第1話
朝起きて、顔を洗って、身支度を整えて。
そうして鏡を前に『魔法』を使うのが、フィオラ・クローチェの日課だった。
姿変えの魔法。といっても、外見を大きく変えるわけではないから、そう難しい魔法でもない。
術式を編んで、そこに魔力を通す。その、意識しないでもできるようないつもの工程の半ばで、魔力が乱れた。
(――『暴発』だ……!)
『暴発』はフィオラが魔法を使う上で避けられない。だけれど、今までこの姿変えの魔法で暴発が起こったことはなかったのに――そう考える間にも、魔力は完全にフィオラの制御下を離れ、別の魔法へと変わっていく。
『暴発』で起こる事象は、フィオラのみに影響する魔法と決まっている。少なくとも住まいがふっとぶようなことはないし、他人に迷惑をかけることもないはずだ、と覚悟を決めて、『暴発』した魔法を身に受けた。
姿変えの魔法のときに似た、それよりも長く、体の深くから変えられていく感覚。あまり心地のいいものではないので、じっと目を閉じて堪える。不快な感覚が消え、瞼の裏に映る魔法の光も消えたのを確認して、恐る恐る目を開いた。
そこには。
見覚えのありすぎる、傷だらけの子どもの姿があった。
息を呑む。白昼夢かと疑う。無意識に手を伸ばして――それが冷たく硬い感触に行きあたった。
(ああ、……鏡、か)
鏡の前で魔法が暴発したのだから、今目の前にあるのも鏡でしかない。つまり、――傷だらけの子どもはフィオラ自身だ。
そう理解して、当然のことに思い当たらず混乱した自分に苦笑する。さすがに平静ではいられなかった。その姿は遠い過去に置いて来てしまったものだから。
(さて、どうするか。……そろそろ誰かが来てもおかしくはないと思うが、すぐに私と分かってもらえるだろうか?)
フィオラの住まいは国が管轄する魔法使いの宿舎の一室だ。魔法使いにはフィオラの暴発のようなイレギュラーな事態が起こることが多々あるので、それを検知する魔法が組み込まれている。
有事には隣接する騎士宿舎から、異常を検知した部屋に誰かしらがやってくることになっているのだが――と、そこまで考えたところで、扉の外から人の気配がした。
室内の様子を探っているのだろう。少しの間をおいて、鍵ごと扉が吹き飛ばされた。つくづく騎士というものは、人間の領域を逸脱している。
「フィー、無事か?!」
自室に突入してきた人物は、フィオラもよく知る騎士だったので、少し安心する。
しかし、相手はそうではなかったらしい。フィオラの姿(幼少時)を目にした瞬間、戸惑いを映したかと思えば、悲愴な面持ちになった。
「子ども……それも傷ついて……? フィーは『悪い魔法使い』になってしまったのか……!?」
「ちがう」
そのまま暴走されそうだったので、即座に否定しておく。
声を出してみて気付いたが、とても喋りにくかった。そういえばこの体の頃はほとんど喋ることがなかったから、声帯が退化していたのだろう。何年も経ってから自覚するというのも変な話だが。
「……『悪い魔法使い』になって、子どもをぎせいにしはじめたとかじゃない。私がフィオラだ。ルカ」
「君が、フィオラ……?」
「そうだ」
困惑の色を濃くする騎士、というか騎士団長――一応友人のルカ=セトは、しばらくの沈黙ののちに、今のフィオラの姿に自分の知るフィオラの何がしかを見つけたらしい。納得したように一つ頷いて、「子どもの姿になっているのは魔法の暴発として……そのケガは?」と訊いてきた。
「どちらも魔法の『暴発』のせいだ。ただ子どものすがたに変わったんじゃなく、時がまきもどってこのすがたになったんだろう」
「つまり、君はその歳の頃、元々傷だらけだったと?」
「そうだ。……それについては、後ではなす。それより、なんできしだんちょうじきじきに平の魔法使いのところに来てるんだ。きしだんちょうが出張るようなあんけんじゃないだろう」
「フィーに関することは俺の担当になってるんだ」
そんなことを大真面目に言うものだから、呆れてしまう。
フィオラは魔法使いの中でもその他大勢に紛れてしまうような平も平、平凡極まりない魔法使いなのだが、どうしてかこの騎士団長は一番の友人だと言って憚らない。いったい何が気に入られたのか、フィオラにはさっぱりなのだが。
「それについても後ではなそう。とりあえずは、魔法士長にほうこくをしに行きたい」
「魔法士長……ディーダ・ローシェ魔法士長か。上司への報告は確かに必要だろうね」
「このすがたでは、つうじょうぎょうむがこなせないからな」
「真っ先に思いつくのがそれなところに、フィーの仕事中毒っぷりを感じるよ」
「ふつうのことだろう」
そんなことを言いながらもはやただの空間となってしまった出入り口へと向かう。自分が思っている歩幅と全く違うので、予想以上にルカのところまで辿り着くのに時間がかかった。
(この速さにルカを付き合わせるのは申し訳ないな)
そう思って、とりあえず姿が子どもになっただけの影響であることだし、そもそも付き合ってもらう必要もないと気付く。騎士宿舎に戻ってかまわない、と口にしようとした矢先、体がふわりと浮いた。
「……ルカ。これはなんのつもりだ?」
「フィーを運んでいこうと思って」
「おまえがほうこくにまでつきあうひつようはないだろう。きしだんの方へのほうこくはともかく」
「でも、フィー。足にもケガをしているだろう?」
……目ざとい。悟られないように歩いたというのに、足首の痛みに気付かれたらしい。この時期はもはや全身傷や痛みがないところがない、という頃なので、いちいち気にしていられないのだが、ルカはそうではないだろう。人間として真っ当な感性をしているので。
ここは押し問答してもどうにもならないな、と結論して、フィオラは「……そうだな。ありがたく運んでもらうか」とだけ、溜息とともに返したのだった。
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