クリスマスにはディナーを
クリスマスにはディナーを
夕飯が出来たことを叫ぶと、
仏頂面の息子の前に座り、二人での食事が始まった。
いただきます、と言わなくなったのは、いつからだったか。
高校での様子を尋ねても生返事ばかりで、しつこく食い下がれば自室へ逃げていく。
嫌われてはいない、はず。
視線も合わせずに、自分の都合をいきなり伝えてくるけれど。
「明日は帰りが遅いから」
「何時くらい?」
「八時過ぎかな。晩飯は食べてくる」
「どこで? 学校じゃないでしょ」
「
高二の春、つまりは半年くらい前から、随分と乱暴な口を利くようになった。
男の子なんてこんなものかもしれないが、最初は慣れなくて一々驚いたものだ。
出会った頃の
食べ終わった息子は、さっさと皿をシンクへ返し、階段を駆け上がっていった。
その大きな足音を聞きつつ、わずかな不安が頭をもたげる。
部活もしていないのに、夜が遅いことがここしばらく増えていた。
来年は啓太も受験生であり、そろそろ進路についても本人の意向を問い質すべきだ。
母独り、保険の外交で貯めたお金で、進学は可能だと伝えてある。
但し、高い私立大学は無理だとも。
成績は上の下くらい、発破をかけるほどではない。学業優良と言ってよいだろう。
だからと言って、夜遊びに耽り出されても困る。どんな友人と付き合っているのか、聞いても答えてはくれないんだろうなあ。
ふうっと一息吐き、洗い物の片付けに取り掛かる。
私の疑問に答えてくれたのは、意外な人物だった。
◇
新プランの紹介に訪れた先で、家の奥さんにえらく歓待される。
紅茶にケーキまで出され、何事かと訝しんだ。
「うちの
「はあ」
山内さんには娘が二人、亜弥というのは高校生の長女だったかな。
「啓太くんのおかげで、英語の成績が上がったって」
「え? 啓太?」
いきなり息子の名前が登場したため、持っていたカップを慌てて皿へ戻した。
どういう繋がりがあるのかと、頭をフル回転させる。
高校生の娘さんに、同じく高校生の息子。推理すること自体はえらく簡単だ。
「うちの啓太をご存じなんですか?」
「あらやだ。同級生だもの、そりゃ知ってるわよ」
啓太の同級生なんて、私は一人も知らないのに。
高二で同じクラスになった時から、二人は仲良くなったらしい。
亜弥ちゃんの方は、啓太のことをちょくちょく話していたようだ。
夏休みがそろそろ終わろうかという頃、啓太はこの家を訪れる。以降、たまに亜弥ちゃんの部屋で家庭教師のようなことをしていたとか。
「今夜はご馳走を用意しておくから」
「まさか、息子は今夜もここへ?」
「それも聞いてないの? まあ、男の子は恥ずかしがりやさんだからねえ」
なんてことだ。
啓太に彼女がいたとは!
次はこちらから、菓子折り持って挨拶しにこないと。大失態じゃないの!
どうしてうちの息子は、こんな大事な話をしてくれないのか。いくら何でも、隠し過ぎだろう。
こうして私が亜弥ちゃんの存在を知ったのは、十一月初頭のことだった。
冷えゆく季節の中、進路とは別の意味でハラハラと息子を見守る日々が始まる。
ちゃんと彼女を大事にしているんだろうか。
親御さんにはしっかり挨拶出来たのか。
うちの家にも連れてくればいいのに。
あまりに我慢し切れなくて、亜弥ちゃんの名前を出して二度ほど問い詰めようとした。
息子の顔が真っ赤に染まったのは、照れが半分、怒りが半分といったところか。
やめとけばいいのに、彼女の好みや誕生日まで聞いたのはマズかったかも。
本人はあくまで友達だと言い張っていたものの、それならあんな反応はおかしい。
母をナメ過ぎだ。
正直に言うと、私の内心も複雑なものがある。亜弥ちゃんと会ったら、さらに心は乱れるだろう。
今すぐにでも会いたいような、まだ早いような。
あの人の形見として、啓太は立派に育ってくれた。
私もいずれ、子離れを覚悟しないといけない。
亜弥ちゃんのところへ行くことを、息子ももう堂々と伝えてくる。明日も遅いから、そう啓太が告げるのは決まって夕食の直後だ。
二階へ消えて行く息子の背を、少し寂しく眺める私だった。
◇
冬休みに入ってすぐの土曜日、啓太の発言が私を仰天させた。
「ダメなの?」
「いや、全然構わないよ。ケーキ買っておくね」
「そんなの要らないから。昼過ぎに連れて来る」
誰を連れて来るのか、そんなの決まっている。
亜弥ちゃんだ。
明日の昼、亜弥ちゃんが我が家を訪れると宣言された。
驚天動地の大事件なのに、啓太はふて腐れたような態度で
ただ来るわけじゃなく、夜までキッチンを貸してくれとも頼まれた。
忙しさにかまけて、月日の感覚に乏しい私でもピンと来る。
明日は十二月二十四日、クリスマスイブ。
うちでは平常通りの休日だが、世間は浮かれ踊る一大イベントである。
