第2話

【俺は至って正常なのだが世間が狂っている】


二話


 櫻井と別れて二限目が始まる前に自分の席に戻ると、教室がなにやら騒がしい。

 恐る恐る引き戸を引くと、こちらに視線が送られてきた。

「な、なんだ?」

 そして、ちょっとした静寂の後、驚くほどの歓声が上がる。まるで野球でサヨナラホームランを打った時並の歓声だ。

「おめでとう! 子作りしたか!?」

 陸斗は嬉々とした表情でこちらに寄ってきた。

「は、はぁ!? アホかよ! お前らの頭の中にはそれしかねえのか!」

「えー? でも、そうじゃないの? 授業を休んでまでする大事なことでしょ? 子作りくらいしかないじゃん」

 イケメンの横で、綺麗な黒髪を片手で靡かせて高圧的な声を発してきた彼女は、陸斗の彼女の五代美咲だ。まだそこまでお腹が出てきてないからかブレザーの俺らと同じ制服を着ている。

「なんでお前らの頭の中にはそれしかないんだ? 猿なのか?」

「猿と人間なんてほとんど変わりはしないでしょ? 結局のところ人間だって子孫繁栄のために生きてるんだし、子供作らない意味なくない?」

「……じゃ、お前らは産まれてくる子供を面倒み切れるのか? 大人になるまで」

「そりゃ俺らなら問題ないさ。二人でこの長い人生という道を手を取り合って生きていくんだ。だよな。美咲」

「当たり前じゃん。陸斗」

 そう言って笑うと、二人は手を取り合い視線を交わしている。やはり二人は。いや、子供を作っている奴らは何一つわかってないんだ。

「……人生甘く見すぎなんじゃねえのか? 脳内スイーツ畑共が!」

 頭の中でどうにか制御していたリミッターがブチッと切れ、気がついたら溜め込んでいたものが爆発していた。

「……本当にふざけんなよ? お前らみたいなの見てると、甘すぎて吐き気がするわ」

「な、なんだよ? どうした?子供を作ることはいい事じゃないか? それに、皆やってるぞ?」

 諭すように言うやつに睨みをきかせてやると、彼は黙った。

「……お前らは間違ってるんだよ。皆がやってる? そんなの知ったこっちゃない。ガキ作るってことは人一人の人生が掛かってんだよ! そのへん分かってんのか?」

「そんなのわかってるよ!」

「わかってねえよ! お前らなんざに分かってたまるか……!」

 拳に自然と拳に力が入る。

「お前らに何がわかるよ! 犬や猫みたいに家にずっと置き去りっぱなしにされて冷蔵庫をみたって食料なんか入っちゃいない。何も食べずに雪の降る日に冷たい床で眠る日々。三歳だった俺はずっと開くわけもない玄関ドアの前で雛鳥みたく泣いていた。だけど、何日待っても帰ってくることも無いし、助けが来ることも無い。お前らにこの絶望がわかるか? あんなの親じゃねえ。ガキだ。ただのガキ。見てくれだけがご立派なクソガキだ」

「……た、大変だったんだな」

「……お前らがしようとしている末路を話してやってんだよ。実際そうなる。育児なんかより恋愛の方が数億倍楽しいんだ。そりゃそうだろう。夜中に泣きわめくしオムツだって変えないといけない。何もかも一人でできない赤ん坊に時間を割くより、最愛の人と遊びに行った方が数億倍楽しいだろうよ!」

 ひとしきり言い終わり、教室は張り詰めた空気が漂っていた。だが、そんなことはどうでもいい。

 もう、俺みたいな子供が出来ることが俺には我慢ならないんだ。

「……知ったような口聞いてんじゃないわよ! 私だって陸斗だって覚悟はしてる。どうなるかは分からないけど、両親にだって話は通したしサポートも受ける!」

 五代がこの空気で反論してくることに少々驚きはしたが、変わらない。やはり甘いことには変わりないのだ。

「……結局頼りたいだけじゃねえか。自分らは楽して親に頼ろうなんて間違ってんだよ。それに、覚悟が出来たって言うだけなら簡単だしな」

「うるさい! 子供を作ることすらしてないあんたにとやかく言われるつもりは無い!」

「責任も取れねえのに作るわけねえだろうが! お前らと一緒にするんじゃねえよ!」

 言い合いが本格的になってきた所で、引き戸が開かれ、拍手をしながら長い黒髪を腰まで伸ばした白衣の女性がヒールをカツンカツンと、鳴らして入ってきた。

「宮岸先生……」

「そうだな。お前が過去に両親。いや、クソガキだったか? そいつらにされてきたことは親としていや、人間としてあるまじき行為だ。でも、その矛先を間違えちゃいけないな」

