クリスマスにはディナーを

クリスマスにはディナーを

 夕飯が出来たことを叫ぶと、啓太けいたはいつもの如く無言で二階から下りてくる。

 仏頂面の息子の前に座り、二人での食事が始まった。


 いただきます、と言わなくなったのは、いつからだったか。

 高校での様子を尋ねても生返事ばかりで、しつこく食い下がれば自室へ逃げていく。

 嫌われてはいない、はず。

 視線も合わせずに、自分の都合をいきなり伝えてくるけれど。


「明日は帰りが遅いから」

「何時くらい?」

「八時過ぎかな。晩飯は食べてくる」

「どこで? 学校じゃないでしょ」

ツレ・・の家に寄ってくるんだよ」


 高二の春、つまりは半年くらい前から、随分と乱暴な口を利くようになった。

 男の子なんてこんなものかもしれないが、最初は慣れなくて一々驚いたものだ。

 出会った頃のあの人・・・に似ていると気づいてからは、もう好きにさせている。


 食べ終わった息子は、さっさと皿をシンクへ返し、階段を駆け上がっていった。

 その大きな足音を聞きつつ、わずかな不安が頭をもたげる。

 部活もしていないのに、夜が遅いことがここしばらく増えていた。


 来年は啓太も受験生であり、そろそろ進路についても本人の意向を問い質すべきだ。

 母独り、保険の外交で貯めたお金で、進学は可能だと伝えてある。

 但し、高い私立大学は無理だとも。


 成績は上の下くらい、発破をかけるほどではない。学業優良と言ってよいだろう。

 だからと言って、夜遊びに耽り出されても困る。どんな友人と付き合っているのか、聞いても答えてはくれないんだろうなあ。


 ふうっと一息吐き、洗い物の片付けに取り掛かる。

 私の疑問に答えてくれたのは、意外な人物だった。





 新プランの紹介に訪れた先で、家の奥さんにえらく歓待される。

 紅茶にケーキまで出され、何事かと訝しんだ。


「うちの亜弥あや、勉強はからっきしで」

「はあ」


 山内さんには娘が二人、亜弥というのは高校生の長女だったかな。


「啓太くんのおかげで、英語の成績が上がったって」

「え? 啓太?」


 いきなり息子の名前が登場したため、持っていたカップを慌てて皿へ戻した。

 どういう繋がりがあるのかと、頭をフル回転させる。

 高校生の娘さんに、同じく高校生の息子。推理すること自体はえらく簡単だ。


「うちの啓太をご存じなんですか?」

「あらやだ。同級生だもの、そりゃ知ってるわよ」


 啓太の同級生なんて、私は一人も知らないのに。

 高二で同じクラスになった時から、二人は仲良くなったらしい。


 亜弥ちゃんの方は、啓太のことをちょくちょく話していたようだ。

 夏休みがそろそろ終わろうかという頃、啓太はこの家を訪れる。以降、たまに亜弥ちゃんの部屋で家庭教師のようなことをしていたとか。


「今夜はご馳走を用意しておくから」

「まさか、息子は今夜もここへ?」

「それも聞いてないの? まあ、男の子は恥ずかしがりやさんだからねえ」


 なんてことだ。

 啓太に彼女がいたとは!

 次はこちらから、菓子折り持って挨拶しにこないと。大失態じゃないの!

