第8話 それは誤解です


 三階にたどり着いた私は、そこにあった分厚い医学書の一説に目を通していた。


 『枝葉健忘とは、精神面および記憶面に多大な刺激又は衝撃が起こった際に、ごく稀に引き起こる症状である。対象者は脳内で優先順位が低い下位的記憶を選出しその部分の記憶を霞ませる。それによって受けた刺激又は衝撃を問題なく受け入れることができるという仕組みである。詳しいことは未だ明らかになっておらず、霞んだ部分を元に戻す決定的な治療法は現時点ではない。国家資格を有する魔法医師による魔法療法で霞んだ部分を再度思い出すことは可能。しかしその代わりに脳が既存記憶内の下位的記憶を再選出し、その部分が新たに霞んでしまうためこの治療法は一般的には推奨されていない。治療の有無にかかわらず、下位的記憶が失われていても日常生活に支障はない』


 け、決定的な治療法はない? そんなぁ。

 私は広げていた小難しい医学書から視線をあげた。長机の向かいにはランドルフ殿下、斜め前にはリチャード様が他の医学書を広げて黙々と読み進めている。


「どれもだいたい同じことが書かれてるね」


 リチャード様は五、六冊の医学書にさらっと目を通してそう言った。速読術がすごいな……。一方殿下は頬杖をつきながら気怠そうにダラダラと読んでる。ちょっと、やる気あるのって思ったけど、よく見たら私よりは沢山読んでいた。この人たちゲームでも成績トップクラスだったし、頭いいんだろうな……。


「魔法療法ってどんな感じなのでしょうか。私、受けたことがなくて」


「うーん、症状によって色々なやり方があるけど……。この場合、魔法医が患者さんに記憶捜索魔法をかけて眠りにつかせて、目が覚めたら探したい記憶が戻ってるって感じだよ」


「記憶……捜索? その治療って痛いんですか?」


「いや、痛みはないらしいけど予め魔法に耐えられる健康状態か検査が必要だね。……って何故ディアナ嬢がそんなことまで知りたいの?」


 あ、そっか。リチャード様は私自身が枝葉健忘かもしれないってことまだ知らなかったか。


「えっと実は……」


「枝葉健忘に近い症状があるんだって。ディアナ嬢は半年前に破廉恥なものを見てから昔の記憶が霞んでしまったらしいよ」


「はい。そうなんで……って、違います!」


 あっぶな、殿下の言い方があまりにも淡々としていたからつい流されるとこだった……。と言うか勘違いされたままだったの?

 弁解しようとリチャード様の方を見たら、口元に手を当て珍獣を見つけたみたいな不穏な表情で固まってた。まずい、これはドン引きしてる。そして目が合うと綺麗な美少女フェイスがみるみるうちに真っ赤になっていった。純粋そうだもんね……またしてもセクハラ(間接的)をしてしまった。ごめんね。目の前のガキ大将もとい殿下は楽しそうにニヤニヤしている。貴方のせいなんですけど……。


 私はなるべく落ち着いたトーンで「破廉恥なものを見た」という点だけ訂正し、「高熱を出した時に恐ろしい夢を見た」と言っておいた。こういう時に焦っちゃうと更に変態っぽく見えるからね。冷静に、冷静に。

 リチャード様は私の話を聞き、コホンと咳払いをして息を整えた。


「……なるほど、それは災難だったね。枝葉健忘なんて稀な症状だから一生気付かないままの人も多いぐらいだけど、ディアナ嬢は治療をしたいってこと?」


「ええ、可愛がってた従弟との大切な記憶が霞んでしまって仲違いしてしまったので……できればその魔法療法を受けてみたいです」


 すると殿下が溜息を吐いて横槍を入れてきた。


「受けてみたいって……魔法療法は十二歳からしか受けられないけど」


「え、そうなのですか!」

 

 ……知らなかった。この世界って魔法に関する法律が結構厳しい。ゲームではあまり触れられてなかったけど、規制も多いし。また今度法律についても勉強しておかないとな。


「まぁ、でも一応診察だけ受けてみたらどうかな。父上はまだ当直明けで眠ってるけど、そのうち起きてくるだろうから診てもらおうか」


「……よろしいのですか?」


「構わないよ。父上に任せれば何か分かるかもしれないし、心配いらないよ」


 リチャード様は優しくそう言ってくれた。私なんて第一印象最悪の上に和解後二度もセクハラをしてしまった身なのに……貴方はどこまでいい人なの……。

 こうして私の中でのリチャード様のいい人株が急上昇した。そして、その隣の殿下は相変わらず気怠そうだった。


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