第77話 決着

 互いの誇り。互いの信念。互いの覚悟。

 両者の間には、既にそんなものはない。

 あるのはただ、純粋な勝利への貪欲。

 故に俺は、この男と剣を交えている。


 俺の袈裟斬りを躱し、シルベスタが剣を振り上げる。素早く刀で抑え、攻撃を押さえるが、シルベスタは刀の逆方向に体を捻り、中段から右に剣を振るう。俺はそれを屈んで回避し、刀を振り抜くが、シルベスタは躱された剣を素早く軌道修正し、縦に振り下ろして刀と衝突する。

 衝突した刀を手前に引き戻し、その反動を利用して左回転、大振りな左の攻撃でシルベスタを弾く。弾かれたシルベスタは即座に態勢を立て直し、続く俺の八段切りを的確に対処する。

 連撃を阻まれた俺は袈裟、逆袈裟と縦に連続で攻めるがこれも全ていなす。恐ろしく手慣れている様子だ。

 回転の軌道を変え、切る方向とは逆向きに刀を構える。そこから全体を捻りながら、鋭い刺突を放つ。

 しかしシルベスタは剣を左に振って刀を弾き、更に右に薙ぎ、俺の首を狙うが、素早く屈んで回避。そして隙だらけの胴に掌底を打ち込む。

 ふらりと体がズレたシルベスタに袈裟斬りを放つが、剣を盾のようにして防御。鍔迫り合いになる。


「……全く。本職の魔導士が剣を持って戦って、普通ここまで強いものですか?」

「残念ながら、本職は魔導士でもなんでもなく、ただのしがない研究員なんだけど、な!」


 強引に弾き飛ばし、再び距離が開く。

 通常の刀ならば、こんな扱い方をすれば当然刃が欠けてしまう。だがこれは、とても強靭なゼルクレアの角から作られたものなので、これほどの剣戟でも耐え抜ける。

 既に俺は《命龍神理ゼルクレア》を使用した反動で、魔力がほとんど底をついている。そのため、普段用いる魔法での牽制やら魔剣といった技術は、今の俺は使えない。《霊神刀》から魔力を捻り出すことも出来なくはないが、それが出来るのも一度きりだろう。

 六年ほどの長い旅路の中で、必須の術技として習得した剣の技を、シルベスタにぶつけているだけだ。

 シルベスタもまた、王家の一員としてかなりの技量を誇っている。剣術としては、体重の移動の仕方が似通っている点道場剣術寄りだが、それ故に堅実。俺の戦闘剣術への対処がとても巧い。

 互いに互いの全力を用いて、激しい剣戟の応酬が繰り広げられる。あまりに衝突が激しく、衝突の音が周囲にこだまする。


 一体幾度、剣を打ち合わせたのだろう。

 気がつけば、俺は頬に笑みを浮かべていた。獰猛で野性的で、互いに傷つけ合うこの瞬間を愉しんでいる。

 見れば、シルベスタの表情も喜びが浮かび上がっている。強敵と死合うこの刹那を、心の底から感応している。

 互いに感じていることは同じ。今この刹那に、強敵と戦うことに対する喜びと感動。そしてそれが、更に闘争本能を加速させていく。

 シルベスタの放った袈裟斬りを、俺が左手で掴み取る。俺はそのまま動きを固め、右腕に持つ刀を振りかぶった。

 だがシルベスタは、冷静に剣から手を離し、即座に離脱。寸前で回避されてしまう。そのまま放たれた回し蹴りを右腕で防御するものの、隙をついたシルベスタが剣を取り戻し、俺の左腕を切り裂いた。

