第3話 神隠し その四

 *


「見た? 龍郎さん。清美がカエルの化け物を餌づけしてる」

「してるね」


 墓石に身を隠してながめていた龍郎と青蘭は、メルヘンなのかオカルトなのかよくわからないそのようすにとまどった。


 そいつが例の蝦蟇仙人だろうということは、ひとめでわかった。まんま蝦蟇だ。しかし、清美はまるで十年来の友人であるかのようにふるまっている。


 困惑しながら、とりあえず問いただしてみようとしたとき、急に蝦蟇仙人は龍郎たちの気配に気づいたようすで、池にとびこんだ。波紋が水面に広がって、それっきり姿が見えなくなる。


「あっ、龍郎さん。青蘭さん」

「清美さん。さっき、ここに蝦蟇仙人がいたよね?」

「ガマちゃんですね」

「ガマちゃん……」


 龍郎は常識を求めて、青蘭をながめた。が、もとより青蘭にも常識はない。


「ガマはよくないよ。アマガエルはいいよ? 可愛いから。アマガエルのぬいぐるみはたくさん売れてるけど、ガマガエルのぬいぐるみなんて売ってないだろ? 可愛くないからだよ!」


 龍郎は常識人が自分だけであることを痛感して、二人のあいだに入った。


「ちょっと待って、青蘭。このさい、可愛いか可愛くないかは重要じゃないんだ。蝦蟇仙人は妖怪だよ。村の神隠しに関係してるのかしてないのかが重要だ」


「もちろんだよ。でも、やっぱり、ガマガエルはないね。僕はアマガエルのツルっとして緑色で小さいとこが好きなんだ」


 まだ言いはっている。

 龍郎はため息をつきながら、清美にむかってたずねた。


「清美さん。蝦蟇仙人はなんて言ってた?」

「人間なんかに興味はない。さらってないって言ってましたよ。ガマちゃんは悪いカエルじゃありません。人間をさらってるのは別のものです」

「…………」


 まあ、ここは清美の言いぶんを信用するしかあるまい。

 蝦蟇仙人が実在していることはわかった。昔の人はそういうものの存在を信じていたから、けっこう誰にでも見えたのかもしれない。河童のようなものだとすれば、完全な善ではないにしろ、完全な悪でもないはず。


「じゃあ、今のところは信用しておきます。清美さん」

「はい」

「だからと言って、相手は妖怪ですからね。もう近づいちゃいけませんよ?」


 清美はしょうがなさそうに、うなずく。


「はいです。了解しました」

「それなら、いいけど」


 ほんとにわかっているのだろうか?

 清美のことだから、隠れてコッソリ会いに行ったりしないだろうか?


 心配ではあったが、とにかく、本堂へ帰っていった。


「それにしても、蝦蟇仙人って、悪魔なのかな? 怨霊って悪魔化するじゃないか。妖怪もそんなようなものかな?」


 墓のあいだを歩きながら、龍郎は聞いてみた。青蘭はあっさり、うなずいた。


「まあ、これまで妖怪と噂されているものと会うと、たいていは下級の悪魔でした。ただ、全部が全部、人間に害をなすってわけでもないんですよ。貪食や淫蕩や怒りの悪魔は、その性質上、どうしても人間を食ったり殺したりするけど、怠惰の悪魔なんかは、単に、なまけてるだけだから。自惚れなんかも、相手を怒らせずに褒め続けていれば、人間の役に立ってくれたりする。さっきのガマもそんなものじゃないかと思う」

「なるほど」


 そう言えば、龍郎もまだ怠惰や自惚れの悪魔とは戦ったことがない。なまけ者の悪魔なら、そのへんでゴロゴロしてるだけで、とくに何もしてこないのだろうとふんだ。むしろ、なまけ者で困るのは人間のほうだ。働かないと生活していけない。


 本堂に帰ると、穂村はまだ住職と歓談していた。楽しくてしかたないようだ。そのあいだに、彼らの話題にのぼっている蝦蟇仙人を見てきたと言ったら、きっと羨ましがるだろう。


「お話し中のところ、すみません。ところで、人喰い熊についても教えていただきたいんですが」


 住職は楽しい話の腰を折られて無念げだ。しかし、まだ話せると気をとりなおしたようすで、あらためて口をひらいた。


「人喰い熊の話は、蝦蟇仙人にくらべたら最近ですね。もっとも古くて明治の終わりごろ。今から百二十年くらい前のことです」


「そうなんですか。最初にその熊の話が噂になるようになったのは、なぜですか?」


 龍郎がまた座布団の上にあぐらをかくと、青蘭がマネをする。


「噂どころじゃありません。蝦蟇仙人や六郎伝説は、まあ伝承ですよ。ほんとにあったことだかどうかわからない。だが、人喰い熊はじっさいに起きた事件だ。明治三十八年。西暦にして千九百五年です。村外れの一家が熊に惨殺された。一家は全滅。死体は食い荒らされ、面貌も見わけがつかなかったそうです」


 とたんに生々しくなった。


「それは記録に残っているんですか?」

「そうです。当時のこの寺の住職が日記に記しています。殺されたのは村外れにある炭焼きの一家でね。箱辺はこべという姓でした。一家の構成は八十になる祖母、母、長男と娘が二人。父にあたる鹿蔵しかぞうはふもとの町へ出稼ぎに出ていて、そのときは留守でした。春になって戻ってきて、家族の死体を見つけたのは鹿蔵です。でも、その夜に、また熊に襲われて、鹿蔵も亡くなりました」

「なるほど」


 龍郎は箱辺一家のかつての住まいのあった場所を聞いてみた。


「村の六地蔵がある入口より、もう少し東に行った山のなかです。今はどうなっていることやら。まだ獣道でも残っていればいいが」

「たしかに、さっき、熊を見たのは、そのあたりだったな」


 人肉の味をしめた熊が、今も近くを徘徊しているのだろうか?

 しかし、それにしても箱辺一家が殺害されてから百二十年近くが経過している。熊の寿命はとっくにすぎている。


「ちなみに、その後の熊の犠牲者はどういった人たちですか?」

「女子どもですね。襲いやすいし、肉が柔らかい」

「どのくらいの数ですか?」

「正確にはわかりませんが、少なくとも二十人。神隠しと言われて行方不明になった人たちも熊にやられてるとすれば、五十人はくだりません」


 この狭い村で五十人。

 百二十年のあいだにとはいえ、多すぎる。


「若い女の人がいなくなる原因は熊の線が濃厚かな」

「うん。そんな感じがする」

「箱辺一家の住居があったあたりまで行ってみようか」

「うん」


 穂村と清美とわかれ、龍郎と青蘭は寺をあとにした。

 熊と遭遇すると困るので、どこかで犬を借りようと、龍郎は考えた。高屋敷家のとなりの家に雑種の中型犬がいた。名前をアレクサンダーという。わけを話すと貸してもらえた。

 高屋敷家からは熊よけの笛も借りた。


「よし。今、二時半か。日が暮れる前に帰ってこよう」

「うん」


 まさか熊退治にはなるまいと、龍郎はこのとき、たかをくくっていたかもしれない。




 了

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