若きカップルが、こんな大事な日を見逃すはずがなかった。
おそらく私以上に、亜弥ちゃんは緊張しているに違いない。
認めたくないけれど、私は意地悪かもしれない
初対面で好印象を与えようと、息子と二人で知恵を絞ったってわけか。
クリスマスディナーなら今風の特別メニューだし、普通の味噌汁や煮物よりハードルは低い。
家庭の味なんて必要ないもの。
なら、私は自室で書類仕事を進めつつ、夕飯を楽しみに待つとするか。
食べながらゆっくりと、亜弥ちゃんとも喋ろう。
遠足前の子供のような興奮を覚え、土曜の夜は寝付きが悪かった。
日曜も朝早くに寝床を飛び出し、家の掃除に精を出す。
張り切る私を横目に、わざとらしく溜め息をついて啓太は昼前に家を出る。
じりじりと待つこと一時間と半、ドアが開く音を聞き付けて玄関へ走った。
「は、初めまして。山内亜弥です。啓太くんには、いつも勉強を教えてもらっています」
天使がいた。
亜弥ちゃんと比べたら、私は象だろう。
頬にハイライトが光らなくなって久しい。
啓太は荷物持ちをさせられており、トートバッグから食材が覗く。
さっさと引っ込めという無言の睨みに、もう少し眺めさせろと視線を返した。
しかし、あからさまに強張った亜弥ちゃんの笑顔に、私も引くことにしてやる。
仕方あるまいて。勝負はディナーじゃ。
……何の勝負か知らないけども。
「呼ぶまで、出てくるなよ」
「はいはい」
啓太の言い付け通り、部屋へ引き篭って書類を広げたが、どうもキッチンが気になって集中出来ない。
和気藹々とした笑い声に、つい手を止めて耳を澄ませてしまった。
さすがクリスマスディナーと言うべきか、調理の音は一向に止む気配がなく、数時間があっという間に過ぎていく。
どんなメニューを用意しているんだ。やっぱり、
仕事は諦めて、机の隅に置へ目を遣る。写真立てを引き寄せ、その色褪せた縁に指を這わせた。
あの子の彼女、可愛かったわよ? あなたにも紹介しないとね。
午後五時前には、喧騒も治まる。
もう呼び出される頃合いだと待ち構えたのに、ここからさらに一時間待たされるとは予想外過ぎた。
焦れてキッチンを窺おうと立ち上がった時、やっと啓太の声がドアの向こうから届く。
「夕飯が出来たよ」
このセリフを、息子から聞くことになろうとは。
とっくに私の背を追い抜いた啓太に付き従い、ダイニングへと向かった。
「あれっ、亜弥ちゃんは?」
「帰ったよ」
テーブルには二人分の料理しかなく、啓太の言うことは本当らしい。
せっかく楽しみにしていたのに、何で帰しちゃうのよ!
息子の彼女と喋る機会を奪われたのは、そりゃあ残念に思う。腹が立つくらいだ。
しかし、それ以上に、用意された料理に不思議で首を捻る。
「早く食べよう。冷めちゃうじゃん」
「え、うん……」
豆腐とワカメの味噌汁に、タコの酢の物と筑前煮。
何の変哲も無く、どの皿もクリスマスとは程遠い。
促されて味噌汁から口をつけてみたが、これまた普通の赤だしだった。
私の顔色を、啓太がじっと見つめる。
「どう?」
「昼ずっと、これを作ってたの?」
「うん。俺が作ったんだ、全部」
「えっ、うそ!? 筑前煮とかも?」
「亜弥が特訓してくれた」
勉強を教える代わりに、彼女は啓太に料理を教えたそうだ。
その集大成が今日で、結果は――。
「……及第点かな」
「よかった! 一応味見はしたんだけど、初めてだし」
「どうして料理なんて?」
居住まいを正した啓太が、私へ軽く頭を下げた。
「いつも家事までさせて、ごめん。料理も手伝えるようになったから、弁当も自分で作るよ」
「そんな、好きでやってるんだから――」
「それと、これ」
ラッピングされた包みが、ずいとこちらへ突き出された。
飾り紐を解いて包装紙を丁寧に開けると、洒落たフォトフレームが現れる。
「何がいいか分からなくてさ。それなら好きな写真を飾れるだろ?」
「クリスマスプレゼント?」
「誕生日プレゼントだよ。早いけど」
「馬鹿、誕生日は来月じゃない。早過ぎよ……」
さあ、食事の再開だと、啓太は箸を握った。
私も茶碗を持ち上げてはみたが、そこで動きが止まる。
「母さん?」
そう言えば、母さんと呼ばれたのは久しぶりかも。
それが限界で、大粒の涙がポロポロとこぼれ出した。
うろたえる息子へ泣き笑いして、くしゃくしゃの顔のまま筑前煮を頬張る。
「受験勉強もしなさいよ」
「分かってるって。顔拭けってば」
私も意地になって、最後の一切れを食べ終わるまで顔を拭いてやらない。
どの料理も平凡極まりない出来だったけれど、今までで一番美味しい晩御飯だった。
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