供出セヨ
二〇二二年に起きたロシアのウクライナ侵攻から五年。後に続けと中国が台湾に攻め込んで征服しました。
エネルギー危機に端を発した金融危機から欧米諸国は共産圏の拡大に対応できず、ロシアはバルト三国に傀儡政権を樹立しNATOから脱退させて制圧、ポーランドとフィンランドにも手を伸ばした挙げ句「経済制裁は宣戦布告と見なす」というロジックで専守防衛だとして日本にも侵攻したのです。
同盟を組んでいたはずのアメリカは経済危機を理由に派兵を断念し、日本は自衛隊による防衛作戦を展開したのですが、裏で手を組んでいた中国の沖縄侵攻も同時に発生し、二正面からの攻撃に右往左往した結果、ロシアに北海道、中国には沖縄と九州が奪われました。
欧米諸国は「次は自分たちの番」だと恐れて日本侵攻へ声を上げる国もなく、アメリカは同盟関係の事実上の破棄まで行って内政を優先させてしまいました。
日本は本州の防衛を自分たちの力で守らなくてはなったのです。
幼心に怖かったです。時の首相が「この歴史ある日本を他人に蹂躙させてはならない!」と叫んでいるのが。
その頃からだと聞いています。
「供出セヨ」の手紙が来るようになったのは。
北海道と沖縄、九州を失った日本が最初に直面したのは、防衛力の増強でした。自衛隊員はもちろんのこと、その装備品や武器も不足し、人手をかき集めて工場をフル稼働させて何とか補ったものの──海を半分以上封鎖されてしまい、金属やエネルギーが不足し始めてしまいました。
そこで政府は自治体を通じて、家庭や企業にある余剰品を任意で供出させ、それを再利用して軍備に充てました。
毎月全国民が同じ日に受け取る「供出要請書」の手紙。その一文で誤変換があって「供出セヨ」となっていたのが代名詞になりました。
鍋やフライパン等は溶かして金属に。冷蔵庫や洗濯機はバラして中の半導体を抜き、戦闘機や戦艦、戦車の部品にしたのです。
任意というのは建前で、供出した量に応じて受け取れる配給品の質や量に影響することから、ほぼ全家庭が暗黙の了解で物品を差し出していました。
私が十六歳になったその日にも「供出セヨ」の手紙が来たのです。
品目リストにはいつも通り、キッチン用品と家電製品が並んでいました。
先月は父が腕時計を供出したのですが、受け取った市役所の人は「これだと配給品ランクは据え置きですね」と言い捨てていったのが辛かったです。
その腕時計は私が父の誕生日にあげたプレゼントだったのに。
貧困層の我が家にはもう最低限のものしかなくて、前の日に父が泣きながら私に謝ってまで供出したものなのに。
それからも毎月「供出セヨ」の手紙は届きました。
個人情報だし任意なのに、その日の翌日には誰が何をどれぐらい供出して「お国のために尽くしたか」が町内に知れ渡っていました。
私が十七歳になるころにはもう、我が家には供出できるものが残っていませんでした。生活必需品は差し出せません。
周りでは降伏論や脱出の計画が囁かれていました。
でも政府は「最後の一人になっても戦う」と言って、逃げようとする人は片っ端から逮捕されて前線へ送られていきました。
子供の目にも分かるぐらい戦況は悪化しています。
それでも「供出セヨ」は届きました。
炊飯器を供出して鍋でご飯を炊き、入れる物の少なくなった冷蔵庫も供出、洗濯機はグレードを下げた物に交換。
自転車を供出して徒歩で全てをこなし、ボールペンすら鉛筆になっていました。
それでもロシアと中国の侵攻は止みません。四国と青森が落ち、その防衛戦ではたくさんの自衛隊員が亡くなったそうです。
そしてついに──供出できる物のなくなった我が家は、市役所の人から告げられました。
「自衛隊員になれば供出は半年間停止できますけど、どうしますか?」
私が行くと言ったのですが、父も母も許してくれませんでした。
翌日、父は帰ってきませんでした。自衛隊に入隊したのです。
向かったのは仙台でした。防衛ラインの最前線で敵の侵攻を食い止める任務に着いたそうです。
でも、父は帰ってきませんでした。
半導体抽出のためニュースは市役所にあるラジオでしか聞くことができず、そこで知ったのは父のいる部隊が全滅したということだけでした。
そうして半年が過ぎて、また「供出セヨ」の手紙がやってきました。
それでもしばらくは父の遺品を渡すことで凌いでいたのですが、ついに限界が来てしまいました。
その時、市役所の人が言いました。
「工場で武器を作る人手が足りていません。応じてくれたらその間は供出停止ができますが、どうしますか?」
今度こそ私が行くと言ったのですが、母は許してくれませんでした。
そうして母は工場で働き始めました。家に帰ってこられるのは一週間に一日だけ。それ以外は広い部屋で雑魚寝をして過ごしていたそうです。
そうして二ヶ月が経ったある日。
空襲がありました。予てより学校で訓練していたのですぐに大きな建物へ避難しました。
爆弾投下も止み、もう大丈夫だと言われて外へ出た私が見たのは、荒れ果てた町でした。
