学祭

大学二年次、学内に友人のいなかったぼくはどうしてか、かなり自虐的な思想を持っていた。そのうち一つが恥をかくということだった。それもある程度自信のある分野で恥をかき、尊厳を主体的に損なう行為に興じていた。


ぼくのいた大学では例年、学祭にてカラオケ選手権なる企画があった。ぼくはこれにエントリーした。

歌うことが好きだった。ぼくはストレスを抱えたとき、決まって珈琲を過量摂取し、肉体の限界まで歌を歌い、眠った。それらがぼくの救いだった。

歌、特に、ミスターチルドレンが好きだった。好きだった、というには不十分なほど、狂ったようにミスターチルドレンしか聴かないという生活が、精神異常を来して以後、二年余り続いていた。


ほかの出演者は、老若男女問わず、誰もが一度は耳にしたであろう有名曲で臨もうとしていた。審査員はその場にいた観客と、常勤教授だったから、つまり音楽に精通する人間は見込めず、有名曲を選択するのはある種のセオリーに違いなかった。

ミスターチルドレンにもそう言った曲は多数あった。ぼくはそれを分かっていて、態々、コアファンでなければ知り得ないであろう曲を記し、用紙を提出した。


当日、二百人程度のオーディエンスの前で、ぶっつけ本番のカラオケ選手権が始まった。ぼく以外の出演者連中は皆常連だったらしく、ステージ裏で仲睦まじそうに話していた。

ぼくの出番は二番目だった。ぼくの前に歌った女性は、勿論知らない女性であった。絢香の三日月を歌い、それは実に似ていた。声量もあった。会場が沸き立った。次はぼくの出番であった。


「続いての曲は、潜水です」

不親切な司会者が、歌手名を伏せて発表し、ぼくを招き入れた。会場中の人間が一様に、巨大なクエッションマークを浮かべているのが視覚的に感じとれた。それは一心に、ぼくに向かって投げかけられていた。

潜水とは誰の歌で、何故、この出場者はそんな、一聴に理解できないものを選曲したのか。かなり挑戦的であるから、相当に歌が巧いか、なんらかの思惑があるに違いない。


ぼくは潜水を歌った。一番のサビに差し掛かるより前に、既に観客の熱気の冷め切っているのが分かった。

果たして、ビニール傘に打ちつける小雨のような、同調主義的な、上っ面だけの拍手が鳴った。

ステージ裏に戻ると、他の出演者たちがニタニタと薄笑いを浮かべてぼくを一瞥した。「こいつには勝った」「ライバルが一人減った」そういう文字列が、醜悪な頬の皺から覗いていた。


けれど一瞥するのみのほうがよほど良心的だった。出演者のうち、名も知らぬ上級生デュエットがぼくに近づいてきた。

「お疲れさん!好かったよ!きみ、普段バンプとか聴いてるでしょ」

ぼくは彼らと話すことにも、将又無視することにも、なんの悦びも感じ得ないことが分かっていたので、ただ「はい」と答えた。

「やっぱりな!バンプだったら絶対、もっと巧いよね!いや、ミスチルもすごく好かったけど」と男たちは言った。


案の定、ぼくは最下位を記録した。以後何年かは、歌を歌うことは救いの手段から除外された。これで好かった、目論見通りだったと、ぼくは嬉しかった。


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