2.スキルとアイデンティティー
立石からの依頼を受けて三日目の朝。
クロガネと美優は鋼和市の北区と南区を結ぶ南北線の電車を利用し、中央区にあるマンションを訪れた。高級マンションの最上階という、一人暮らしをするには広すぎる部屋に海堂真奈が住んでいる。
「おはよう、いらっしゃい」
「「お邪魔します」」
リビングにあるソファーにクロガネと美優、テーブルを挟んで真奈が座る。卓上にはヘッドギア型のゲーム機、白と黒のPSギアが二台並べて置いてあった。
「先に言っておくけど、私はこれから仕事だから一時間後には出るわよ」
「解った、さっそく始めよう」
「じゃあ私から。新旧ふたつのPSギアを分解して比較検証してみたけど、ゲームデータを保存できる記録容量に多少の差があるだけで、大した違いはなかったわ」
黒い方が旧型、白い方が新型ね、と真奈が交互に指差す。
「人体に悪影響を及ぼしたり、ログデータを監視したりするような装置もなし。あとは怪しいプログラムとか、ウィルスが仕込まれてるかどうかだけど」
「それは私が調べます。このPSギアはネットに接続されてますか?」
「電源を入れれば勝手に繋がるわ」
真奈が電源を入れると、美優の瞳が緑色に光って細かく点滅する。
十数秒後、PSギアから視線を外した美優は、静かに成り行きを見守っていたクロガネと真奈の顔を交互に見る。
「スキャンの結果、違法性のあるプログラムやウィルスは検出されませんでした」
「ゲーム機本体に異常がないのであれば、やはり例のNPCか」
「直接FOLにログインして調べるしかなさそうですね」
どこかウキウキしている美優である。本当にゲームが好きらしい。
「そっちで解ったことは?」
真奈の質問にPIDを取り出したクロガネは、10代から60代まで幅広い年齢層の顔写真とそれぞれに添付されて文章化された資料を宙空に展開する。
「FOLで未帰還者となったユーザーの資料だ。彼ら全員の共通点は、いずれも高レベルなベテランプレイヤーが多く、あるいはそんなベテランとパーティーを組んでいたばかりに例のNPCに襲われてしまった初心者もいる。そしてNPCが現れる場所は、決まって廃城ステージだ」
「この顔写真って現実世界の本人のものよね? 一体どこから?」
「FOLを開発したジョイフルソフトの資料室だ」
依頼を受けた初日に、依頼人の立石が立ち合って閲覧したものだ。
「確かユーザーの個人情報は閲覧だけで、持ち出し厳禁じゃなかった?」
「持ち出してはいない。閲覧した時、俺の眼鏡越しに美優が調べてまとめただけだ」
「やってることがデジタル万引きと一緒じゃない、それ」
デジタル万引きとは、書店やコンビニで販売されている書籍や雑誌の内容をカメラやカメラ付き情報端末などで撮影し、その書籍や雑誌を購入することなく入手する悪質行為である。
ちなみに、クロガネが普段から掛けている眼鏡には超小型の高性能カメラが仕込んであり、ネット接続による相互通信も可能な特注品だ。
「ていうか、私と遊んでいる片手間に仕事していたのね。また器用なことを……」
「えっへん」
呆れる真奈に、ドヤ顔をする美優。
「事が済んだらデータは全部削除するさ。それに期限は一週間もないんだ、情報収集も悠長にやってられん」
時間がないとはいえ、ロクな情報もないままVRゲームの世界へ調査に赴けば、自分たちまで未帰還者になってしまう可能性もあるのだ。ミイラ取りがミイラになるのは御免である。
「二日かけて念入りに調べた結果、やはりFOLに未帰還者の原因があることは確実ですね」
「ただ、ゲーム内で相当な実力者として認知されないと例のNPCが現れない可能性が高いな」
「普通、高レベルプレイヤーになるには長い時間を掛けて根気よく地道にレベリングするしかないわ。残り四日もないのに間に合うの? 下手したらそのNPCと遭遇する前に期日を迎えてしまうわよ」
「FOLに関しては、その心配はないかと」
「どうして?」
「それは――」
「……? 美優ちゃん?」
突然、美優の台詞が途切れた。まるで電源が切れたロボットのように動かなくなったが、彼女に限って言えばシャレにならない例えである。
「……美優? おい、どうしたっ?」
クロガネが若干慌てた様子で肩をゆすると、
「……ぁ……、クロガネさん?」
