第16話 崇徳院之章③
「やっと来たか。坊主どもを駆逐しここまで辿り着いた労に免じて拝謁を許す。近こう寄れ」
静かだが確かに怒気を孕んだその声に僕の足が止まる。背丈はおそらく二メートルを超えるだろう、座ったままでもその異様な体格が伝わってくる。そして御伽噺に出てくる閻魔大王のようなその顔は、やはり僕の夢に出てきた怒れる男、その人であった。
「こっちへ来いと言っている! 余は気が短い!」
男の声に僕は再び振るえる足を進める。いかにも平静を装って。
「
「ふん、いかにも余が崇徳よ。しかしこのような小さき領域の首魁などと思ってもらっては困る。余は日ノ本の王よ!」
覇気の籠った声が部屋中に響く。崇徳天皇、かつて保元の乱によってその座を追われたそれは日ノ本の王。
「貫之といったな、貴様は余と共にあれ。そうすれば坊主どもに与えたこの新宿を貴様にくれてやろう。余は余を蔑ろにした
ふははは、と崇徳院が高笑う。
「僕は貴方の部下にはなれません。ですがここには天智天皇を助ける目的でやってきましたので居場所を教えてくれれば大人しく帰ります。今のところ貴方と戦う理由はありませんから」
天智天皇を救出して東京の霧を晴らす、これが今の第一目的だ。邪魔さえしてこなければ今日のところは引き下がってもいい。
しかし崇徳院は僕の妥協案に激しく怒りを露わにした。
「驕ったか! 自身は何の力も持たぬ小童が! もうよい、余に逆らう虫けらは一人残らず浮世の塵としてくれよう!」
「蝉丸さん! 不比等が来るまで持ちこたえて!」
これでもかと憤怒の表情を浮かべる崇徳院に僕はさっと間合いをとる。おっしゃる通り僕は何の力も持ってないからね。戦いは蝉丸さんに任せた!
「仕方ないマスターじゃの。ほれ歌術『
僧正遍照を追い詰めた蝉丸さんの歌術、何も無い空間から突如現れた鉄塊が崇徳院に降り注ぐ。
「効かぬわ、こんなもの! 歌術『
襲い掛かる鉄塊を蠅でも払うかのように容易く払い除け、崇徳院が歌術を発動させる。空間が歪み一瞬のうちに
「うわ、この!」
崇徳院にばかり気をとられていた僕はあっという間に亡者に圧し掛かられて地面に伏した。これはまずい、
「貫之さん、危ない! 『
間一髪、マチコの声に僕に襲い掛かった亡者が木乃伊のように萎びていく。マチコの発したそれはやはり歌術、そしてこの歌は、この歌は小野小町……
「マチコ……花の色はうつりにけりないたづらに、わが身世にふるながめせしまに。君は詠人、小野小町なのか?」
僕の声にマチコの表情がふっと変わる。にやりと微笑むその顔に少女の面影は既になく、そこに立つのは唯々妖艶な女。
「はい、私は
小野小町、絶世の美女にして
と、そこへ階下から不比等がやって来た。
「貫之、待たせたな。お? マチコ……ふん、なるほどな、そういう事か。爺さん、貫之を護れ、マチコは俺の援護だ」
事情を察したように不比等が皆に指示を出す。
「遅いぞ不比等、年寄りにばかり苦労をかけおって」
蝉丸さんが僕の傍らまで戻る。これでまた亡者に襲われても安心だ。後は不比等がやってくれるかどうか。
「誰が来たとて同じ! 千年を超える恨み、簡単に晴らせると思うな! 歌術『
手刀のように腕を振るった崇徳院のその手先から鋭く尖った真空波が放たれる。それを紙一重で不比等が躱す。思えば不比等が攻撃を躱すところを見るのはこれが初めてだ。それだけ厄介な攻撃という事か。
「ひゅう、後ろの壁が真っ二つ、危ないねぇ」
「不比等さん、合わせて! 歌術『
マチコが華麗に舞う。すると大量の桜吹雪が崇徳院を包んだ。
「いくぜ! 歌術『
前大僧正慈円を一撃のもとに屠った強烈な右フックが崇徳院を捉える。只のパンチとは思えない打撃音に僕は確かな手応えを感じたのだが……
「ふんぬ、効かぬ! よもやそのような攻撃で余を傷付けようなどと、片腹痛いわ! 歌術『
崇徳院の歌術が大波となり舞い散る花びらを洗い流した。そしてなんという打撃耐性だろう、ダメージを負った様子は微塵も無い。
「確かに硬い。だがこれならどうだ。歌術『
「ぐがああぁ! こ、これは讃岐の、がああぁあ……讃岐の屈辱! 止めろ!!」
これまでの余裕が嘘のように頭を抱えてのた打ち回る崇徳院。その口からは真っ赤な血が溢れている。まさか
「効いています! 歌術『
崇徳院の口から絶叫が繰り返し零れる。それは何度も、何度も。マチコの、いや小野小町の歌術は時間を自由に操れるというわけか。無限に続く苦しみ、明けない朝、このコンボ恐ろしい。
「ががあぁあ! ぐぎぃ、おのれ、小娘、がはっ、ゆ、許さぬぞ……」
千年の怨みつらみ、その思い、負の感情が精神の痛みとなって崇徳院にのしかかっているのだろう。彼の思いがどれ程のものだったかというのがその苦しむ様から窺える。しかし苦悶の表情で尚、崇徳院は立ち上がった。不比等が構える。
「
不比等が思いを込めて放った、この戦いに終わりを告げる最後の爆炎が崇徳院を包む。火柱が天井を突き抜け空へと昇る、それはまるで一匹の龍の如く揺らめき続けた。
やがて炎の中から声が響いた。表情は見えないがその視線が僕に向けられていることはわかる。それは日ノ本の王、日本史上最も畏れられた大怨霊の最後の叫びで。
「貫之! 貴様は何処に向かう……後鳥羽院を倒したのも貴様であろう。
崇徳院の言うことは解る。解り過ぎる。僕達は皆確かに自由を欲する。しかしそれは籠の中の自由、一定の秩序の元での優しい自由。きっと本当の自由とは酷く不条理なもので、だからこそそこには心地良さがある。
彼が一緒に来いと言った時、僕の心は僅かに震えた。僕の心の奥底にそれは確かに存在する混沌への憧れ、破壊への衝動。そして真の自由への渇望。
「ああ怨めしい、だがこれでは終わらぬ。余の情念は人の子のそれ、この世に人が在る限り余の魂は何度でも蘇り、厄災をもたらし続けようぞ。余は日ノ本の王、
最後まで怒気を孕んだその声を残し、炎に包まれたその身体から光が溢れる。敗れて尚、我を貫き通す力、それが自由。潔いまでのそれは
「崇徳院さん……瀬をはやみ……」
瀬をはやみ岩にせかるる滝川の、われても末にあはむとぞ思い。その憤怒の表情とは裏腹に彼の詠む歌のなんと美しいことか。不比等は崇徳院の事を嫌いじゃないと言った。再び彼とまみえた時、僕は彼の傍らを選ぶかもしれない。それほどまでに魅惑的なそれは
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