私を見る瞳 [1,937文字]

 図書館に行ってくると告げて家を出て、電車に乗って適当な駅へ。

 大きめのデパートのトイレで、カバンから取り出した洋服に着替える。

 フリルをこれでもかとあしらったロリータ服と呼ばれるものに身を包み、すっぴんの肌にファンデーション。ラメのきらめくアイシャドウ、つけまをつければ目元はバッチリ。

 まるで別人に見えるくらいに武装して、コインロッカーに荷物を預けた。


 何も入らないんじゃないかってくらいに小さなポシェットを肩から下げて、歩いたことのない路地を歩く。

 犬の散歩をしているおじいさんはこちらをチラチラと見てくるけれど、リードをぐいぐいと引かれて視線はすぐに私から外れた。


 父も母も、への理解が全くない人間だった。

 初めてロリータファッションを目にしたのは繁華街を歩いている時だったが、お姫様みたいな女の子に対して両親の発した言葉といえば、「あんなものを着て出歩く人間の気が知れない」である。

「可愛いね」という言葉が形になる前に飲み込めてよかったと思う。

 隠したものを暴き出すほどには、娘に興味のない二人だったから。


 だから私は毎年お年玉から少しずつ貯金箱に移し、一着だけロリータ服を買ったのだ。

 ウィッグを買い、メイク道具も密かに揃え、両親の目の届かないところでもう一人の私になる。


 青空の下、今だけ本当に息が出来ている気がした。


 小さな公園を見付けて、綺麗に手入れされた花壇に近付いた。

 写真でも撮ろうかと思ったのだけれど、スマホを取り出す前に私の視線は花から地面に移った。

 人が、倒れていたから。


「えっ、だ、大丈夫ですか!?」

「う……ん」


 小さく返事をした男の人は口元や目元に青あざがあり、顔から腕から血が滲んでいる。

 薄く開かれた瞳は潤んでいて、私は慌てて近くの自動販売機で水を買って差し出した。

 財布とハンカチだけは持っていたから、公園の水道で濡らしたハンカチで、怪我している場所を清めていく。

 ボサボサの黒髪、口をすすいだ水を吐き出す唇は赤く濡れていて、口の中も切っているのかもしれなかった。


「あの、病院、行った方が……」

「あー、はい、ども……」


 彼はゆるりと立ち上がると、ふらふらと公園を出ていってしまった。

 一緒に行った方がいいかと思ったけれど、心配とはいえ見知らぬ他人なのだ。一応転んだりしないように離れたところから後ろ姿をしばらく見守るだけにした。


 喧嘩でも、したのだろうか。

 自分には縁のないことだ。私は散歩を再開し、そして元々の地味な格好で家に帰った。




 翌日、月曜日。

 クラスは朝からざわついていた。どうやら転校生が来るらしい。男か女かと騒ぎになり、どうやら男らしいと男子たちが露骨に残念がる。

 担任とともに教室に入ってきた男子生徒を見て、鼓動が早まった。


 昨日の、人だった。


 咄嗟に顔を伏せたが、私は学級委員長なのだ。確実に面倒を見るように言われてしまう。


風間かざまらんだ、仲良くしてやれー。佐久間さくま、案内とか頼むな。一番後ろの女子、学級委員長だから何かあったら助けてもらえ」


 予想通り、私の行動はすぐにその意味を失う。私は校則違反ギリギリまで伸ばした前髪から転校生を見た。

 目が合って、けれど、昨日の女だとはバレないはずだ。


「休み時間になったら、主だった場所だけでも簡単に案内しますね」


 隣の席に腰掛けた彼に声を掛けると、少し驚いたみたいな二つの瞳が私を見た。

 昨日のぼんやりとした目とは違う、真っ直ぐな目で。


「昨日の」


 私は全力で彼の口を塞ぎ、何事かとこちらを見る担任とクラスメイトたちの視線に、思考をフル回転させて言い訳を考える。

 あぁ、何をしているんだ私は。


 私の手を口から剥がして握りこんだ彼の口が、ニヤリと弧を描いて、とてつもなく嫌な予感がした。


「口説いたら拒否られただけでーす、すんません」


 クラス中に響き渡った黄色い声に、私は、目の前が真っ暗になった。



 休み時間、冷やかされながら教室を出た私は、不機嫌さを隠しもせずに彼に言った。


「なんで分かったの」

「なにが?」

「昨日の、私だって」

「目ぇ、見たら分かるよ、あと声」


 カラーコンタクトまでは手が届かなかったのが悔やまれる。そして、普段はあの格好で出すことのない声を彼に聞かせたことも。

 けれど、後悔しても仕方がない。バレてしまっていることは変わらないのだから。


「絶対誰にも言わないで」

「ふーん」

「言わないで」

「ヒミツなの? 可愛かったのに」

「かっ、なっ、チャラい……!」

「んー、否定はしないけど、でも嘘は言わんよ」


 そう言いながら、肩の上で切りそろえられた私の髪に伸ばされる彼の手。私はそれを、避けられなかった。

 本当の私を、見つめる瞳を遮れなかった。


「あの格好で、どっか行こ」


 私の心を見透かすように目を細めて笑う彼に、どうしようもなく、惹かれてしまったのだった。

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