再起動を果たした美優に、クロガネと真奈は揃って安堵の息をつく。
「急にどうしたの?」
「ごめんなさい、リンクしていた〈ナナ〉に少しトラブルがあったもので」
「〈日乃本ナナ〉に?」
今や、人間が生活する上で欠かすことの出来ない高性能自律管理型AI〈サイバーマーメイド〉。
現在、世界に七基しか存在せず、日本が有する七番目の〈サイバーマーメイド〉は〈日乃本ナナ〉と呼称されている。そして美優にはその〈ナナ〉と相互リンク出来る機能が備わっているのだ。
「何があったの?」
「実は〈ナナ〉が公式稼働した三ヶ月ほど前から、日本、アメリカ、中国、ロシア、イギリス、フランス、ドイツの〈サイバーマーメイド〉保有国をはじめ、その他の国と地域からのサーバーを経由して同時多発的なサイバー攻撃を受けています」
それは『少し』で済ませられるトラブルではない。
クロガネと真奈は絶句し、PIDで国内のニュースを確認する。
報道管制が敷かれているのだろう、サイバーテロに関する緊急速報の類は一つもなかった。政府が真面目に仕事をしていることを祈るばかりである。
今の人間は〈日乃本ナナ〉に限らず、多かれ少なかれ〈サイバーマーメイド〉によるAI管理社会に依存して生きている。そこにサイバーテロが発生したとなれば、死活問題どころの話ではない。明らかに他国からの侵略行為であり、軍事侵攻と同義なのだ。
「……いや待て、国内からも攻撃されているのか?」
「はい、そうです」
昔から日本は『スパイ天国』と揶揄されている。「国際友好と交流のために門戸を開けている」と言えば聞こえは良いが、税関の取り締まりが緩く、他国からの来訪が容易であるため、外国人の不法滞在や不法就労、果ては土地や水源の買い占め、国政の介入など社会問題になっている。
今回の国内からのサイバー攻撃も、日本を拠点としている反日勢力によるものだろう。〈日乃本ナナ〉が開発されるずっと以前から、経済や国防などあらゆる分野で日本を目の敵にしている連中は国内外に無数に存在しているのだ。
「大丈夫なの?」
「今のところ、〈ナナ〉には何も影響ありません。全攻撃を確実にブロックしています」
「いや、美優の方は大丈夫なのか?」
「問題ありません。先程の処理落ちは、同時多発的なサイバー攻撃を防ぐために〈ナナ〉が演算機能をフル稼働した結果です。リンク機能を一段階下げたら落ち着きましたので、もう大丈夫です」
安藤美優と〈日乃本ナナ〉は鋼和市に本社を置く獅子堂重工で造られた。美優は開発者である
「大丈夫なら良いが、また異常を感じたらすぐに知らせるように」
「解りました」
クロガネの指示に、美優は素直に従う。
「とりあえず〈ナナ〉やサイバー攻撃に関しては専門の方々に任せるとして、ええと……何の話をしてたっけ?」
「確か、FOLのレベリングがそんなに掛からずに済むような話だったな」
「ああ、それそれ。どういうことなの?」
美優はクロガネのPIDに視線を送ると、ホロディスプレイが別の画像を展開する。
FOL――『ファンタジー・オブ・リバティ』の公式サイトだ。
「FOLはVRMMORPGです。その内容はプレイヤーの五感を通したリアルな戦闘システムと世界観を売りにしているため、現実世界でのユーザーの運動神経やセンスが高ければ高いほど活躍する機会が多くなるんです」
「つまり、リアルでスポーツや格闘技を嗜んでいるユーザーほどゲーム内での戦闘も強く、レベルも上がりやすいと?」
真奈の解釈に美優は「その通りです」と頷く。
「完全に実力主義なゲームだな。運動音痴な素人とかは楽しめない仕様なんじゃないのか?」
「現実でのスキルが活きるのは、何も最前線で闘う前衛クラスだけではありません。それがFOL最大の特徴です」
クロガネの意見に、美優は遠隔操作で公式サイトの『クラス一覧』のページを表示する。
「現実で医学や薬学に詳しいスキルがあれば『錬金術師』クラスが活躍しますし、動物が好きな人には『調教師』というモンスターを手懐けて育成して闘わせるクラスもあります」
「単に腕っぷしが強い人だけが楽しめるゲームではなく、それぞれの得意分野を活かせるゲームでもあるのね」
『楽しみ方は無限大! 君だけの冒険を探索しよう!』というキャッチコピーが目を引く。
