一人じゃ危ないよ

一人じゃ危ないよ

 ここ数日、バイトの帰りが午前零時を回るようになった。

 貸し会場で給仕係をしているのだが、時間を延長して盛り上がるパーティーが続いたからだ。


 私も大学生、早く帰宅したいと思ってはいても、仕事となれば仕方あるまい。

 女一人で夜道を歩くのは、好ましくないとわきまえているんだけど。


 駅からマンションまで、人通りが少ない住宅街を歩いて十五分ほど。

 マンション自体はオートロックでセキュリティがしっかりしており、住人も女性だけだ。

 シェアルームでの契約が基本であり、私も同じ大学のアカリと一緒に部屋を借りた。

 帰ってしまえばルームメイトがいるわけで、一人暮らしの不安は感じない。


 問題はこの帰宅路だろう。

 街灯がきちんと整備されておらず、ところどころ雰囲気たっぷりに点滅している。

 完全に照明が沈黙した箇所もあり、真っ暗闇を何度も突っ切るハメになった。


 昨夜からだろうか。立ち並ぶ家屋にも、明かりが少ない。

 一斉に出払ったわけでもなかろうに、わずかな光も消され、延々と暗い道が続く。


 懐中電灯を買った方がいいのかも。

 冗談のつもりで考えたアイデアが、ひどく良い思い付きに感じた。


 暗いだけならいい。

 今夜は音まで聞こえる気がする。

 中途半端にリズミカルな、空気の漏れる音。


 駅から少し離れると、私の後ろから音が届く。

 はあ、はあ、と。

 人が息を吐くような。


 たまたまだと自分に言い聞かせようとしても、何かが耳をくすぐる。

 付かず離れず、確かに音は私の後ろに在った。


 振り向いても、黒い道が見えるだけ。

 目を凝らす間も、荒れた息が耳につく。


 走ろう。

 工事跡がぎされたアスファルトを、ローヒールで走りたくなかった。

 しかし、さっさとマンションへ逃げ込みたい欲求が勝る。


 深く一呼吸、気合いを入れた私は、先に広がる闇の中へ駆け出した。

 カンカンと足音が高く響く。

 これで何か・・を引き離せよう。

 神経を苛む音は――。


 ――大きくなった。

 もう疑いようがない。吐息だ。

 人か、或いは野犬か。

 犬ならまだマシと思うのは、おかしいだろうか。


 追いかけてくる。

 何者かが追っているのは、私だ。

 走ったのは、要らぬ刺激を与えてしまったのか。


「ぐっ!」


 めくれた舗装に足を取られ、肩から前へすっ転んだ。

 ハンドバッグが上手くクッション代わりになってくれたが、膝と肘を擦ってしまう。

 痛みよりも、焦りが私を襲った。


 靴を脱ぎ、両手で抱えてすぐに立つ。

 この間にも、どんどん息は近寄ってきた。

 はあぁ、と明瞭な息遣いが、一気に距離を詰める。


「なん……!」


 もうそこにいる。

 振り向いちゃいけない。

 目を合わせたら絶対にダメだと、確信を持って言えた。


 足の裏を傷つけようが、構うものか。

 全力で走ったら、マンションまであと五分? 三分?


 どこまで来たのかも分からないまま、再び走り始めた――そのときだった。


優里ゆり! 待って!」


 馴染んだ友人の声に、思わず安堵の喘ぎが出る。


「遊び過ぎて遅くなっちゃった。どうしたの、靴脱いだりして」

「……なんか聞こえない?」

「あー、変質者の声みたいな? 風かなって思うけど、気味悪いよね」


 膝から力が抜けそうだ。

 気安いアカリの喋りが、これほどありがたかったことはない。

 彼女の肩を貸してもらい、今一度、靴を履き直す。


「肘、怪我してるよ?」

「たぶん膝も」

「大丈夫なの?」


 苦笑いで平気だと答える。

 さっきまでの緊張のせいで、上手く頭が回らないため、しばらくアカリが話すのに任せた。

 他愛もない飲み会の話を、マンションへ着くまで聞き流す。


 ゲートを暗証番号で明け、アカリを連れ立ってエレベーターで二階へ。

 早く部屋に戻りたいと、小走りで廊下を進む。


 ドアを開け、照明を点けて、真っ先にリビングへ向かった。

 遅れて入って来たアカリは扉を乱暴に閉めたらしく、銅鑼どらを叩いたような音がした。


 予想したより、肘の怪我が酷い。

 擦り下ろした皮膚から、手首近くまで血が垂れていた。

 水で流して、消毒かな。包帯とガーゼは寝室にあったはず。

 目立つ傷だし、バイト先で何か言われそう。


 薬類を取りに、奥の寝室へ入る。

 照明のスイッチをパチンと押し込んだ瞬間、頭も体も硬直した。


 青い。

 半裸のアカリは、自分のベッドの上で青黒い身体を晒していた。

 目を見開き、口を裂けるほどに開け、ただ天井を向く。

 じゃあ、あれは。

 アカリにそっくりなアレ・・は――?


 はあっ、という吐息が、背後から聞こえた。

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