6話 汗なんて気にしない
夜が明けて日が昇っても、キスの感触は依然として唇に残っている。
枕元のスマホに手を伸ばして時間を確認したところ、まだ午前四時だった。早起きは三文の徳とは言うけれど、連休二日目に活動を始めるにはいささか早い。
チラリと隣を一瞥すれば、安らかに寝息を立てる萌恵ちゃんの超絶かわいいお顔が目に入った。
大きく息を吸い、萌恵ちゃんの体から生成された甘美な香りを体に取り込む。
布団の中でそっと手を握って体温を直接感じ、聴覚を研ぎ澄ませて耳心地のいい寝息を拝聴する。
これぞ同じ布団で寝る者の特権。
私はいま、味覚以外のすべてで萌恵ちゃんを感じている!
……相変わらず、我ながら気持ち悪いな。
ごめんね、萌恵ちゃん。恋人がこんな変態で。
そして、ありがとう。こんな私を受け入れてくれて。
「ちゅっ」
萌恵ちゃんの眠りを妨げないよう、細心の注意を払いつつ頬に軽く口付けする。
「萌恵ちゃん、愛してる」
小さな声で囁いてから、私は二度寝するべく目を閉じた。
「ぅん……まにゃぁ」
寝言で名前を呼ばれ、それに応えるように体を寄せる。
頬とはいえキスなんて大胆なことをしてしまい、胸の高鳴りが抑えられない。
すぐには無理だけど、寝付きはいい方だ。しばらくすれば眠れるだろう。
「んー……」
再び目を覚ましたとき、夢の一場面が頭に焼き付いていた。
睡眠薬で萌恵ちゃんを眠らせて、全身くまなく舐め回すという内容だ。
興味がないと言えば嘘になるけど、睡眠薬を使うなんて卑怯な真似は断じて許せない。
「真菜、おはようっ」
先に起きていた萌恵ちゃんが、元気いっぱいのあいさつと共に私を抱きしめた。
いつものスキンシップなので、特に取り乱したりはしない。
「ん~っ、やっぱり真菜のほっぺた気持ちいい~っ。ふにふにすべすべしてて、ずっとこうしてたい!」
萌恵ちゃんがすごい勢いで頬ずりしてくる。
歩いているときは私の身長が低いせいで萌恵ちゃんの頬を肌で感じられないので、ここぞとばかりに堪能しておく。
絶賛してもらえて嬉しいけど、その褒め言葉は萌恵ちゃんにこそふさわしい。
萌恵ちゃんは私を抱き枕のようにギュッとしたまま、布団の上を右に左に転がる。
強く押し当てられた胸の感触はマシュマロのように柔らかく、極上の癒しをもたらす。気を抜くと再び夢の中に旅立ってしまいそうだ。
「今日も朝からテンション高いね」
「んふふっ、だって連休だもん! 真菜とず~っと一緒にいられるんだから、嬉しくてはしゃいじゃうよ~!」
昼夜を問わず一緒に過ごせるのは普段の土日も同じだけど、やっぱりゴールデンウィークや夏休みといった連休は特別な感じがする。
学校は楽しい。美咲ちゃんや芽衣ちゃん、クラスのみんなと話せるのは学校に行っているからこそだ。
しかし、当然ながら授業中は話せないし、周知の仲とはいえみんなの前で『萌恵ちゃん大好き』とか『萌恵ちゃん愛してる』とか堂々と口にするわけにもいかない。
萌恵ちゃんと二人きりなのは私としてもありがたい。それ以上に、萌恵ちゃんが私と一緒にいられることを喜んでくれているのが、なによりも嬉しい。
布団をベランダに干して、仲よく並んで歯を磨く。
洗顔と着替えを済ませたら、スマホと財布だけ持って散歩に出発。
いつものようにアパートを出て、見慣れた学び舎を正面に見据えながら信号を待つ。
「今日も快晴だね」
「きっとあたしたちのために晴れてくれてるんだよ!」
雲一つない青空。気温はやや高めだけど、涼しい風が吹いているので暑さは感じない。
汗をかいてもいいように動きやすいラフな格好をしているから、家を出たばかりのいまは少し肌寒いぐらいだ。
信号が青になり、しっかり左右確認をしてから歩き出す。
「私は雨もけっこう好きだなぁ」
警報が出るような豪雨は怖いけど、ほどほどであれば好意的に受け入れられる。
目を閉じて雨音に耳を傾ければ、不思議なほどに心が落ち着く。
あと、体育の途中で降ってくれれば、帰ってから汗と雨で蒸れた萌恵ちゃんの靴下を――いやいや、こんな気持ちのいい天気の日になんてことを考えているんだ私は!