「なるほど」
FOLが人気である理由は、現実に則した平等な世界だからかとクロガネは納得する。
現実では活躍できないスキル持ちでも、ゲームの世界ならば誰もが英雄になれるし、誰からも頼りにされる。FOLにアイデンティティーを追い求め、あるいは確立させたユーザーも少なくないだろう。未帰還者が続出しているFOLを凍結できないのも、課金による運営側の財政事情だけでなく、恐らくはこうしたユーザー側の声があるのかもしれない。
「それでFOL内で調査するにあたり、当然ですがキャラメイクをしなければなりません。VRなので自分の好きなように容姿や体型、果ては性別を設定できます」
「その設定で、体力や腕力とかのステータスに変化や違いとかあるの?」と真奈。
「いえ、プレイヤーのステータスは基本的に一律です。武器や防具、服などの装備品で変動する仕様のようです」
「なるほど、最初の出発点は皆平等なんだな」
のし上がって成功するか、失敗して挫折するかは自身の努力次第。本当に現実のルールに則ったゲームだ。ある意味、小説などでよくある『転生者』が第二の人生に挑むような設定に近い。
「基本ステータスは一律ですが、選んだクラスによってレベルアップ時に得られるスキルが異なります。そのクラス専用といえばそれまでですが、先々のことを考えてクラスを選ぶようにしてみると良いかもしれません」
「途中で転職とかは出来ないの?」
「可能ですが、またレベル1からのスタートになります。変更前のレベルやスキルは引き継げません」
「それはそれでしんどいな。転職したての未経験者までリアルに再現とか」
「まぁ、余程のことがない限り最初に選んだクラスは手放さないでしょ。愛着もあるだろうし……っと、そろそろ時間ね」
時計を見た真奈が席を立つ。出勤時間が迫っているらしい。
「ごめんなさい、そろそろ行くわ」
「解った、気を付けてな」
「予定通り、二人はこのままここでFOLするんでしょ?」
「ああ」
「そっちも気を付けてね。くれぐれも未帰還者にならないように」
「私が居るから大丈夫です」
「頼もしいわね」
美優が頼もしく胸を叩く。確かにハッキング能力に長けた彼女がいれば、今までの犠牲者が出来なかった強制ログアウトも可能にしてくれるだろう。
手早く準備を済ませた真奈を、クロガネと美優は玄関まで見送る。
「帰る頃までに、夕飯と風呂の用意は済ませておく」
「頼もしいわねっ」
クロガネの主夫力が際立って見えるのは、真奈の生活力が壊滅的だからだろう。
「それじゃ、いってきます」
「「いってらっしゃい」」
手を振る二人に見送られて、真奈は職場へと向かった。
徒歩五分で鋼和市中央駅から東西線に乗り、真奈は勤め先である西区の大学病院を目指す。
(今日の夕飯は何かしら?)
自然と口元が綻ぶ。
ふと、ここまで楽しく充実した日々を送れるようになったのは、いつからだろうと考え、すぐに思い当たる。
三ヶ月前、美優がクロガネ探偵事務所に転がり込んだ時からだ。
当時はただの依頼人だと思っていたが、彼女の素性を知った時は心底驚いたし、クロガネを(色々な意味で)奪ってしまうのではないかと危惧したものだ。
だがすぐに彼女と打ち解けて仲良くなり、彼女を通じてクロガネともより親密になっている気がする。依然から感じていた距離感が少し縮まったように思えるのだ。
現に、仕事とはいえ定期的な家事手伝い以外に、クロガネの方から訪ねて来るなど今までなかった。美優を助手として迎え入れたことで何か変化が生じたのかもしれない。いずれにせよ、今この時がとても楽しく、素直に嬉しい。
……唯一不満があるとすれば、美優がクロガネを独占していることだろう。
(いっそのこと、三人一緒に暮らそうかしら?)
それは疑似家族に近いルームシェアだ。
だが、危険なトラブルに遭遇することが多いクロガネは、真奈の安全を考えて拒否するだろう。
美優は興味を示すかもしれないが、最終的にクロガネの判断に従う筈だ。
(うーん、やっぱ無理かなー)
今の関係を維持しつつ、この幸福をよりランクアップさせるにはどうすれば良いのか――贅沢な悩みを抱える真奈であった。
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