365日のアルバム
365日のアルバム
一日一枚、一年で三百六十五枚の写真を撮ってアルバムを作ろうと考えた。
君のアルバムを。
夏が終わった九月、まず最初の一枚を近所の並木道で撮った。
緑のイチョウを背景に、優しく笑う君。
可愛い。
次の日には、駅前のコーヒーショップの前でパシャリ。
苦いのは嫌いって言いつつも、君はカプチーノの泡を楽しそうに掻き混ぜていた。
やっぱりボクは、君が大好きだ。
我ながら古臭い趣味だと思う。
レトロな雰囲気が大好きで、ボクの部屋は時代遅れの物でいっぱいだ。
レコードプレーヤーに万年筆。革表紙の日記帳に、アンティークランプまで買い集めた。
アルバムを作るのも、昔ながらのフィルムカメラを使う。
“撮られるの、嫌いなんだ”
そう言わないで。
このカメラ、デザインもカッコいいだろ? 壊れてたから、修理代が結構高くついたんだ。
三日目は公園で。四日目は駅で。
ちゃんと撮れているか心配で、いつも四回ずつシャッターを切った。
ほぼ一週間でフィルム一巻きを撮り終え、隣街まで現像を頼みにいく。
写真を受け取れるのは、その翌日。待ち遠しくて仕方なかった。
出来上がった写真は、一枚ずつ吟味してアルバムへ貼り付ける。
マニア趣味だって君は呆れてたけど、デジタルより風情があるっていう主張には頷いてくれた。
秋の動物園では、ライオンの檻の前で。猛獣好きっていう君が、少し意外だった。
満月の日には、「月が綺麗ですね」って。狙いすぎたシチュエーションに、二人して吹き出してしまったよね。
赤くなった紅葉の下でも。
紅葉より君のほうが綺麗だって言ったのは、ちょっとカッコつけ過ぎだ。なんかキメたくなるんだよ、君を見てると。反省してる。
始めは真っ白のページばかりだったアルバムが、君との思い出で埋まっていく。
百貨店に設けられた、大きなクリスマスツリーの下で。
初めて君を抱きしめたのは、この帰り道だった。
初詣でごった返す神社の境内では、人混みが邪魔で位置取りに苦労する。
賽銭を二人で投げて、おみくじも引いて。ずっと一緒にいられますようにと、願掛けもした。
雪の積もった二月は、海岸まで出るのを諦めようかと悩む。
結局、雪道をふうふうと歩いて、夕陽に照らされる冬の海へ辿り着いた。
雰囲気が大事、ってのが君の言い分だっけ。バレンタインだもの、多少のワガママには目をつむるさ。
満開の桜を撮れたのは、本当に良かった。君ほど桜が似合う人はいない。
ずっと春が続けばいいのにと願いたくなった。
何も毎日撮らなくても、と友人には言われたし、学校をサボるのはやり過ぎだと親には
でも、毎日だからいいんじゃないか。
君との一年を、一冊に閉じ込められるのだから。
紫陽花を撮るために電車で三十分、レッサーパンダを撮るにはバスを乗り継いで一時間も掛かった。
七夕は笹飾りが有名な古都へ赴き、花火大会では裏山に登る。
暗い夜道が危なっかしく、道中はしっかりと手を繋いで歩いた。お互い汗ばんだ手だったけど、ちっともイヤじゃない。
一年分で、ちょうどアルバムが埋まると計算済みだ。
九月の写真を撮り終えたらどうしよう、そんなことをぼうっと考える。
フィルム写真は、いつか色褪せるのだろう。
それが三十年か、五十年か、それとも百年かは分からない。データと違って、劣化するのが紙焼きというものだ。
だけど、実体の在る写真が
九月の撮影は地味な場所が多い。
学校の正門、駅の大階段、君の家の前。この一年で、何度も撮ったところばかりだ。
“そろそろ終わりね”
そうかな?
もう一冊、アルバムを作るのも悪くないかもよ。
九月十二日、これが最後の日。
花火大会で登った山を、今回は昼間から目指す。
山と言っても丘程度の高さしかなく、山頂には小さな公園が設けられていた。
一応は舗装された道を、十五分も歩けば展望の良い公園に着くはずだった。
しかし、この日は
運悪く、台風が直撃してしまったからだ。
カメラをタオルで
傘を差すのはとうに諦め、杖の代わりにして体を支えるのに使った。
フラフラするのは、風のせいばかりではなかろう。
ロクに食事も取らない日が多かったからか、微熱が引かないのには常に悩まされていた。
最後までやり遂げる、その意地で足を動かして、やっとの思いで公園へと辿り着く。
展望台には屋根があるので、横殴りの雨が鬱陶しいとは言え、道中よりはマシだ。
台風は正午から接近し、三時くらいには山の真上を通過する。
それが撮影にはベストのタイミングだろう。
待ち時間を潰すために、シャツの下、ベルトに差して持ってきた日記帳を開く。
十二日の君は、どんなだっただろうか。
幾度も読み返したから、実のところすっかり覚えてしまったけどね。
君が亡くなって一年半。
おかしいだろ。
大切な思い出を辿った一年だった。
いきなり過ぎるだろ。
一際激しく吹き込んだ風が、ページをバサバサと捲ったかと思うと、日記帳を展望台の外へと吹き飛ばす。
やめろよっ!
慌てて追い掛けたボクは日記帳こそ取り戻したものの、勢い余って頭から転んだ。
ぬかるんだ地面に叩き付けられて、服は汚い茶色に染まる。
髪から
転びながらもカメラは
それよりも日記帳だ。
シャツ同様、泥にまみれた日記帳のページを、泣きそうな思いで開く。
ああ、読める!
滲んでしまったけど、さすがは万年筆の耐水インク、ちゃんと文字は判読出来た。
もう飛ばされないように、日記帳を握る手に力を込めて、君との日々を丹念に読み返す。
秋から冬へ、冬から春へ。
なぜか分からないけど、夏より先は読めなかった。
ただ背を丸め、日記帳に覆い被さり、
濡れた服が熱を奪い、冬みたいに冷たい。
君がいてくれたら、温かかっただろうに。
ビュービューと唸る風鳴りが、全てを消したのが幸いだった。
白塗りされたような時間が過ぎたあと、周囲が静まったことに気づく。
顔を上げたボクの瞳に、厚い雲間から差す陽光が飛び込んだ。
台風の目、
カメラはちゃんと機能し、シャッターボタンを押すと小気味よい機械音が響く。
今のうちに家へ帰ろう。
明日はフィルムを現像し、明後日はアルバムを完成させて――。
“それから?”
それから、は、やっぱり何も思いつかない。
これだけ撮っても、君は写らないんだ。
どうしてだろうな。
こんなことなら、無理やりにでも君を撮っておけばよかった。
もう一度、最初からアルバムを見たい。
君だけがいないアルバムを。
どうせまたひどく降るんだろうと、空を一瞥したボクは、足を早めて山を下った。
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