79.月華の中で
窓から差し込む月華が眩い。暖炉で薪がパチりと爆ぜる。
久し振りに会ったのに、既にそんな雰囲気はなくなっている。わたしは随分と、この人の空気感に馴染んでいたらしい。もしかしたら、彼がわたしに、かもしれないけれど。
そんな穏やかな雰囲気の中で、わたしは口を開いた。
「アルトさん、わたし……あなた達から逃げました」
頭を撫でているアルトさんの手が一瞬止まる。しかしすぐにその動きは再開された。まるで先を促すかのように。
「傷付けたくないと思っていたのに、本当は自分が傷付きたくなかっただけ。……あなた達は、初めて出来たわたしの友人で、大切な人達だから。だから、わたしを嫌いになって欲しくなかったんです」
アルトさんは何も言わない。ただ優しくわたしの頭を撫でるばかり。
「あなた達に邪険にされるのが怖かった。マティエルがこの先また襲ってきて、勇者にもまた干渉されて……そんな事を繰り返したら、あなた達はわたしを忌み嫌うんじゃないかって、そう思ったんです。ただでさえ厄介事を何度も持ち込んでいますしね」
勇者から逃げるのに、何度も手を貸してもらっている。
アルトさんがいなければ最初の邂逅で捕らわれていたし、その後だって危なかった。夢の時も影の時も、あの遺跡でも。
「……ごめんなさい。わたしの不安をちゃんと伝えればよかったんですよね。でも、怖がりのわたしには難しくて、きっとあなた達を失望させた。怒っているだろうと思って、戻ることも出来なかったんです」
「……お前は本当に馬鹿なんだな」
悪態の割に声は優しい。
アルトさんの手は頭から滑り落ちて、顎下で揺れるわたしの髪先に触れている。
「お前は俺に嫌気が差して、神殿を離れたんだと思っていたが」
「はい?」
何を言っているんだろう、この人は。
「お前を守りきれなかった」
「いやいや、守ってくれたじゃないですか。アルトさんがいなかったら、わたしは殺されてましたよ」
そう、それは間違いない。殺される前に目も刳り貫かれていただろうな。
「髪を切らせてしまった」
「……似合うでしょ? そろそろ切ろうかなと思ってたし、いいんですよ。レオナさんは髪を整えるのも上手でしたねぇ」
「ああ、似合う。だが……」
「似合っているからいいんです。アルトさんがくれた髪飾りは着けられなくなっちゃいましたけど、まぁ髪が伸びた時にまた着けますね」
「いまの髪でもつけられるような物を作ってやる」
「ふふ、約束ですよ」
そうか、アルトさんはわたしの髪を気にしていたのか。……わたしはやっぱり馬鹿なんだと思う。彼の気持ちも考えずに、ただただ自分が楽になりたい一心で逃げ出したのだから。結局、心が楽になる事なんて無かったけれど。
「神殿に戻ってもいいですか? レオナさん達にも謝りたいです」
「もちろんだ。言ったろう? 俺はお前を迎えに来たんだ」
胸の奥で、何かが灯るような温かい感覚。
その温もりは心地よいのに、時折ぎゅっと胸を締め付ける。
「……ありがとうございます。ねぇアルトさん、わたしの両親が犯した禁忌の話を聞いてくれますか?」
「ああ」
今ならきっと話せる。
あの辛い記憶も、痛みも、マティエルがわたしを殺そうとする理由も全部。
目を閉じると、今でもあの時の光景が蘇る。
既に消えたはずの傷の痛みさえ、体に走る程、鮮明に。
「わたしは一度死にました」
「……死んだ?」
「そう、マティエルに殺されたんです」
胸に埋め込まれた宝石が痛む気がする。
目を開けると、顔を覗きこむアルトさんと目が合った。その瞳は心配そうに翳っている。そんな瞳はさせたくないな。いつもみたいに、綺麗な黄赤を見せて欲しい。
そう思って笑ったのに、彼の表情は晴れてくれなかった。
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