 直後、激痛が走る。見る見るうちに斬られた箇所から皮膚が毒々しい色へと変わり、その下で何かがモゾモゾと蠢く。

 咄嗟の判断で肩から左腕ごと斬り落とし、距離を取る。切り離された腕はすぐに黒く変色し、中から蜈蚣が肉を喰い千切って飛び出してきた。あの呪詛は未だ健在のようだ。

 左腕を失い、出血の酷い俺に、シルベスタは畳み掛けるように剣を構え、走り出す。


 だが突然、ガクリと膝を落とした。


「カハッ、ガッ……!」


 ボタボタと、粘性の強い液体が溢れる音がなる。シルベスタが喀血し、膝から崩れ落ちたのだ。

 そこを逃す俺ではなく、俺は咄嗟に近づいて大振りの袈裟斬りを容赦なく振るう。シルベスタはすんでのところで後退したが、左の鎖骨から肺を両断するようにバッサリと裂けた。

 シルベスタが素早く後退し、距離を取る。互いの血液で体は汚れきり、溜まる疲労で息が苦しい。刀が異様に重く感じてきた。限界が近い証拠だ。

 体力の限界と失われる血液。昂る心臓と肺を押さえ込みながら、もう一度切っ先を持ち上げ、シルベスタに突きつける。


「そろそろ、決着ケリをつけようじゃねぇか」

「同感、ですね。僕らが互いに残されている力は、もう決して多くはない」


 そう言いながら、シルベスタが頭上に剣を構える。そして、剣が発光。もとの槍の面影など一切ない、黄金の刀身が露わになる。

 シルベスタは、自らの意思だけで悪魔の用いた魔界の武器すら手中に収めたのだ。それは生半可な意思では功を奏さない。

 俺も刀から魔力を取り出し、剣を構える。腰を引き絞り上段に構え、袈裟斬りの体勢だ。


「行くぞ」


 宣言する。たった三文字。だがその三文字に、全ての意思を乗せている。


「来いッ!!」


 シルベスタも叫ぶ。その応戦の布告こそ、この戦いの最後の一撃の始まりだ。


 飛び出す。左腕は既に失われ、残る右腕に全てを乗せた刀を握って、最後の一騎打ちを終わらせる。

 集中力が極限まで高まり、鼓動が加速する。世界そのものが遅くなったかのような意識の中で、俺たちの戦意が交錯する。

 僅か数秒の刹那。俺たちのたった一振りのために用意されたこの空間で、全霊をもって駆け抜ける。

 シルベスタは頭上に剣を構え、一歩も動かずに俺の接近を許している。狙いは間違いなくカウンターだ。たった一振りに全てを乗せ切って、俺に相対するために選んだ一手。

 その覚悟、その気合い、買わないわけにはいかない。

 とはいえ、俺に残された手数もそこまで多いわけではない。それでも、姑息な手段は取りたくない。

 シルベスタが、最後の足掻きで生き返り、僅かな生命すべてをかけて、俺と剣を交えている。その思いに応えるのが、俺の役目なのだから。

 魔力を再放出。《霊神刀》に纏わせ、次の一撃に全てをかける。刀が発光し、夜空のような空間が刀身に巻きついて、幻想的な光景が広がる。

 シルベスタの剣も、黄金の刀身から光をあげる。周囲の精霊を取り込み、その刀身に奇跡が宿る。


「《精霊王剣・天壤降臨エクスカリバー・ブレイブバース》!!!」

「《我ら戴く星海の宙へペル・アスペラ・アド・アストラ》!!!」


 激突。膨大な魔力が溢れ、周囲の大気が大きく揺らぐ。

 光とソラは、互いに互いを呑み込み合い、反撥し、俺たちの魔力を貪りながら削り合う。


「「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁああ!!!!!!」」


 咆哮をあげる。全身の筋肉が悲鳴を上げ、ブチブチと筋繊維が引き千切れる鋭い痛みが全身を襲い、ありとあらゆる場所から出血するも、俺たちの攻撃は止まらない。