あちこちの家が焼けて崩れていて、昨日まで当たり前にあったあの光景はどこにもありませんでした。
工場にも被害が出たと聞いた私は母を探しました。でも工場自体が全壊していて、ほとんどが焼けてしまい、人の姿すら見つけることはできませんでした。
きっと逃げてくれたはず。そう思っていた私に告げられたのは、同僚だったという人から「お母さんは逃げ遅れて亡くなった」という事実でした。
泣きました。ひとりぼっちになってしまったのです。
それでも──と希望を胸に抱いて我が家に戻りましたが、十七年間過ごしたあの大切な家は焼け落ちて半壊していました。
せめて父と母の遺品だけでもと探しましたが、ほとんどの物が奪われていました。
父が自衛隊に入隊し、母が工場で働き、そうして命を失ってまで大事に守ろうとしていた家すらも失ってしまいました。
それからしばらくは学校で寝泊まりすることになりました。両親を失い家すらもなくした私には「供出セヨ」の手紙は来ませんでした。
そうして十八歳になった私は高校を卒業しました。
大人の仲間入りです。
卒業式で校長先生から受け取ったのは卒業証書と──「供出セヨ」の手紙でした。
何かを渡せば一ヶ月間は凌げます。
でも私には何も残っていませんでした。周りの同級生たちも似たり寄ったりです。
市役所の人は言いました。
「若い男性は自衛隊入隊で半年間免除になります。女性は前線の兵士たちを慰問する応援団に入れば、同じように半年間免除です。どうしますか?」
選択の余地はありませんでした。私は応援団に入りました。
そうして向かったのは大阪の最前線です。
その頃には四国が制圧され、広島より西も陥落していたのです。
でも、大阪には行くことができませんでした。
前の日に中国軍に占拠されたためです。第二候補地だった仙台もダメでした。ロシアの攻勢が強いそうなのです。
右往左往しているうちに応援団は散り散りになってしまいました。
どうしてこうなったんだろう。
私は自問自答しました。
突き詰め考えて出した結論は、楽になりたいというものでした。
死ぬこともできましたが、それでは自分だけが楽になってしまいます。もっと大勢が、それこそ日本人全員が楽になる方法があることに気がつきました。
私は歩きました。
大阪から奈良県を通り、伊賀の山を越えて、鈴鹿から名古屋の街を抜け、豊田、豊橋、浜松と海沿いをひた歩き、静岡から富士山を眺めながら進んで小田原へ。
横浜から川崎はあっという間でした。
機能していない羽田空港を脇目にお台場を超えて、めざすは霞ヶ関です。
その頃には道中で声をかけて集まってくれた仲間が一万人にまでなっていました。
そうして一気に国会へとなだれ込んだのです。
声高に「国を守る!」と叫んでいたあの首相を、それに追随していただけの大臣たちを捕まえてクーデターを宣言しました。
いつの間にかクーデター軍の長になっていた私は、部下たちに命じて政府関係者の命を人質に警察と自衛隊を抑えました。
そして私は革命政府の樹立を宣言し、中国とロシアに向けてこう告げました。
「我が国の首相を供出するから講和条約を結んでほしい」
でも彼らの返事はノーでした。
私は言いました。
「もう全てを諦めて日本を供出します。私と最初に会談をした国のリーダーにこの日本を明け渡しましょう」
中国が、ロシアがすぐに連絡をしてきました。アメリカも遅れまいと音速ジェット機で飛び立ったそうです。北朝鮮や韓国はもう東京に着いたと言っていました。
私は部下たちに作戦を告げてかくれんぼをしました。
東京の中で、いい年をしたリーダーたちを相手にしてのかくれんぼです。見つかったら日本を供出。
噂を適度に撒きながら二十四時間逃げ続けました。
最後に飛び込んだのは国会でした。
あの大統領が、あの書記長が、あの首相がやってきました。
そうして主要国のリーダーが集まってきたところで──部下に爆弾を落としてもらったのです。
あの大統領は粉々に吹っ飛び、あの書記長は全身が燃え、あの首相は体を変な形にさせて死んでいきました。
もちろん私も死にました。
私は自分の命を供出することと引き換えに、各国のリーダーにも供出させることに成功したのです。
命に重さはない。みんな一緒だと学校で習いましたが、そんなのは嘘でした。
リーダーを失った中国とロシアは浮き足立ち、その隙を突いて自衛隊が本州と四国を奪還しました。彼らに土地を供出させたのです。
そうして講和条約が結ばれ、その後に沖縄と北海道がそれぞれの国からの賠償として返還されました。
それもまた供出させたのです。
事実は小説より奇なり。
これが私がその人生をかけて紡いだ物語でした。
後世の人たちにとっては歴史の教科書に出てくる一ページ足らずのできごとだと思いますが、私が一生をかけて「供出」したお話なのです。
どうでしたか?
次はあなたのお話を聞かせてください。
あなたが一生かけて紡いだ物語を、ぜひ供出してください。
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