 どうしてうちの息子は、こんな大事な話をしてくれないのか。いくら何でも、隠し過ぎだろう。


 こうして私が亜弥ちゃんの存在を知ったのは、十一月初頭のことだった。

 冷えゆく季節の中、進路とは別の意味でハラハラと息子を見守る日々が始まる。


 ちゃんと彼女を大事にしているんだろうか。

 親御さんにはしっかり挨拶出来たのか。

 うちの家にも連れてくればいいのに。


 あまりに我慢し切れなくて、亜弥ちゃんの名前を出して二度ほど問い詰めようとした。

 息子の顔が真っ赤に染まったのは、照れが半分、怒りが半分といったところか。

 やめとけばいいのに、彼女の好みや誕生日まで聞いたのはマズかったかも。


 本人はあくまで友達だと言い張っていたものの、それならあんな反応はおかしい。

 母をナメ過ぎだ。


 正直に言うと、私の内心も複雑なものがある。亜弥ちゃんと会ったら、さらに心は乱れるだろう。

 今すぐにでも会いたいような、まだ早いような。


 あの人の形見として、啓太は立派に育ってくれた。

 私もいずれ、子離れを覚悟しないといけない。


 亜弥ちゃんのところへ行くことを、息子ももう堂々と伝えてくる。明日も遅いから、そう啓太が告げるのは決まって夕食の直後だ。

 二階へ消えて行く息子の背を、少し寂しく眺める私だった。





 冬休みに入ってすぐの土曜日、啓太の発言が私を仰天させた。


「ダメなの?」

「いや、全然構わないよ。ケーキ買っておくね」

「そんなの要らないから。昼過ぎに連れて来る」


 誰を連れて来るのか、そんなの決まっている。

 亜弥ちゃんだ。


 明日の昼、亜弥ちゃんが我が家を訪れると宣言された。

 驚天動地の大事件なのに、啓太はふて腐れたような態度できびすを返して、また私の前から消え去る。


 ただ来るわけじゃなく、夜までキッチンを貸してくれとも頼まれた。

 忙しさにかまけて、月日の感覚に乏しい私でもピンと来る。


 明日は十二月二十四日、クリスマスイブ。

 うちでは平常通りの休日だが、世間は浮かれ踊る一大イベントである。

 若きカップルが、こんな大事な日を見逃すはずがなかった。


 おそらく私以上に、亜弥ちゃんは緊張しているに違いない。

 認めたくないけれど、私は意地悪かもしれないしゅうとめだもんね。

 初対面で好印象を与えようと、息子と二人で知恵を絞ったってわけか。


 クリスマスディナーなら今風の特別メニューだし、普通の味噌汁や煮物よりハードルは低い。

 家庭の味なんて必要ないもの。


 なら、私は自室で書類仕事を進めつつ、夕飯を楽しみに待つとするか。

 食べながらゆっくりと、亜弥ちゃんとも喋ろう。


 遠足前の子供のような興奮を覚え、土曜の夜は寝付きが悪かった。

 日曜も朝早くに寝床を飛び出し、家の掃除に精を出す。


 張り切る私を横目に、わざとらしく溜め息をついて啓太は昼前に家を出る。

 じりじりと待つこと一時間と半、ドアが開く音を聞き付けて玄関へ走った。


「は、初めまして。山内亜弥です。啓太くんには、いつも勉強を教えてもらっています」


 天使がいた。

 亜弥ちゃんと比べたら、私は象だろう。

 頬にハイライトが光らなくなって久しい。


 啓太は荷物持ちをさせられており、トートバッグから食材が覗く。

 さっさと引っ込めという無言の睨みに、もう少し眺めさせろと視線を返した。


 しかし、あからさまに強張った亜弥ちゃんの笑顔に、私も引くことにしてやる。

 仕方あるまいて。勝負はディナーじゃ。

 ……何の勝負か知らないけども。


「呼ぶまで、出てくるなよ」

「はいはい」


 啓太の言い付け通り、部屋へ引き篭って書類を広げたが、どうもキッチンが気になって集中出来ない。

 和気藹々とした笑い声に、つい手を止めて耳を澄ませてしまった。


 さすがクリスマスディナーと言うべきか、調理の音は一向に止む気配がなく、数時間があっという間に過ぎていく。

 どんなメニューを用意しているんだ。やっぱり、七面鳥ターキーとか買ったのだろうか。

 仕事は諦めて、机の隅に置へ目を遣る。写真立てを引き寄せ、その色褪せた縁に指を這わせた。

 あの子の彼女、可愛かったわよ? あなたにも紹介しないとね。


 午後五時前には、喧騒も治まる。

 もう呼び出される頃合いだと待ち構えたのに、ここからさらに一時間待たされるとは予想外過ぎた。

 焦れてキッチンを窺おうと立ち上がった時、やっと啓太の声がドアの向こうから届く。


「夕飯が出来たよ」


 このセリフを、息子から聞くことになろうとは。

 とっくに私の背を追い抜いた啓太に付き従い、ダイニングへと向かった。


「あれっ、亜弥ちゃんは?」

「帰ったよ」


 テーブルには二人分の料理しかなく、啓太の言うことは本当らしい。

 せっかく楽しみにしていたのに、何で帰しちゃうのよ!


 息子の彼女と喋る機会を奪われたのは、そりゃあ残念に思う。腹が立つくらいだ。

 しかし、それ以上に、用意された料理に不思議で首を捻る。


「早く食べよう。冷めちゃうじゃん」

「え、うん……」


 豆腐とワカメの味噌汁に、タコの酢の物と筑前煮。

 何の変哲も無く、どの皿もクリスマスとは程遠い。


 促されて味噌汁から口をつけてみたが、これまた普通の赤だしだった。

 私の顔色を、啓太がじっと見つめる。


「どう?」

「昼ずっと、これを作ってたの?」

「うん。俺が作ったんだ、全部」

「えっ、うそ!? 筑前煮とかも?」

「亜弥が特訓してくれた」


 勉強を教える代わりに、彼女は啓太に料理を教えたそうだ。

 その集大成が今日で、結果は――。


「……及第点かな」

「よかった! 一応味見はしたんだけど、初めてだし」

「どうして料理なんて?」


 居住まいを正した啓太が、私へ軽く頭を下げた。


「いつも家事までさせて、ごめん。料理も手伝えるようになったから、弁当も自分で作るよ」

「そんな、好きでやってるんだから――」

「それと、これ」


 ラッピングされた包みが、ずいとこちらへ突き出された。

 飾り紐を解いて包装紙を丁寧に開けると、洒落たフォトフレームが現れる。


「何がいいか分からなくてさ。それなら好きな写真を飾れるだろ?」

「クリスマスプレゼント?」

「誕生日プレゼントだよ。早いけど」

「馬鹿、誕生日は来月じゃない。早過ぎよ……」


 さあ、食事の再開だと、啓太は箸を握った。

 私も茶碗を持ち上げてはみたが、そこで動きが止まる。


「母さん?」


 そう言えば、母さんと呼ばれたのは久しぶりかも。

 それが限界で、大粒の涙がポロポロとこぼれ出した。

 うろたえる息子へ泣き笑いして、くしゃくしゃの顔のまま筑前煮を頬張る。


「受験勉強もしなさいよ」

「分かってるって。顔拭けってば」


 私も意地になって、最後の一切れを食べ終わるまで顔を拭いてやらない。

 どの料理も平凡極まりない出来だったけれど、今までで一番美味しい晩御飯だった。

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