 互いの勝利への欲は魔力へと影響し、更に奔流を加速させる。隔絶された世界の中で、二人の剣は激しく発光するのだ。


 しかし、膠着は長くは続かなかった。


 互いの剣が弾かれる。互いの魔力が底をつき、拮抗が崩壊したのだ。

 ビシリ、とシルベスタの剣に罅が入る。そして膨大な魔力について来れなくなった剣が、激しい音を上げて砕け散った。

 とはいえ《霊神刀》もまた、無事とはいかなかった。刀身のあちこちに罅が入り、今にも砕け散りそうなほど。


 だが俺たちは、そんなことでは止まらない。


「うおおおぉぉぉぉぉ!!!」


 シルベスタが絶叫を上げ、刃の折れた剣で俺に斬りかかる。後先のことなど何も考えない、純粋な足掻き。


 その様子は、あまりにも無様に見える。でも同時に、本当に美しく、強い姿だった。


 俺は右足で地を再び蹴り、体勢を整える。そして刀を真っ直ぐに構え、切っ先を突き出した。


     ——————————


「……グフッ、カ……」


 俺の右腕に、熱い鮮血が垂れる。焼き付くような熱を受け止め、俺は息をゆっくりと吐き出した。


「俺の、勝ちだ……!」

「そう、ですね……」


 右腕に握られた刀の先、鍔に触れているのは、鮮血を垂れ流す男の胸部。その右側に、刀身が深々と突き刺さっていた。右肺を貫いたのだ。

 シルベスタの体を貫通して背から突き出た刀身からは、貫いた時に付着した血が、刀の罅を流れながら地に落ちている。

 ゆっくりと刀を引き抜く。シルベスタは傷口から致命傷と判るほどの血液を吐き出しながら、ヨロヨロと後退する。そして剣を地面に突き刺し、それに寄りかかりながら腰を落とした。

 荒れる呼吸を落ち着かせながら、俺の方を見やる。俺の左腕は、既にほとんど血が止まっている。だが、舞い上がった粉塵や小石などによってあちこちに小さな傷が無数にある。

 気がつけば、俺の後ろにアイリスとサレーネがやって来ていた。その後ろには生徒会メンバーやいつかの赤髪の少年、講師陣もやって来ている。全員警戒して武器を構えているが、その必要はもうない。

 二人に目配せすると、すぐに言いたいことを悟ってくれた。数歩下がり、遮音結界を張ってくれる。

《霊神刀》を地面に突き刺し、俺はシルベスタと向かい合った。


「……最後の競争は、どうだった?」

「とっても、清々しいです。でも、少し、残念です、ね……」


 息も絶え絶えに、シルベスタは微笑む。その口端には血が流れている。呼吸も早く、細くなり始め、ヒュー、という音が混じり始める。限界は近いようだ。


「そうか。それは良かった……」

「もしかして、後悔しています?」

「そんなことはない。そんなことは、お前への冒涜に他ならない」

「それなら、いいんですよ……」


 嘘になる。彼が生き返ったのならば、俺が真っ先に行うべくは彼の救命に間違いはなかった。

 だが、俺はそれをしなかった。生き返った瞬間に駆け寄って、治療を行おうとは決して思えなかった。

 それは負の感情だ。一時でも、俺はアイツが死んだ方がいいのかもしれないと思ってしまった。合理性を求め、不必要な危険要素を排除しようとした。

 それを俺は、心の底から後悔した。俺の後悔は、自身の選択の誤りだ。だから、後悔していないかと問われれば嘘になる。

 そしてそんなこと、シルベスタが気付かない筈がなかった。


「僕を殺すことを、貴方に頼んで、本当に申し訳ありませんでした」

「何を言っている。そんなこと、お前が謝ることじゃ——」

「いいえ。僕が貴方に願ったのは、僕の最後を貴方に決めて欲しかったからでした。悪魔なんかに殺されてやるせない気持ちを、貴方に納得させてもらいたかったんです。外道に落ちたこの身を、貴方に終わらせて欲しかった」


