第8話 朝
これといって特に何も起こらず──寝相の悪いラティアナに桔梗が頭を蹴られる事はあったが──迎えた翌日。
特にアラームなどが鳴ったりはしていないが、早起きが習慣付いているからか、いつも通りの時間に桔梗は目を覚ました。
ラティアナの睡眠を邪魔しないようゆっくりと身体を起こすと、グッと背伸びをし、ベッドから降りる。
次いでしっかりとした足取りで歩き、窓へと寄る。日の光が入らないようカーテンを潜り窓を開けると、湿ったしかし心地の良いそよ風が桔梗の頬を撫でた。
「……良い天気だ」
その風に導かれるように、空へと目を向けると、目に入る一面の青。
所々に雲が散見されるが、雲量を考えるに快晴と言っても差し支えない天気である。
気持ちの良い天気に、気持ちの良いそよ風。
何か良い事が起きそうな気候に思わず目を細めながら、続いて眼下へと目を向ける。
すると、昨晩雨でも降ったのだろうか、水に濡れ、キラリと太陽の光を輝かせている、庭の草木やいつからか咲いていた紫陽花が目に入った。
桔梗は美しい景色に思わず感嘆の息を漏らす。
と同時に、二階である自室から、雨粒の輝きを捉えてしまう程、現在の自身の視力が高いという事実を改めて実感し、超人になったなぁと何とも言えない感慨に身を包む。
何となく体感的予感はあったが、やはり魔法だけでなく異世界で鍛え得た身体能力もそのままにこの世界へと戻ってきたようだ。
……こちらとしては非常に助かるけど。
桔梗は思う。当然の事ではあるが、身体能力が高いに越した事はないのだ。
しかし、理由がわからなかった。
──何故、魔法や身体能力そのままに地球へと帰還したのか。
以前、女神は言っていた。
異世界に桔梗達が居続けては世界のバランスが崩壊してしまう、だから永住は不可能であると。
しかしそれならば、魔法や、地球では有り得ない程の身体能力を有したまま地球へと帰還する事は世界バランスの崩壊には繋がらないのか?
──それだけではない。
もしも、ラティアナ達を地球へと送ったのが女神だとするのならば、その理由は? 彼女達が地球に存在する事で世界バランスは崩壊してしまわないのか?
女神が無策だとは思えない。
──何か、力を有したまま帰還させた、ラティアナ達を地球へと連れてきた理由がある?
「…………」
じっと考えた後、桔梗は小さく息を吐く。
そして思う。これこそまさに『神のみぞ知る』だな……と。
「……っと、そろそろ」
どうやら思いの外長考してしまったようだ。
仮にこれが何の予定もない休日ならば問題はないが、今日は違う。
彩姫の母親と会う必要があるのだ。
桔梗はそう考えると、ラティアナを起こさないようにそっと部屋を出た。
すると、ほぼ同時に少しだけ眠そうにしたルミアが向かいの部屋から出てくる。
「……お、ルミア」
まさかのタイミングに、小さく目を見開く桔梗。
「……! 桔梗様。おはようございます」
眠たげな表情が一転。口に手を当て驚いたような様子の後、ルミアは柔らかく微笑む。
「おはよう、ルミア。流石こっちの世界でも早起きだね」
「お互い様ですわ」
言ってクスリと笑った後、首を傾げる。
「桔梗様は今から朝食を?」
「うん、そのつもり」
「お手伝い致しますわ」
「ありがと、助かるよ」
言って桔梗は微笑む。
ルミアが朝食の手伝いを申し出るのは何も今日が初めてではない。
異世界に居た時も、ルミアが王城ではなく桔梗の家に泊まった際は、いつも手伝ってくれていたのである。
──世界は変わっても人は変わらないな。
相変わらずのルミアの家庭的な姿に桔梗は小さく笑った。
「では行きましょうか」
ルミアの声の後、2人は並んで歩く。
そしてそのまま階段を降りようとした所で、桔梗は何かに気づいたかのように声を上げ、
「あ、ルミア」
そしてルミアへと手を伸ばす。
「き、桔梗様!?」
突然の行動に驚くルミア。
……こ、これはまさか壁ドン!? いや、まさかそれ以上の……ききき、キスとか!?
止まらない妄想。
その間にも桔梗の手はゆっくりと近づいてくる。
アワアワとするルミア。しかし遂に耐えきれなくなったのだろう、何かを期待するような表情と共にグッと目を瞑り──そんな彼女の髪をフワリと何かが撫でた。
「…………?」
しかし、その後は何も起きない。
疑問に思ったルミアは恐る恐る片目を開ける。
すると目前には優しげな笑みを浮かべる桔梗が居て、何かを終えたのか満足そうに頷いている。
ポカンとするルミア。そんな彼女へと桔梗は笑顔のまま声を上げた。
「寝癖、ついてたよ」
「ね、寝癖?」
「そ。ピョコンって」
「あ、そうでしたの。ありがとうございます」
期待した自分への恥ずかしさと、何も無かった事への落ち込みからルミアはガクリとした。
そんな彼女の様子に首を傾げる桔梗。
原因を考えるが、結局よくわからなかった為、
「さて、作るか」
と改めてルミアへ声を掛ける。
その声を受けたルミアは気を取り直し、
「はいですわ!」
と元気良く頷いた。
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