒る、ということができない。
だから私の代わりにリーゼが怒ってくれたりすると、すごく嬉しいし、助かる。
つまり、リーゼの物腰がそれほど柔らかくないという事実は、君の隣に立つ私を、大いに助けてくれているんだよ」
私はそこまで言い切ってから、自分で自分に呆れてしまい、ため息を吐いた。
我ながら、なんてひどい男だろうか。
リーゼロッテに嫌な役目をおしつけて、彼女を利用して、自分は美味しいところだけを享受して……。
私の行動は卑怯そのものだ。
彼女に呆れられて嫌悪されてしまうかもしれない。
その懸念が、このことを言葉にしづらかった理由だ。
けれどこのままリーゼロッテが彼女らしくなくあるくらいならば、私が呆れられて嫌われたほうが、よほどマシだ。
もう一度ゆっくりため息を吐いてから、言葉もなく呆然としたままの彼女に語りかける。
「私はいわば君のかげに隠れているような、情けない男なんだ。
この城の人間は皆、私が外部の人間に侮られやすいし性質でしかも実は間抜けだと知っているから、君くらいしっかりとした妃を得ることを心から望んでる。
フィーネ嬢はたくさんの親愛の情を獲得しているけれど、リーゼに対してあつい敬愛の情を抱いている者の方が、絶対に多いと思うよ。
うちの母なんて“ジークがいないリーゼロッテちゃんはむしろ安心だけれども、リーゼロッテちゃんがいないジークなんて他国の人間の前にはとてもだせないわ”とまで言っていた。
父も君を妃にできなければ、私に王位を継がせるわけにはいかないってさ」
まあ創生の女神リレナを復活させた聖女ともなればという側面もあるが、リーゼロッテのことをたいへんに気に入っている両親の意見は、以前から変わっていない。
「皆様が、そんな風に、私のことを……」
リーゼロッテはそういうと、じわりとその目に涙を浮かべた。
私はすがるように彼女の手を握り、告白する。
「私だって、もう君のいない生活なんて、考えられない。
どうかお願いだから、君は君らしく、私の隣にいてよ」
「ジーク……」
ようやく私の名を呼んでくれた彼女は、嬉しげな表情でそっと私の手を握り返してくれた。
私は密かに、安堵の息を吐く。
よかった。
どうやら私の情けない部分まで受け入れてもらえたらしいことも嬉しいが、彼女が今後無理をしないでいてくれそうなことが、なによりだ。
やっぱり、ツンデレてるリーゼロッテが最高にかわいいし。
とは、言葉にしなかったはずなのに。
なぜかそう考えた瞬間、ギロリとリーゼロッテににらまれた。
「……ジーク?今、なにか変なことを考えませんでしたか?」
アルといいリーゼロッテといい、えらく察しがいい。というか、私が分かりやすすぎるのかもしれない。
……少し前までの私は、なにを考えているのかいまひとつわかりにくい、なんて、母にすら言われていたのに。
私も、遠藤くんと小林さんたちのおかげで、少しは変われたのかな。
そう考えたらふしぎと愉快な気持ちになって、心から笑う。
「別に、リーゼはやっぱり最高にかわいいなぁって思ってただけだよ」
「も、もうっ!そんな言葉でごまかせるとお思いですか!
かわいい、だなんて……!」
瞬時に顔を赤くして、リーゼロッテはつないだ手を引っ込めようとする。
彼女の手を離すまいと静かに抵抗していたら、なんだかふざけあっているかのようになってきてしまった。
「ふっ、ふふふふふっ……!」
リーゼロッテもなんだか笑えてきてしまったようだ。
指先の攻防はもはや力なく、私たちはまさしく戯れながら互いに笑う。
ああ、しあわせだ。
願わくばこの愛らしい人と、こんな風にずっと笑いあって生きていけたい。
遠藤くんと小林さんの気づかせてくれた彼女のかわいらしさといい部分を、彼らのお声がなくとも、決して見失わずにいられるように。
遠い異界にいる彼らに、私は祈った。
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