 そう言って、俺がどうしても貫けなかった心臓の上に手を置く。


「それはとても、酷な願いだ。誰かを守るために力を振るう貴方に頼むことにしては、あまりにも最低だった。

 聡明な貴方です。僕の本心に気付いていらっしゃったんでしょう?」


 俺は何も、彼に応えることができなかった。

 本当は気づいていた。彼が死に場所を求めていることを。だからこそ俺は、その願いを叶えるために、自分の中で「競争」と大義をつけ、剣を振った。そうでもしなければ、俺は彼に剣を向けられなかった。

 に、耐えられる気がしなかった。

 だってそうだろう? 自分に危害を加えるわけでもない人間を、殺したいわけではない。過去のことは過去のこと。恨み辛みなどもう昔の話だ。

 シルベスタがいう後悔しないこととは、彼を殺したことを悔やむことだ。

 そんなこと、できる筈がないというのに。たとえ嫌な記憶であろうとも、知人を失うことは恐ろしい。しかも唐突に、その記憶が作られた偽りの悪意であったと知れば尚更だ。


「まあそれはいいんです。貴方はそれでも、僕に刃を突き立ててくれた。結局死ぬ運命を、最高の形に変えてくれたのですから」

「……お前、本当に良かったのか」

「構いません。決して変わらぬ死を貴方が与えてくれるなら。憧れた貴方と一騎打ちを果たせたのなら、僕はもう、それ以上を望みはしない」


 ……本当に良かったのだろうか。逡巡する俺の前で、ボロッ、と音を上げて、シルベスタの右腕が崩れ落ちた。まるで土塊の人形のように、崩れ落ちた右腕が、灰のように見えない粒子へと還っていく。


「ほら。僕の体はもう、とうの昔に限界を超えていたんです。だから、何を思う必要もありません」


 そう言って、シルベスタは笑って誤魔化した。

 その姿に大きい心拍がこだまする。ドクン、と何かが胸を打つような感覚。

 それが、悲しみであることに気付くのに、僅かほどの時間も要さなかった。


「アルーゼさん。人生は多忙です。出会いも別れも、いつだって唐突で、いつだって偶然です。だからこそ人は、心の中に思い出を残す。もう一度呼び起こして、その思い出に浸り続けられるように。

 だからこそ、人の出会いは一期一会。貴方の後ろで貴方を見守ってくれる人たちだって、いつかはいなくなってしまうかもしれない。そんなことは嫌でしょう?」


 そう言って、静かに微笑んだ。ボロボロと頬も崩れ、全身が軽石のように白くなっていく。


「……敵は強大です。次の悲劇を起こさないよう、その力でみなさんを守ってくださいね」

「!! ……当たり前だ。馬鹿野郎」


 俺は、精一杯の作り笑顔を浮かべた。それを見たシルベスタは、とても幸せそうな表情を浮かべた。

 口元を小さく動かし、言葉を紡ぐ。最早声は出なかったが、読唇術を使わずとも、何を口にしたのかはすぐに理解できた。


 さよなら。僕の最強。



 結界が解かれる。そこには、黒槍の根本に白い灰が残されていた。

 いつの間にかやって来ていた男が、俺に向けて一言だけ言葉をかける。


「お疲れ様」

「……お前は話すことがあるだろ。クレイウス」


 額から血を流し、イデアに肩を借りたクレイウスを見据える。すると、白い物体が俺に向けて放り投げられた。

 ほぼノールックでキャッチすれば、それは鞘だった。純白の拵えは土で汚れ、輝きは損なわれているものの、その美しさは健在だった。

 突き立てた《霊神刀》を回収し、鞘の中に収める。そしてクレイウスにもう一度振り返った。


「とりあえず、理事長室で話そうか」

「……そうだな」


 踵を返し、俺は校舎へと歩みを進める。その最期を、決して忘れまいと、心に刻みながら。


 過去との決別は、さまざまなものを残して終わりを告げた。そしてそれはまた、新たな悪意へと繋がるのだろう。

 人知れず、刀を持つ手に力が篭り、静かに軋みを上げた。

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