「あたしも好きだよ~。真菜がそばにいるっていう条件付きなら、雷とか台風も好き」
まったく、萌恵ちゃんは息をするように私を喜ばせる。
「奇遇だね、私も同じ」
萌恵ちゃんがいれば、どんな恐怖にも打ち勝てるだろう。
逆に萌恵ちゃんがいなかったら、些細なことにすら怯えてしまうかもしれない。
風邪で学校を休んだときも、すごく心細かった。
「ねぇ真菜、たまにはジョギングしない?」
「いいけど、置いて行かないでね」
私たちは田畑がある方へと進路を変え、軽い屈伸運動をしてからジョギングを開始した。
田んぼの周りをぐるっと周り、住宅街の中央辺りにある公園で少し遊び、全身汗だくになってアパートに戻る。
汗臭くなった体で近付くのが申し訳なくて、萌恵ちゃんから二歩ほど後ろを歩く。
私が萌恵ちゃんの汗で興奮するのはもはや生理現象みたいなものだけど、逆もまた然りというわけにはいかない。
「あのさ、真菜。えっと、ちょっと答えづらい質問してもいい?」
靴を脱いで家に上がると、萌恵ちゃんがリビングに入る手前で立ち止まった。
「うん」
いったい、なんだろう。
私は異常な性癖すら暴露したのだから、答えられないことなんてないと思うけど。
「汗かいてるときにハグするのって、さすがにダメ、だよね……?」
「あー……なるほど。それはちょっと、うん、あんまり気乗りしないかな」
萌恵ちゃんだけが汗をかいている状態なら大歓迎だけど、私が汗をかいているときは別だ。
汗臭いなんて思われたくないし、私の汚い汗が萌恵ちゃんに付着するという事件も起こりかねない。
「そ、そうだよね。変なこと言ってごめん! いまのは忘れて!」
「でも、なんで急に?」
「実は昔からなんだけど、スポーツに限らず、体を動かした後って無性に真菜を抱きしめたくなるんだよね。全力を出し尽くして、やった~っていう気持ちを分かち合いたい、って感じかな? でも、あたしってけっこう汗っかきだから、そんな体で抱き付いたら悪いかなって。だけど恋人なら許されるかもって思ったんだけど……本当にごめん!」
気まずそうに視線を泳がせていた萌恵ちゃんが、深く頭を下げて謝った。
私は目の前に歩み寄り、思いっきり叫ぶために大きく息を吸う。
「萌恵ちゃんのバカっ! 勘違いも甚だしいよ! 私は自分が汗臭いから断っただけで、萌恵ちゃんを嫌だなんて思ってない! ほんとにバカ! そんなこと考えてたなら、もっと早く言ってよ! 私だって運動した後に萌恵ちゃんを抱きしめたいよ!」
「ま、真菜……」
いきなり大声を出したせいでビックリさせてしまった。
それについては申し訳ないけど、私は謝りもせず勢いよく萌恵ちゃんを抱きしめる。
「なにも我慢しなくていいって、萌恵ちゃんが言ってくれたんだよ? だから、萌恵ちゃんも我慢なんてしないで」
「……ありがと。それじゃ、遠慮なく!」
汗だくの二人が廊下で熱い抱擁を交わすなんて第三者からすれば奇妙な光景だろうけど、ここには私たちしかいない。
秘密はないと言っていた萌恵ちゃんも、我慢していることはあったんだ。
確かに、女の子として打ち明けづらい内容だとは思う。
ただ、箱を開けてみれば本当に滑稽な話だ。
お互いが同じことを望んでいるのに、二人ともまったく同じ理由でそれを口にできなかったのだから。
恋人なら許されるかも、と萌恵ちゃんは言った。
私は恋人になる前でも即座に了承しただろうけど、告白していなかったらいつまでも遠慮されていただろう。
恋人というのは、やはり単なる肩書きではない。
これでもう何度目になるのかな。
付き合い始めてまだ数日なのに、また改めて、恋人になれてよかったと心から思う。
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