 そう言うと先生は大人びた風格からは想像もしないような可愛らしい笑顔を俺に向けて、俺の頭にポンっと手を置いた。

「だが、彼の言うことは正しい。今日の授業はいつもの現代文ではない。少し内容を変えよう。皆、席に座り給え」

 先生がそういうと、陸斗の彼女である五代美咲は俺に睨みつけてきたが、大人しく席に帰った。それを皮切りに皆が席に戻っていく。

「よし、皆席に着いたな。今日は人生とは何なのか話し合ってみようか」

 先生が唐突に黒板に大きく人生と書き、そんなことを言った。

 クラスメイト達はそれぞれ顔を見合わせ、首を傾げる。

 普通に難しい。と思う。人生とは何なのか。なんてことを高校生のうちに考えた人なんて居ないだろうし、まだ人生経験ですら豊富とはいえない学生が思えるのは期待や願望や希望だ。

 例を挙げるなら子供が出来て、会社に入って、頑張って稼いで新たな家族と幸せに。過ごせればいい。と、こんな風な誰もが想像をするような話ばかりだった。

 誰だって理想通り生きたいに決まってる。こういう所ではそう思うのだ。基本的に誰だって目指すものは幸福だ。幸福が嫌いな人間なんかいない。

 でも、そんなもんにはいくら足掻いたって手が届かない。あんなのは理想でしかない。あるのは理想を全て打ち砕いてくる現実だけ。

 もう、うんざりだ。

「ありがとう」

 先生がそう言うと意見が止んだ。黒板に並んだ意見はどれも想像を出ないくだらないものだった。それに最初の一文に子供が出来て。という文章がほとんど入っている。

「はぁ……」

 思わずため息が漏れる。

「……理想ばかりの人生だな。うん。それでいい。今の時期はそれでいいんだ」

 先生は色々と上がった意見を、意見をばっさりと斬り捨ててくれた。

「でもな、子供を作るってことはそう簡単なことじゃない。一人の人間の人生の片棒を担ぐことになるんだ。わかってるとは思うが、犬猫の比にならないくらい子供は重い。絶対どこかで逃げ出したくなる。でも、一度決めたなら決して投げ出すな。辛いのは知ってる。誰だってそうだ。だが、お前が支えてる一本の長い棒は辛いを幸せに変えるための、重くとも頑丈な一本の棒だ。幸せが欲しいならその信念だけは曲げるな。わかったな?」

「……」

 それに誰一人として声をあげなかった。俺は正しいことを言ってると思う。でも、他の奴らはどこかそれを貶して見下してみているような気がする。

「……まあいい。そろそろいい時間だな。少し早めだが、終わりにするか。日直」

 先生のそのセリフで日直が号令をかけて、授業が終わった。クラスメイト達はまたいつもの現実へと帰るかのように会話を始めた。

「先生!」

「ん? どうした?」

「その……ありがとうございます」

「なに。まだ君らは子供だ。だからこそ私ら教師がいる。間違えそうになったら私らが全力でその間違いを正す。授業なんかよりも大切なことはあるからね……まあ、分かってもらえなかったかもしれないが」

 生まれて初めてこの人は出来た人だと心から思った。

「……先生はどう思ってますか?子供が子供を作ることを」

「……ふ。君らしいね。私は子供を大人にする。いや、それは傲慢かな。大人に近づけるようにサポートすることを職にしてる。だから、答えは出してあげられないけれど、大人になりたいと心から願ってる彼らのことを全力で応援するよ」

 ニコッと笑う先生を見ていると、そういう力がありそうだ。と、柄にはなく期待が持てた。

「そうですか。ありがとうございます」

「君はどうなのかね?」

「……やはり子供が子供を作るのは間違っていると思います」

「……そうか。答えはそう早く出す必要は無いさ。しっかり悩み給え。あ、それと下世話な話になってしまうが、君はどうなのかね? 彼女は」

不思議と陸斗に訊かれた時のような苛立ちはなく「居ません」と、素直に答えていた。

「恋愛はしておいた方がいい。君がそうなった理由はよく知ってるつもりだ。だからこそ勧めさせてくれ。恋愛が君の心に大きな傷を与えてしまったのは知ってる。でも、恋愛を嫌わないでやってくれないか?」

 先生は頭を下げて言った。

「か、顔を上げてください。両親なんか元々居ませんし、恋愛を恨んでなんかいません……それに、矛先が違うんですもんね?」

「そう……だったな。おっと、いけない。そろそろ私は失礼するよ。次の授業もあるのでね」

「はい! 長い間引き止めてしまってすいませんでした」

 俺は先生が見えなくなるまでその大きな背中を見送った。

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